土曜は目立ったニュースがなかったと見えて
9月18日の朝刊は全部バラバラの話題でした。

その中で画面の朝日と、読売新聞は「人工知能」に関する記事を一面トップに持って来ていました。
因みに読売新聞の一面トップの見出しは
「災害時救護、AIで最適化…システム開発へ」
というものでした。

AI、人工知能

この言葉に私達は、期待とともに
ある種の「畏怖」を感じずにはいられません。

「明示的にプログラムしなくても学習する能力をコンピュータに与える研究」
とされる『機械学習』。
それが発展し、多層構造のニューラルネットワークを用いた機械学習である『ディープラーニング(深層学習)』。

それが発展するとついには、
2045年で人工知能が知識・知能の点で人間を超越し、科学技術の進歩を担う技術的特異点が訪れる(『2045年問題』)という説を唱える学者もいるのだとか。

私は素人ですから、
どうして人工物が自ら学習する機能を得て、果ては人間の脳さえも超越しうるのか
その原理原則を理解することは全くできないのですが
私が生きているであろう間に、本当に人類社会が激変する時代が訪れるんだなということを
改めて実感します。

昨日(17日)、講演を拝聴させていただきました
世耕弘成・経済産業大臣 が、この人工知能に関しても話されていて
それがとても興味深く、聞き入ってしまいました。

曰く
「世界で最もIQが高い人間が、自身を超える人工知能を発明した時、
それが人類最後の発明となるであろう と言われています。
なぜなら、それ以後の発明は全て人工知能がすることになるからです。」

「人類は、社会を発展させるために過去二つの起きな革命を起こしました。

一つは『産業革命』。生産を機械化・大量生産化できるようになり、
人類は肉体労務から解放されました。

二つ目は『情報革命』」。ITの発達により、人類はデスクに居ながらにして膨大な情報を入手可能となり、庶務・雑務から解放されました。

次に来るのが『AI革命』です。人類はついに、『考えること』からも解放されます。

ですが、例え『考える』を別の物に代用させようと、それを活用し、人間と接するのはあくまで人間です。」

大体こんな内容(あくまで講演の一部ですが)でしたが、
あまりに話す内容が面白く、本当はタイムキーパーの仕事をしていたのに
それを間違えてしまいそうになってしまいました。

朝日・読売の記事はまさにこうした
「人工知能はどのように活用できるのか」という話を書いており
大変興味深い内容です。

人間が膨大な情報を処理し、適切な結論を出すのにかかる時間を
人工知能であればものの数分でやってしまう。
それは劇的な感動を伴う事で、社会は間違いなく便利になる事でしょう。

ですがやはり、患者と向き合うのは医師本人。
災害時救護で人を救えるのは、やはり人なのです。


思えば、
最初にコンピューターが自動計算を実現した時、
人類はそれまで計算に費やしていた膨大な時間から解放されたにも関わらず
また鉄道・車が地方の隅々まで走るようになった時も
人類はそれまで徒歩によって費やした膨大な移動時間から解放されたにも関わらず
世の中は間違いなく、大古の人が見れば「天国か」と勘違いするであろうほど
豊かに便利になっているにも関わらず
人は「忙しさ」からは解放されませんでした。

それらの便利さはすぐに「当たり前の事」へと変わり
その「当たり前」を利用した新しいビジネスや仕事によって世の中は
すぐに覆われることになるからです。

きっと人工知能についてもそうでしょう。
人類は、「人工物が代わりに考えてくれる」事をすぐに当たり前の事とし
それを利用した別の新しい「忙しさ」を見つけてしまうのでしょう。
逆に言えば、私はそれが
人類の永遠たる強(したた)かさでもあるのかなと思っています。



余談なのですが、
私は近未来において、政治家の政策秘書は人工知能がやることになるんじゃないかと思います。
きっと正確で秀逸な政策案を作り出すことでしょう。

しかし、そうであっても
人々にその政策を伝え、訴え、人の心を打つ演説を行うのは、人間である政治家本人にしか出来ないことです。(人間と見分けがつかないアンドロイドが登場すれば、一気にこの仮定は崩れますが)

そして、いくら人工知能が否定のしようがない正論を出してきたとしても
それに納得できずに従えない人間というのは必ず出てきます。
だから人工知能によって世の中が一つにまとまることはないでしょう。
人類は、どんなに全能な知能が頭に現れようと、一つにまとまれるほど
賢くはないからです。


「感動」すること、
も人間独自の感情なのではないでしょうか。
人工知能がいかに正しかろうと、
その言葉に人間が「感動」するとは思えません。
人間は皆正しくないから、
人の言葉の中に含まれている「苦悩」の感情に共感し
「感動」するのです。

そして、人は死にますが
人の言葉は他者の記憶に遺り、時に1000年以上も伝えられることがあります。
そうすると私は『言葉』こそが、人が人たる証明になるような気がするのです。

もし仮に
人工知能が人の心を打つような名言を自ら考え発し始めたら

私はその時、将来の人類滅亡を確信するかもしれません。