外国人特派員協会における「電波停止発言に抗議」おバカ会見の検証-3 | マスメディア報道のメソドロジー

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マスメディア報道の論理的誤謬(ごびゅう:logical fallacy)の分析と情報リテラシーの向上をメインのアジェンダに、できる限りココロをなくして記事を書いていきたいと思っています(笑)

外国人特派員協会「電波停止発言に抗議」会見



2016年3月24日、「ジャーナリスト」を名乗る青木理氏、大谷昭宏氏、金平茂紀氏(海外取材のため欠席)、岸井成格氏、田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏の6名(以下、「自称ジャーナリストグループ」と呼びます)が、2016年2月29日の会見に加えて、日本外国特派員協会で会見を開き、放送法に関連した高市早苗総務大臣の国会答弁の内容に抗議しました。その会見を3つの記事に分けて検証します。

今回の会見は次のような2つのパートから構成されています。

 <1> 自称ジャーナリスト各位の主張 [記事-1]
 <2> 質疑応答 [記事-2] [記事-3]

シリーズ記事の第3回目では、<2> 質疑応答の後半部分について検証します。ここで、会見の内容については、ウェブサイトの[BLOGOS]で詳しく公開されています。冒頭写真、発言の内容は同ウェブサイトから引用させていただいています。なお、同サイトの記述においては、発言内容が一部省略されています。分析に必要な部分については、正確な発言に適宜置き換えて示したいと思います。

ちなみに、2016年2月29日の会見の分析記事はコチラです。併せてお読みください。
[記事-1] [記事-2] [記事-3] [記事-4] [記事-5]

こちらは会見のyoutube映像(第3回記事の該当分 1:04:50-1:34:50)です。




以下、発言の下線部に着目して分析していきます。


「既存メディアは政治と近すぎるのではないか」

質問者3
ここは何でも聞けるということが売りですのであえて聞きにくいことを聞きたいと思います。

先ほどの質問にありましたが、大臣が言った程度、幹事長代理から手紙が来た程度でなぜ萎縮するのか。それについて、今のところ納得行く答えを頂いていません。

NHKは人事や予算が国会事項ですからわかりますが、民放や新聞社は本来ほっとけばいいだけだと思うんですね。そこで質問したいのは、停波ということに触れられた。政府側が放送局に対して直接持っている権限はそれだけですが、本当に停波を恐れているのか。

この中で田原さんだけが、既存の記者クラブメディアの出身ではおられないのであえて聞きます。既存メディアは政治と近すぎる、さきほど「オフ懇」という言葉が当たり前のように出てきましたが、そういう行為自体、完全に談合に見えるわけです。

そういうことをこれまでやってきて、ここにきて政権側がメディアに少し厳しく言ってくると、自分たちが持っている特権や持ちつ持たれつの関係があって、それで色々なことができなくなるからではないかと、多くの外国人記者は思っています。

そこで、その圧力の源泉とは何なのか。振り返って、政治とメディアの関係には問題があったと思うかどうか。我々が、そういうことだったら圧力と感じるのはしょうがないかなと納得できるお答えを頂ける方にお願いします。(神保哲生氏)


岸井成格氏
(1)その辺の線引は難しいですよ。今の段階は。確かに記者クラブ制度、オフレコ懇談会が、そういう状況を生み出しやすい、そういう伝統があるのかなと今になって思うとありますね。だけど僕らはそういうものを活用してきた。

(2)有名な田中角栄の言葉があるんですよね。金脈事件でメディアからテレビ新聞からバッシングを受けていた時に、「君ら、それが仕事だからな」と言った。これが日本の戦後の保守政治の本当に懐の深い大事なところ。それが今の政権は批判をすることを許さない


(中略)

(3)最初、小選挙区制導入というのは、メディア大体反対だったんですね。ご存知の通り、少数意見切り捨てになる。これを導入すると、少数政党が消えてしまうという疑問が強く、みんな反対だったんですね。だけど、金の問題と派閥闘争を無くし、同時に政権交代が起こりやすい制度は何かということで、私も民間政治臨調で議論しました。そこへ当時のメディアが自民党の中では非常に信頼する伊東正義さんと後藤田正晴さんの二人が各メディアを回られて「1回実験してみないとこの腐敗政治は変わらない」と言われてメディアを説得して小選挙区制導入にいてしまったんですね

