帰 山 独 鳥 遅   

 

 

一昨年

夫の同級生の書家の方が

渾身の書を二軸お持ちくださいました

 

こちらは 秋の掛軸 です

 

心より 感謝申し上げます 🙇‍♀️

 

 

 

 

床の間のオブジェは

木製の素敵なお品なのですが

 

太陽光がたくさん入らないので

中央のガラス (樹脂? ) の色や石が

分かりにくいですne

 

 

 

 

頂戴した掛軸のブログ(2018年)

☆平成三十年 二月六日のブログ   → 福以徳招(金文 文字)

☆平成三十年 二月 六日のブログ → 福以徳招(イタフル)

☆平成三十年 十月十六日のブログ  → 王昌齢 出塞行 額装だったのを掛軸にされた

 

 

★今回の掛軸

帰山独鳥遅 について 詳しくは→  →☘kanbuniinkai

 

杜 甫 「乾元二年 (759年) 48歳時作」 →☘gendai

58歳時、湘江の舟中で客死 (先天元年(712)〜大暦元年(770))

李白の 「詩仙」 に対し、杜甫は 「詩聖」 と呼ばれる  wiki/杜甫

  

        

杜甫 秦州雑詩」 二十首に亘る連作 / 四首ずつの五部構成

本文 其四 

 鼓角縁辺郡  川原欲夜時

 秋聴殷地発  風散入雲悲

 抱葉寒蝉静  帰山独鳥遅

 万方声一慨  吾道竟何之

 

現代語訳

ここは 古代より 異民族と対峙してきた国境の郡の広い平原に

夜のとばりが垂れかかろうとするまさにその時 守備隊の鼓角

(ラッパと太鼓) の音が周辺響き渡る (鼓角こかく : 合図に使う角笛と太鼓)
 

秋になって 雷の音のように鼓角が地に響き渡ってくるのであり

またそれは風により散逸していくことは 雲に入って哀しみとして

生まれてくる音として聴いているのだ

 

寒さの中 人の目の及ばぬところにひそむ徴 (ちょう・きざし) かな

陰的な生物である蝉は ただひそかにじっとしているし

 

の巣に るはずの りぼっちの

は この音に恐怖を抱いて

び立つのが くなっている

 

ここだけではない この兵乱の世はおさまりをしらない

今や天下のどこに行っても おしなべてこの鼓角の音のみである

儒者であるわたしの行くべき道は 結局どこに行ってしまったのか...

 

 

★「秦州雑詩二十首」 は、

五言律詩の二十首に亘る連作で、華州での地方官を辞して家族全員で旅に出た杜甫は、四十数年地方官だけを念頭にし、生きてきた。自分の思いと現実のはざまで一年ほど悩み、王維 (おうい wiki/王維) らに相談し出した結論だった。秦州に住む、甥の杜佐を頼ったのである。

 

杜甫が家族を守れる手段は、逃避しかなかった。最前線に赴任され守る方法も、生きていく力もなくした杜甫は、地方官を辞すよりなかった。

こうして、秦州 (しんしゅう wiki/秦州) に逃げ込んだというわけであるが、まだ官に心残りがあり、詩人として生きていく決意はしているものの、葛藤している様子が伺える。

 

秦州へ向かう杜甫の一行は、妻が十歳年下の三十八歳長女十三歳長子宗文十歳次子宗武七歳次女五歳であった。異母弟の杜占も加わっている。家族は七人、ほかに従僕が二人くらいはいたので、総勢十人の大移動だ。

杜甫は馬に乗り、家財を乗せた車に小さな子供を同乗させた旅である。途中にある、陝西(せんせい)、甘粛 (かんしゅく) 境界の山脈の険難な道を越えなければならなかった。

 

杜甫は、七月中に秦州に到着するや早々、五言律詩の連作 「秦州雑詩二十首」 を作った。杜甫の人生を変えた時期の傑作に数えられる、有名な作品集である。

 

★吉川幸次郎は、抒情詩の完成したものと絶賛している。 wiki/吉川幸次郎

 

 

 

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