東京は随分かわり、新しい高層ビル
ができてゆく。東京で暮らすのは生
きづらく、社会の様相が変わってし
まった。
東京のビル街(六本木ヒルズタワーの左:神宮外苑)
季節は梅雨に入る頃。
真夏日の東京の公園。
ブルーの空の下でアカパンサス
の花が咲いている。
公園の外は、傘無しでは歩けない陽
ざしの強さで、公園では樹々で覆わ
れて、風さえ感じることができる。
このときふと想う。
東京はすごく広く、知事選に50人も
立候補するという数の多さに驚く。
現職の知事、小池百合子氏も3選を
めざすとのこと。
彼女は風を感じ、妙に綺麗に泳げる
女性だ。
時代の流れに行き先をよく読みとり、
生きてきた女性(ひと)であり、こ
れまでカイロ大学出身と偽っていた
ことが、問題になったように思うが、
この選挙戦で、新たに今になって表
に現れてきた。
このように。
世の中って表と裏があり、本当のこ
とがわからないまま、時と伴に忘れ
去られてゆくようだ。
もう50年以上も昔の噺で、時代の移
りかわりを想う。
神宮外苑
東京に来たときよく通るこの公園。
15年ぶりの同窓会があり、ほろ酔
い気分で同窓会の帰途、一緒にふ
たりで歩いていたときに急に雨が
降って来、近くの彼女のマンショ
ンにゆき、雨宿りをする。
彼女とぼくは、学生時代に2年半
公園近くのアパートの2階の1室
で同棲していた。
昨晩の大雨のせいでか、東京で下
宿していた頃の夢のような景色の
夢枕を見る。
ある日の深夜。
ぼくの部屋をノックする音に眼が
醒めて戸を開けると、雨で濡れた
彼女がぼくをじっと見つめ立って
いた。
ぼくは、唇を交わし、彼女を抱き
しめ、身につけているものをはぎ、
シャワーをいっぱい浴びながら、
激しく彼女の体がぼくの身体を求
め、ぼくの体が彼女の身体が求め
ていた。
ふたりは若かった。
理性とかでなく、何にもとらわれ
ない勢いがあった。
ぼくは、久しぶりに神宮外苑の公園
に来て、遠い昔のことを振りかえり、
東京のマンションのシャワー室で肌
と肌が触れあう快い世界を夢見てい
る夢枕をみていた。
年譜(小池百合子)
1952年 小池百合子誕生(1952.7.15)
甲南女子高校に在学中、父・勇
二郎(石原慎太郎の推薦を
受け兵庫2区より立候補・落選)
1972年 関西学院大学入学後、父の会社
倒産後六本木に引越、父の貿易
先のエジプトへ留学 カイロ大
学留学(文学部社会学科)
1976年 カイロ大学日本人初首席で卒業
1988年 テレビ東京。初代キャスター
1976年 エジプトに小旅行。
1992年 参議院選挙に日本新党(党首
細川護熙)から出馬、初当選。
1993年 衆議院選挙で兵庫の土井たかこ
選挙区で2位当選。
1994年 新進党の結成参加し小沢一郎の
側近となり、小沢率いる自由党
で広報を担当。
2000年 自由党分裂に際し小沢と決別、
与党に残留、保守党結党に参加。
2002年 保守党離党し、自由民主党に入党。
清和政策研究会(当時森派)に入
会。
2003年 小泉内閣で環境大臣として初入閣
2005年 郵政民営化関連法案否決、衆議院
選挙で刺客として民主党、新党日
本の候補者を破り5選。
2006年 第一次安倍内閣で内閣総理大臣補
佐官
2007年 女性初の防衛大臣となる。
2008年 自民党総裁選に立候補
(小泉の応援で。2008.9)
2010年 谷垣禎一首相のもと党広報本部長。
2012年 衆議院選挙(東京10区)で7選。
2014年 衆議院選挙で8選。
2016年 舛添要一辞職で、東京都知事選
女性初の都知事(2016.7.31)
2024年 6月小池百合子3選を目指し立候補。
1976年着物姿の小池百合子(カイロにて)
2022.6.30
2022.10.14
2023.7.15
2023.12.26
片桐且元(狭山池)『首』曽呂利新左衛門(堺)ー三都物語(100)
2023.4.15
2024.6.10
2024.6.11
2024.6.12
2024.6.13
2024.6.14
2024.6.15