(1) 建設業界の談合を厳しく追及してきたマスメディアが、現在も強固な記者クラブ制度を存続していることは、まさにマスメディアが特権的な団体であることの証左です。また、最近マスメディアは、一斉に読売ジャイアンツの選手が業務時間外に賭けマージャンを行っていたことを批判しましたが、過去にマスメディアの記者が業務時間内に記者クラブで日常的に賭けマージャンを行っていたというファクトを完全に棚に上げています(笑)。この質問に対する岸井氏の回答の歯切れは悪く、明らかにこれまでの論調とは異なります。まさに、自分が追及されると弱くなってしまうマスメディアの体質を表していると言えます。

(2) 金脈事件でバッシングを受けている人物がその批判を許容するのは、懐が深いのではなく、当たり前のこと(理に適っていること)です(笑)。一方で、現在の政権も極めて多くの批判を許容していて、許容できない不合理と考える批判に対してのみ、稀に[選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い]などといった哀願を抑制的に行っているに過ぎません(笑)。岸井氏の「批判を許さない」というのは、極端な【論点歪曲 straw man】であると言えます。そもそも、政権が不合理な修正をマスメディアに求めるのは圧力ですが、合理的な修正をマスメディアに求めるのは当然の権利です。このことを意識的に混同しているところがマスメディアの大きな問題であると言えます。なお、コンプライアンスという概念がほとんど存在しなかった40年前の対応と、不必要なまでに厳格なコンプライアンスが求められる現在の対応とを比較すること自体がミーニングレスと言えます。この岸井氏の回答が「圧力と感じるのは仕方がない」と誰もが納得できる答ではないことは明白です(笑)。

(3) マスメディアという権力が反対していて、それを説得しないと政治が動かないのであれば、それは国民主権の社会ではなく、マスメディア主権の社会です。岸井氏は、どういうわけか、このようなメディアの傲慢さの証左を臆することもなくバラしてしまいました(笑)。いずれにしても、このような民主主義を愚弄する超法規的なマスメディアの支配を今後も続けられるかと言えば当然NOです。国民はこの発言を深刻に受け取る必要があると考えます。


青木理氏
日本のメディアの問題点というのは、おっしゃるとおりだと思います。記者クラブ、最近だと軽減税率でしょうね。再販制度も。そもそも新聞社もテレビ局も、本社用地はどういう出自をもっているのか。政治との近さ。番記者、オフ懇など、世界的に見れば異常だったり、ガラパゴス的に発展してきた面がある。そういうマスメディアの昔からの構造的堕落が明らかになってきた。

加えて、金平さんからのメッセージにもあった自己規制、自己検閲、意向を先取りした結果だという面もあるし。同調圧力の強い日本社会の特徴だと。そこでマスコミ不信が強まっている。(1)もちろんマスコミは批判されるべきです。ただ、朝日新聞のバッシングの時もそうだったんですけれども、基本的な原理・原則までもが根腐れしていってしまうことに危機を感じます

政治との距離のありようも大いに議論すべきだし、記者クラブ制度もそうだけど、いい加減に直さなくちゃちゃいけないところもあると思います。取材対象との関係のありかた、警察取材のありようも変えなくちゃいけないところに来ているというところもあるんですね。ただ、そういうマスメディアの問題を僕らが真摯に考えると同時にそれを同時に原則が根腐れしていく状況が我慢できないということは強調しておきたいと思います。


(1) 報道の基本的な原理・原則なるものの何が根腐れして行ってしまうのか、まったく特定できません。特定できないものを危機であると言っても誰も納得できません(笑)。なお、「マスコミは批判されるべき」という言葉は、問題提起ではなく、公平性を装う単なる【アリバイ工作 tokenism】として使われていることに注意してください。マスメディアにとって不都合な多くの明確な事案を棚上げして、マスメディアにとって好都合な不明確な事案を問題視しています。これは、解決すべきより重要な問題が他にあるとして論点を換える【相対的窮乏の虚偽 fallacy of relative privation / appeal to bigger problems / barking cat】と呼ばれる論点転換の誤謬です。


