小説『首』(北野武)

秀吉は光秀に嘘八百云う。

千利久が匿っていると光秀に語る

秀吉。

信長さまに謀反を起こした荒木村

重の生存も確かめず、官兵衛、半

ば呆れ、秀吉を称賛するが。

 

『首』(秀吉「芝居」)

秀吉

馬鹿野郎、天下を狙う男が芝居を

打てずにどうするんだ。

よし、芝居のついでだ。堺へ行く

ぞ。家康殿にあう!

と、堺の千利久屋敷にゆく秀吉。

 

秀吉と千利久(千利久屋敷)

秀吉、官兵衛に安土城の傍衆を迎

えに行かせ、秀吉は少ない警護を

供にして堺へ馬を飛ばした。

秀吉は堺のはずれにある庵の手前で

馬を下り、鄙びた門をくぐり、利久

に呼びかけた。

「家康殿はいるか?至急会いたい」

利久は相手を察して中へ招じ入れた。

 

秀吉と家康

家康は小庭の枯山水を眺めていた。

廊下から「猿も馬から落ちると笑わ

れるところだった」と騒々しい声が

し、秀吉に気が付き微笑み、

家康

おお秀吉殿、忍んで参ったのに、よ

くもここが

秀吉

猿の耳と鼻は利きます。急ぎ参った

のは、(信長様が)あなたの命を狙

っているからです。しかも光秀に命

じて。あの方(光秀殿)も本当のと

ころ望んではおられない。

右大臣信長は誰も手がつけられない

のです。

家康

注進ありがたい。だが、こちらはど

うすればよいのか。

秀吉

今度の軍議では無事でしょう。です

が、甲州の戦では影武者を立てるな

どぬかりなく。

光秀殿から情報は得られるゆえ、都

度都度にお助けもうします。

家康

私風情が天下を取る気などない。

しかし秀吉殿の厚情は一生忘れられ

るものではない。

いきなり秀吉は土下座し、

秀吉

家康殿!俺は下賤の身からここまで

来れた。だが、毛利攻めで運も尽き

果てるはず。下手をすれば信長様に

詰腹を切らされる。天下など夢の夢

だ。だからこそ、一つ、願いを聞い

て欲しい。

家康

その願いとは?

秀吉

もし天下大乱、右大臣信長様に何か

あった場合、家中の騒動で俺に味方

してくれないしょうか!

一度だけ、天下を夢を見させて欲し

いのです!頼む、お頼み申します!

(コメツキバッタのように、これほ

どまでに身も世もない頼み方ができ

ない秀吉に家康はひるむ)

秀吉

ほら、このように、家康の草履取も

致しましょう!

家康

しかし、現実にまず信長殿が天下を

治めるはず。天下大乱の気配はない。

秀吉

では、戦陣に出るはなむけの言葉と

お思いになってください。

子もおらぬ、先祖伝来の領地もない。

家康

次の天下は秀吉殿に。私では心許な

いはずだが、お助けしましょう。

そう言いながら庭に平伏した秀吉を

立たせる。

うってかわって笑顔で、

秀吉

それでは念のため、ここに署名を

願いたい。

懐から一片の紙を出す。

家康、即妙の間にかか大笑いし快

く受け取り、廊下の隅で座ってい

た利休へ「墨と筆を」と声をかけ

る。

利久、しばらく動けず、ただ呆然

としている。

秀吉

何をしている!茶人の前に商人の

はず。善は急げ!と、命じる。

その表情は得意満面であった。

 

秀吉、天下取りのため、一世一代

の芝居を演じる。

『首』の秀吉の頃の堺は鉄砲をつく

り、豪商は茶人をたしなみ、信長や

家康や秀吉など武将らは、千利久を

崇め、親交深かった

 

秀吉と千利久(斬首)

利休は堺に生まれ育ち、のち秀吉の

茶頭として、戦国武将を師範し、側

近として力をもっていた。

大徳寺が利休の木像を山門の上に

置した。この山門をくぐることにな

る秀吉は、これを契機に京屋敷に

いた利休を堺の屋敷で謹慎させた。

翌年天正19年利休は京の利休屋

で切腹、その折切腹の礼にならい、

斬首される(1591年2月28日)。

 

千利久屋敷(堺)

千利久屋敷跡が現在宿院交差点付近

にある。

 

イメージ 2

 

利休(産湯の井戸:右奥)屋敷址(2014.8.1撮影)

 

「椿井来由記」によれば、この地

は、江戸後期から明治の中頃まで、

酒造業を営んでいた加賀田太郎兵

衛が居住し、当時、利休が産湯に

使った井戸があった。

加賀田太郎兵衛は、利休を偲び、

利休好みの茶室を建て、大徳寺の

大綱和尚を迎え、茶室開きをした。

そのとき、和尚は(昔を懐かしむ)

と、この茶室を「懐旧」と名づけ

た。

 

イメージ 4

 

利休が建て替えに援助した大徳寺の山門(金毛閣)

 

大徳寺山門(金毛閣)の昭和大修理の

際に出た古材の井戸の屋形を、宿院の

この地に移し建てる。そこに大綱和尚

遺墨「懐旧」を掲げ、その遺芳を伝

えることにしたという。

 

利休の自刃後、利休の子の道安と少庵

は追放処分にあったが、秀吉は3年

に千家の再興を認め、これより利休

茶を伝える三千家ができ今に至る。

 

 

イメージ 3

 

利休屋敷跡(大阪府堺市宿院町西1-17-1)

 

 

 

 

 

『首』(北野武)

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