京都の賀茂川と高野川が三角形のと

ころで合流した川は鴨川と名を替え、

街の中を流れている。

 

 

賀茂川と高野川が合流する三角形の地にある河合神社・下鴨神社

 

鴨川と平安京

鴨川は京都御所の東にあり古くは東河

と呼ばれた川の上流は原生林でおおわ

れていた。

その後平安京がつくられるとき、鴨川

は、風水の玄武・青龍・白虎・朱雀の

都を護る川、青龍の神に相応し、よっ

て都がつくられたいわれる。

 

河合神社・下鴨神社

賀茂川と高野川が合流後に鴨川となる

三角形のところの南に、河合神社があ

る。

南の参道入口に賀茂御祖(かもみおや)

神社の石碑がある。

 

 

参道入口の賀茂御祖神社(現下鴨神社、京都市左京区下鴨泉川町59)

 

参道入口付近すぐ左(西)にある河

合神社。この神社の祭神は神武天皇

の母の玉依媛命(たまよりひめのみ

こと)。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも

もとの水にあらず。で始まる『方丈記』

の作者鴨長明は河合神社の禰宜(神職)

の家系であった。

 

 

 

賀茂御祖神社(下鴨神社)の摂社・河合神社​​​​​

 

下鴨神社

弘仁元年(810)以降約400年にわた

り、境内に斎院(斎王の御所)が置か

れ、賀茂社に奉祀した。

毎年5月15日に賀茂祭(葵祭)が行わ

れ、下鴨神社は京都の神社のなかでも

最も古い神社のひとつである。

 

 

世界文化遺産の下鴨神社(旧賀茂御祖神社。京都市左京区下鴨泉川町59)

 

下鴨神社と唐門(ぶどう門)

京都の世界遺産の下鴨神社(ぶどう門)。

下鴨神社の拝殿付近の唐門(寛永5年・

1628創替)にはぶどうの紋があり、ぶど

う門と呼ばれている。

これはイサナギ尊が黄泉国(よみのくに)

から逃げ帰ったとき、追いかけて来た鬼

に髪飾りを投げつけた。髪飾りはエビカ

ズラの実にかわったという。これが、古

事記や日本書記の神話に在り、エビカズ

ラは野生のぶどうのことで、源氏物語に

はえび色(ぶどう色)と記され、平安時

代は薬草の一種とされていた。これが受

け継がれて江戸時代に人々の厄を払うと

いう意味が門の紋にこめられ、現在に至

る。

 

 

 

下鴨神社の唐門(欄間のぶどう紋:江戸時代1628年創替)

 

Enjoy京都「鴨川(口無し)」

京の鴨川に支流はなく、これを池などで

とおなじく、此処で終わり口無しと呼ぶ。

ものには霊があるというが、その霊の

世界が見えるといい、ときの帝のもとで、

仕えていた陰陽師の安倍晴明。

晴明は、京の鴨川に近い妙安寺の若い僧

の庵に毎晩妙艶な女が現れるので…どう

したものかと住職に相談を受ける。

現れて7日目の夜。晴明が待っていると、

梔子(くちなし)の花の甘い匂いが漂い、

艶女のうすものの単衣の下は裸の女は

みみなしの 山のくちなし えてしがな

 おもひのいろの したぞめにせん

 

と、女は歌を詠むかのように、端正な

僧の顔を見つめる。そして僧の机の上の

一冊の「般若教」を指さした。

晴明が目を追うと、色即是空、空即是色、

亦復女是(やくにょぜ)とある。

本来あるべきところに、汚れて口はない

ので、口を添えて書き、如に戻した。

すると、女の瞳の色が喜びの色にかわっ

ていった。こうして、女は姿を消した。

晴明が云う。「般若心経」の文字ひと

つにも、霊が化けて出て来たが、もの

には霊があるということは、こういう

ことだと。

平安時代に呪術・天文学・占いで、朝

廷や貴族に仕えていた安倍晴明。

晴明の事蹟は神秘化され、多くの逸話、

物語が生みだされてゆく。

 

 

 

下鴨神社(京都市左京区下鴨泉川町59)

 

 

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