2年前に閉店したA・ルコント洋菓子店。「万事フランス流に (Tout à la française)」を信念として、1968年(昭48) に誕生した日本初のフランス菓子店でした。今年も、M.(ムッシュ) アンドレ・ルコント(1932~1999) を偲び 「ガトー・ミュゲ」をご紹介いたします。
5月1日、フランスでは、大切な人に幸福を願って贈るスズランの日ですね。
下の画像は、1979年(昭54) 発行の、
「ミセス愛蔵版 第14号 味で選んだ洋菓子店」 の表紙などからお借りしているのですが、
画像のケーキは、M.アンドレ・ルコントが、
5月のパリを思い出しながら作られた、飴細工のガトー・ミュゲ です。
🇫🇷1561年5月1日、シャルル9世(享年24歳 あのカトリーヌ・ド・メディシスの次男) から始まったスズランの日。
20世紀には廃れていたそうですが、
復活させたのは、M. クリスチャン・ディオール だといわれているそう(温室でスズランを栽培してもらっていらした / リニューアル後多少の香りの変更があったがスズランの香りに調合されたディオリッシモは代表作)。
誰もが街角でスズラン(Muguet ミュゲ) を売ることが許可されているので、あちこちで、スズラン売りを見かけるそうですが、今年はどうでしょう(昨年は少なかったそう)。
《清らかで気品にあふれたミュゲ》
Le 1er mai
《Le jour du muguet / La fête du muguet》
♪街角のスズラン売りの掛け声
今は昔なのでしょうか...
Fleurissez-vous mesdames.
Achetez du bonheur.
Voilà du joli muguet. 〜♪
《1979年》
トレイ / Christofle マルメゾン
レースペーパーもエレガント♪
C'est magnifique!
いつも惚れ惚れしてしまいます〜
📖↑編集者のコメント
「白いマジパンで包んだスポンジケーキの台にそっと飾られたすずらんは、繊細なあめ細工。これは5月のすずらん祭りのころに、パリのお菓子屋さんで売りに出されるケーキです。すずらんも台とともに切り分け、シャンペン(←時代を感じますね) などでいただきます。アンドレ・ルコントさんが、5月のパリを思い出しながら作ってくださいました」。
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《ガトー・ミュゲ》
当初はガトー・ショコラだった
画像はお借りしました
トレイにはいまではほとんど見かけない
ポム・ド・テール(ジャガイモ) が!
(トレーの下段 左から2番目)
🐹M.ルコント時代のスウリー (ネズミ) は
生き生きとしていますね!
*トレーの右端から2番目の列
ジョルジュサンク時代に(20代の頃)
「子ども達も楽しくなるお菓子を」
という思いから生まれたそう
1968年 (昭43) 創業時
マカロンを販売するも人気がなく
2年で休止されたエピソードも...
笑顔も素敵な M. ルコント ♪〜
日本の洋菓子界を変えた方です
ホテル・ジョルジュサンクや
イランの国王の元でもご活躍でした
お弟子さんのミュゲ
画像はお借りしました
Bonne Fête!
2021年5月 「マルメゾンのトレイでお茶」
イタリア製Tクロスは 「スズランの刺繍」
2022年7月 「マルメゾンのトレイでお茶」
🐹こちらのスウリーはルコント作とは形が違いますね!
大統領のエリゼ宮にはランジス市場から夫妻に届けられる
Le jour du muguetを復活させたChristian Dior
一般の人々がスズランを贈る習慣は、19世紀末から徐々に進んだようです。20世紀になると特にパリ近郊の人々が森にスズランを探しに行く習慣ができました、5月1日とはっきりと結びついたのは、1976年だという説もあります。
クリスチャン・ディオール
1900年 5 月 1 日、パリの偉大なクチュリエたちが主催したパーティー中に、顧客も小さな手も含め、女性全員がスズランの小枝を受け取りました。このアイデアに魅了されたお針子たちは、毎年それを顧客に提供しました。
迷信深い(縁起をかつぐ)C・ディオールは、それをファッション ハウスの象徴にさえしました。彼は、スズランのドライをドレスの裾に縫い付けました。そして、香水ディオリッシモが誕生します。スズランは香水として加工できないため(他の花とは異なり、スズランの香りは抽出できない)、再構成する必要がありました。C・ディオールは、ローズ、ジャスミン、オレンジの花、イランイランのフレッシュなノートでそれを表現しています。