「恐怖」は恐怖だ。
世の中のビジネスの多くは「恐怖」で回っている。いわば「恐怖ビジネス」。
人をたきつける(お金を払わせる)のに、恐怖という感情ほど好都合なものはない。
多くの広告を見て欲しい。きれいな言葉、美辞麗句の影に、「でも、これを買わないと手に入らないよ」という暗喩が含まれている。
特に、医療関連は命と直結しているだけに顕著だ。露骨と言ってもいい。
かくいう僕も、便潜血が出たときに医療関係者から脅しとも取れる言葉を掛けられたことがある。 (結局、なんでもなかった……)
本当の恐怖は、「恐怖にとらわれること」。「恐怖」ほど、人をコントロールするのに好都合な感情はない。
「恐怖」の本質は、「今ここにある脅威」であり、過去でも未来でもない。なぜなら、過去も未来も今この瞬間に直接的な影響は与えないからだ。
例えば、犯罪、事故、事件などに直面したときは遠慮なく感じていい。むしろ、感じなければならない。そうでなければ、生存の可能性が下がってしまう。
しかし、そうでない時は「今ここにある脅威」ではない。そんなときは冷静に「今は大丈夫」と自分に言い聞かせよう。
不要な恐怖はストレス反応となって、それこそ短期間ならいいが、あまりに長く続くと免疫力が落ちてしまう。
実は、自然界では長期間続く恐怖はほとんど存在しない。だから、僕たちの体は長い恐怖には適応していない。
だから、恐怖とは「今ここにある脅威」に対応するための生命の仕組みと言える。
つまり、あくまでも「瞬間の恐怖」に対しての備えと仕組みでしかない。ここに現代の悲哀がある。
危害を及ぼす害獣を排除したにも関わらず、ずっと恐怖がつきまとうという恐怖に悩まされている。
それは、資本主義という怪物に支配され、最も人をコントロールしやすい「恐怖」という感情を利用されているからだ。
悲しいかな人間の想像力は、「今ここにない恐怖」にも恐怖してしまう。 であれば、「恐怖リテラシー」を上げるしかない。
まずは恐怖をあおっている物事に気づくこと。そして、恐怖をあおる人、物、情報から距離を取ること。
次に、恐怖する心を静める努力しかない。昨今、流行っている「マインドフルネス」もその一助となるはずだ。
一方で、世の中は対局ともいうべき「欲望(エロ)」で回っている。苦笑
「恐怖」よりは幾分ましかもしれない。爆