田原総一朗氏
朝日新聞の問題は極めて簡単な問題ですよ。

一昨年の8月5日に従軍慰安婦問題報道の総括をやろうと。その中で当然やるべきことがある。謝罪ですよ。「我々のやったことは間違いだった、申し訳ない」と、読者に謝罪すべきだった。最初の原稿にあった謝罪を途中で抜いちゃった。これは朝日新聞の悪しきエリート主義です。エリートだから謝罪ができなかった。謝罪できないから、池上さんの原稿までボツにしちゃった。そして東京電力の問題まで隠しちゃった。エリート意識の問題に尽きます。

これは余計なことだけど、(1)政治の圧力なんて大したことないんですよ。本当に。これは局の上の方が、むしろほとんど自己規制なんですよね。TBSも自己規制、自主規制だと思います

(2)僕は総理大臣を3人失脚させたんだけど(3)僕のところに圧力なんて何にもないもん。そういうもんなんですよ。(4)局の上の方の自主規制で変わっていくと。そこが一番問題なんです。僕はそれを「堕落」と言っているんです


(1) 田原氏は本音をバラしてしまいました(笑)。会見の呼びかけ人の発言として理解不能ですが、「問題は政府からの圧力ではなく局の上層部の自主規制である」と主張しています。

(2) マスメディアの権力によって国民主権が侵されていることの証左です。

(3) 理解不能ですが、政府から圧力がないことを自ら立証しています(笑)。

(4) 局の上層部の自主規制が一番問題であると主張しています。以上の発言から、自称ジャーナリストグループは、報道の自由の名の下に、報道の自由を侵害する実効力を行使していない政府を不当に批判していると言えます。これは、言論の自由が保障されている中で言論の自由を声高に叫ぶことで論敵に言論抑圧者の印象を植え付ける【言論の自由の主張 I'm entitled to my opinion / I have a right to my opinion】というプロパガンダです。


鳥越俊太郎氏
田原さんがおやりになった、総理をクビにした頃と、今の安倍政権は明らかに違うんですね。

もちろん、メディア側の堕落ということで一言でくくってしまえば簡単かもしれないんですけど、いろんな問題があると思うんですね。先ほども言ったように、(1)安倍政権がこれまでの政権の中でテレビ報道を最も神経質に気にしているし、チェックしている。彼らはテレビの監視チームを作ってチェックしている

それから誰も触れてませんけれども新聞の2面の片隅に、総理の一日のスケジュールが載っています。それを見ていると(2)テレビ局の社長、会長、政治評論家が総理大臣としょっちゅう会食しているんですよ。これは単なる会食ではなく、そこでなんらか政権側の意向が上層部に伝わり、それが最終的に局の中で"空気"という形で伝わって自己規制になったり、萎縮になったりしている

もっと具体的に言えば、去年「報道ステーション」で古賀茂明さんが問題発言をした。あれは松原さんというテレビ朝日の女性プロデューサーが最も政権批判をするのを支えて来たプロデューサーだった。その松原さんを突如降板させて、経済部長という、形だけは栄転に見えるが栄転でもなんでもない、左遷だったんですよね。それに古賀さんが触発されてああいう発言をされた。そういうことが現実に起きるわけです。(3)これは明らかに人事的な圧力です。これはおそらく何らかの政界からの意向を受けて、もしくは忖度して取った人事です

そういう風に、(4)いくつかその原因はあるんだけれども、そう簡単に言える問題ではない。しかし僕が89年に「ザ・スクープ」を始めた当時、企画は自分たちの番組で立てて、それを番組化していた。今、テレビ朝日だけなのか知りませんが、企画を作ったら必ず編成局長に出して、その許可がないと放送できないんです。だから編成局長がノーといえば放送できない。そういうチェック体制ができる。これは昔はなかったことです。それが今はがんじがらめにしばりつけて、自由に物が言えない。"これ言ったらまずいんじゃないの"という空気がある。これはどこのテレビ局にも似たような物があるんじゃないのと思います。


