ドラマ「鎌倉殿」ゆかりの京都にゆく。

平安京の南東、鴨川の左岸に「法住寺殿」がある。

御所の後白河法皇と「鎌倉殿」(源氏)はゆかりが深い。

 

<後白河法皇(「法住寺殿」)と平家(「六波羅」)>

白河法皇のときと違い、後白河法皇のときより

院政の拠点が「法住寺殿」に移される。

 

 

後白河法皇の御聖跡の法住寺

 

後白河法皇は、白河法皇、鳥羽法皇につぐ「院政」の

時代で、院の御所(法住寺殿)の北の「六波羅」には、

平清盛はじめ平家一門が屋敷を構え、東に清水寺

北に祇園社(現八坂神社)があった。

 

 

<後白河法皇と平氏・源氏>

平清盛の娘・徳子は高倉天皇の后となり、法皇の祈祷

により無事皇子(のちの安徳天皇)を出産。嫡男・平重

盛の死後、清盛は関白以下43人を処分(「大臣流罪」)

後白河法皇も鳥羽殿で幽閉される。(治承3・1179年)

当時福原にあった後白河院は伊豆国の流人の源頼朝

に平家追討を命じる院宣を下す。(治承4・1180年7月)

平清盛が病で倒れ、事態は一変する。(養和元・1181年)

(後白河法皇「日本一の大天狗」と源頼朝)

白河院は、源氏勢力の分断をはかるために源義経に

官職を与え、源頼朝追討の院宣を出す。これを知った

頼朝、使者を送り、天魔のせいと弁明さす。
鎌倉殿こと源頼朝は怒りの返書を叩きつけた。

天魔とは仏法人倫に災いをなすものである。挙兵以来、

君のために忠を尽くしてきたこの頼朝を謀反人扱いす

るとは何事か。日本一の大天狗は他に居申さぬぞー。

つまるところ、法皇自身が天魔、大天狗であると威嚇した

ものである。

建久3(1192)年3月3日。大動乱の半世紀。奇略をめぐら

してきた後白河法皇が66歳で病没。その直後(7月12日)

頼朝は征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府の基盤が固

められる

<余談(「歴史と物語」)>

物語は時代によって読みかえられ、つくりかえられてゆく。

「平家物語」、「吾妻鑑(鏡)」もしかりで、時勢との均衡を

たもち、再生・創造される。そのなかのひとつ、渡辺淳一

の「天上紅蓮」。

璋子(のちの待賢門院璋子)14歳のとき。璋子の養母・祇

園女御が退出後に、白河法皇は「こちらにおいで」と呼び

寄せられる。璋子の白い肌をまるで掌中の玉を慈しむよう

に優しく下へ触れてゆく。秘所にふれた瞬間、「あっ…」

叫び身を強張らせ腰を引こうとしたが、その身を引き寄せ、

「まかせよ」』耳元で囁き、声が静まるのを待ち、そっと忍び

こむように押し入り、「愛している、おまえが好きだ、誰より

も好きだよ」の優しさに応えるように、彼女は快い世界に

浸ってゆく。これが璋子の初夜だった。

63歳の法皇は、璋子と結ばれて以来、彼女への慕はさ

らに熱く、璋子を愛しくなってゆく。このとき白河法皇は歌

に詠む。

うつつとも 夢ともいまだ 分きかねて

   ただたしかなる 君のやは肌

こうして、最終章の第17章(佳人残影)まで、時の最高権力

者・白河法皇とその寵愛を一身に受けた璋子との華麗な物

語は王朝絵巻として描かれる

 

 

王朝物語「天上紅蓮」(璋子と白河法皇)

 

<京都の法住寺殿(宮廷)>

後白河法皇の法住寺殿(御所)は広く、その北隣

「六波羅」には平清盛はじめ平家一門が屋敷を構

えていた。後白河法皇の墓陵は法住寺の裏隣(西)にある

 

 

法住寺の裏隣(西)にある後白河天皇法住寺陵

 

 

京都の平安京(法住寺殿)

 

 

 

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