(1) 政権を倒す権力を持つメディアを政権がチェックするのは当然であると言えます。メディアが提示した合理的な理由で政権が倒れるのであれば、それは仕方がないことですが、メディアが提示した不合理な理由で政権が倒れることは避けなければなりません。「政権がメディアをチェックするという行為」自体を【タブー視 Taboo】するような言説は極めて不合理であり、民主主義にとって危険です。鳥越氏も含めてマスメディアは国民の負託を受けた存在ではなく、報道の公正性について広くチェックを受けるべき存在であると言えます。

(2) テレビ局の社長、会長、政治評論家が首相と会食することがメディアにとって有害であるのであれば、メディア側が「首相と会食しない自由」を行使すればよいだけのことです(笑)。これは明らかにメディア側の問題であると言えます。

(3) 鳥越氏がそのような主張を行うためには、事実を立証する必要があります。根拠なき憶測はジャーナリズムではありません。

(4) いくつかの原因というのは、いずれもマスメディア側の原因ではないのでしょうか(笑)


岸井成格氏
一言言っておきますと、(1)総理との会食、TBSの社長と会長はやっておりません

(2)この政権になって何が特徴的かと言うと、新聞・テレビの現場が悲鳴を上げている。いろんな申し入れ文句がしつこいんですよ。とにかく際限なく言って来る。そうすると音を上げちゃうんですよ。「回答せよ」とか言ってきて、その仕事に忙殺されちゃうんですよね。政権側もそれを知っててやってますね。本当に執拗。これも今まで無かったことですね。


(1) この会見の名前ですが、「電波停止発言に抗議」ではなく「首相との会食に抗議」に換えた方が良いのではないかと思います(笑)

(2) 報道対象に対して徹底的な説明責任を求めるメディアが、報道対象からの疑義をタブー視し、説明責任を回避しようとするのは極めて不誠実で傲慢な態度であると言えます。


「記者クラブは廃止すべきだ」

質問者4
みなさんは日本のジャーナリストの大物ですから、記者クラブ制度を廃止すべきかどうか、どのような考えを持っているのか。明確に答えていただければと思います。ここにいるおそらくすべての外国人ジャーナリストが日本で経験しているのは、差別されて取材できなかったということです。日本の実情を海外に伝えたいのですが、記者クラブに差別されて門前払いされているのです。

また、日本の場合は電波を少数のメディアが握っているため規制を受けなければいけないと思うのですが、この放送法の枠組みをどう思うか。


岸井成格氏
(1)高市発言がなぜ問題かというと、戦後の国会で、放送法はなんのためにあるかという議論してこうなっている。憲法の精神を受け継いで、あくまでもメディア側が自主的に公平な番組を作りましょう、権力の介入を許しませんよ、という明確な主旨なんですよ。この解釈をどんどんを変えようとしている現実があります

それから記者クラブ制度ですが、ある意味ではこれに非常に助けられて取材をしてきた自分としては言いづらいですけれども、ここにきて非常にデメリットといいますか、弊害が目立つようになってきたことは間違いないですね。(2)これをどうするか、現場で本当に話し合ってほしいですが、結論は廃止したほうがいいですね。自由がいいですね。私から言うと現場の人たち気の毒というか、「お前たちもクラブ制度にあぐらかいてきたじゃないか」と言われると、なんとも言えないけれども


(1) 高市市の発言は抑制的であり、岸井氏が言うように「解釈をどんどん変えようとしている」ものではないことは明らかです。なお、マスメディアが論理的誤謬を多分に含んだ徹底した情報操作を行って民主党ポピュリズム政権を誕生させるような情報化時代に、ラジオしか存在しなかった時代の議論や解釈を無批判で受け入れるのは、そもそも合理的ではありません。

(2) 長期間にわたって報道の自由を歪めてきた談合制度に対して、かなりのお気楽発言ですね(笑)。


鳥越俊太郎氏
記者クラブ制度については、私も警察を回っているときは入ってましたけど、「警察の記者クラブに入りたい」という人はいなかったので、何も考えませんでした。ただ政治とか経済ということになってくると、いろんな人が興味を持っているわけですから、公開したほうがいいんだろうなと。(1)閉鎖的な記者クラブは廃止すべきだと、はっきりした方がいいと思いますね


(1) 中小メディアやフリーランスには、報道の自由が制限されるため、権力の追及に支障をきたしているのではないでしょうか。ご都合主義も甚だしいと思います(笑)。


青木理氏
(1)僕も長く通信社の記者やってまして、だいぶあぐらをかいてきた面もあるんです。でも、フリーランスになって10年位経ちますが、ほとんどアクセスができない。とくに警察当局の発表にはアクセス出来ないというのも見てきたので、非常に問題であるなと思います

例えば一つの方法として、公共機関の中にああいう形でクラブというメディアの拠点があるのは決して悪いことではないように思うんですね。公開性、多様な参加できるのかどうか、抜本的な改革ができるのであればもうすこし考えるべきだろうなと思うんですね。でも、この問題非常に難しくて、メディア界というのは全員一致ではないと踏み出さないので、一社でも「いや…」って言った瞬間に動かない現状があると思います。

最近、週刊誌が元気で、新聞から特ダネがでないのは、記者クラブの弊害の一つではないかと思うんですね。これから経営が苦しくなっていく中で、記者クラブ制度や若い記者はサツ回りから始まるという有り様を考えるべきだろうなと。廃止すべきとは言わないが、抜本的に改革しないとマスコミ不信が強くなってしまうと思います。


(1) 制限を承けない活字メディアが制限される記者クラブの問題というのは、ある意味では放送メディアの停波よりも深刻である可能性があります。自称ジャーナリストグループが気にする「報道の自由度ランキング」において日本のランキングが低い大きな理由の一つは、この記者クラブのためであることが報告書で明らかになっています。極めて実現の可能性が低い停波を問題視するよりも記者クラブ廃止の運動をした方が良いと思います(笑)


「取材源がさっぱりわからない」

質問者5
外国のメディアからすると、日本のメディアは親しい関係を築いて取材する、「アクセス・ジャーナリズム」と呼ばれる手法が多く、場合によっては取材源にコントロールされてしまったり、都合よく使われてします。その辺に目を向けて取り組まないと、例えば「APECで安倍さんがこう言いました」「これは公開の会談だったの?」「オバマさんとの電話会談で安倍さんがこう言いました」「あなた盗聴してたの?」ということになってしまいます。どこから得た情報なのかをはっきりさせないと。結局政府の代弁者になってしまいます。


岸井成格氏
記者クラブが本当に閉鎖的なために、(1)私も何度か追放されたことがあります。謹慎処分を受けるんですよね。一人だけ外れた違うことをしてスクープすると追放されるということが起きたりしますね

それから情報源をどこまで開示するかですね、そこが曖昧になってきました。(2)情報源がどこかさっぱりわからないことが多い。これは堕落の一つだと思いますね


(1) これこそまさに報道の自由の制限です。なお、岸井氏は裏切りを行って【囚人のジレンマ prisoner's dilemma】を破り、一人勝ちしたということです(笑)。外集団の視点に立てば岸井氏の行為は論理的ですが、内集団の視点に立てば極めて倫理に問題があると言えます。

(2) 情報源を明かさないのは、何を隠そう岸井氏の得意技です(笑)。安保報道案の報道でもいくつか情報源がさっぱりわからないケースが認められます。こういう発言を諺で言えば、「盗人猛々しい」ということになります(笑)。

田原総一朗氏
政治との付き合い方ですけれども、私は年寄りなので、田中角栄以降の総理には全て会っています。もちろん一対一で会ってます。だけど食事をしたことは一度もありません。どっちが金出すんだと、ややこしくなるから。それから私は政治家とオフレコは一切ありません。相手が喋ったことを全部スタッフに話します。もちろん繰り返しますけど、相手の言うことで間違っていることは間違っていると言います。

それから重要なことがあった。小沢一郎が検察から睨まれてマスコミはほとんど検察の味方になって、小沢はここが悪いと書きました。そのとき、検察に問題があるんだということを唯一言っていたのは郷原信郎さん。僕はサンデープロジェクトで何度も郷原さんを出しました。当時郷原さんを出した番組は全局どこにもありませんでした。なんで出さないかというと、郷原さんを出すと、検察が取材をさせてくれなくなるから。現に僕が郷原さんを出したために、テレビ朝日の司法クラブ記者には随分迷惑をかけたと思います。

さらに、新聞に小沢一郎の悪口がいっぱい出てくる。全部「関係者によれば」と出てくるんですね、弁護士の関係者が言うはずがないんだから、全部検察関係者ですよね。「なんで検察関係者と書けないのか」と何人もの記者と聞きましたが、みんな「取材に応じてくれなくなるから」と言いました。(1)岸井さんどうですか?そういう話いっぱいあると思うけど


(1) 事案に対して常に是々非々のスタンスでのぞむ田原氏は、他の自称ジャーナリストとは一線を画する存在です。あまり物事をよく考えずに意思決定してしまうのが本当に玉にキズですね(笑)。この会には参加すべきではなかったと思います。

岸井成格氏
それだけ田原さんに取材力あったからだとも思うんだけど、私の経験もそうだし、現場の記者を見ていても、どっかでオフレコという関係を築かないと、少なくともどこかで政府が本当に隠している、そういうものは内部告発でないと取れない。毎日新聞は大先輩が逮捕された沖縄密約事件というのもありましたが、内部告発は、よっぽど中に入り込んで本当の声を聞かないと取れない。これは非常に線引きが難しいというように思いますね。



メモメモメモメモメモメモメモ


以上の会見から判明したこととして、自称ジャーナリストグループには次のような認識があります。

■メディアは自由な報道を自粛している。
■自粛の理由は、メディアと政府との会食あるいはオフレコ懇談会の雰囲気を報道の現場が察知したためである。
■自粛の理由を国民に対して証明する明確な証拠を持ち合わせていない。
■自称ジャーナリストグループのメンバーは、誰も政府から圧力を受けていない。


つまり、高市発言の有無にかかわらず、もともとメディアは政府と非公式に会合して勝手に萎縮しているということです(笑)

一方、外国人特派員は日本のメディアに対して次のような認識があります。

■他国のように政府の厳しい弾圧がないにもかかわらず、なぜ日本のメディアが委縮するのかわからない。
■政府とメディアの談合組織である記者クラブを廃止すべきである。
■日本のメディアの報道は、取材源が不明であるケースが多すぎる。


つまり、外国人特派員は、メディアと政府の談合に問題の根源があると考えているということです。このような中、自称ジャーナリストが、現在存在している重要な問題(記者クラブ・オフレコ懇談会)から目を背けて、将来発生しそうもない問題(高市氏の発言)をわざわざ会見を開いて批判しているのは、はっきり言って「おバカ」としか言いようがないと言えます(笑)

そんなおバカな会見をなぜ彼らが開いたかということですが・・・

人間が行動を起こす要因としては、自分の心を満たすための【内発的動機 intrinsic motivation】、外部からのインセンティヴを得るための【外発的動機 extrinsic motivation】があります。このうち、自称ジャーナリストグループの各位には内発的動機が強く作用していると考えられます。まず、田原氏ですが、外的インセンティヴに全く興味はなく発言の節々に「自分は自分で物事を決める」という強い自負感を見て取れます。これは自己決定感という内発的動機であり、もう誰にも止めることができない純粋な欲求です(笑)。一方、他の自称ジャーナリストグループの発言には、イデオロギーの実現に対する「社会的正義感」と自分は有能であることを誇示するような「有能感」を欲する内発的動機が垣間見られます。メディアの出身母体から「権力に対峙するのがジャーナリズムである」という凝り固まった倫理観を植え付けられてしまったのか、一般の国民の考え方とは大きな乖離があるように感じます。特に、「メディアは常に正しく、権力はいつも悪いことばかり考えている」というカルトの経典のような前提に立った数々の矛盾に満ちた主張は、もはや偏狭な原理主義といった感すらあります(笑)。権力と対峙するためには、放送の倫理規範など守らなくてもよいとする前提は、極めて危険な思想です。



ところで、放送法遵守を求める視聴者の会と自称ジャーナリストグループの公海討論が実現する可能性が出てきたようですね[産経ニュース]。放送法遵守を求める視聴者の会の方々には、多くの国民が歪な報道の現状を認識できるよう、この機会を利用して自称ジャーナリストグループの主張の論理的矛盾を明らかにしていただきたく強く希望する次第です。


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