子供の日。
稽古、お休み頂戴して、かねてから待ち望んでいた、大倉孝二さんの一人芝居、
『ゴドーは待たれながら』
水戸芸術館ACM劇場まで観に行きました。
大倉さんとは、昨年NODA・MAP「エッグ」で共演させて頂いて、その演技に、存在のし方に、計り知れない衝撃を受けた。
特殊な身体。
脱力する観察眼。
飄々として変幻自在。
笑いの関節外し。。
大倉さんの芝居を観ていると、とっても不思議な感覚に満たされる。
さて、ゴドー。
ゴドーは何者か。
そんなことはいい。
ゴドーは待たれている。
ゴドーは待たしている。
ゴドーは待っている。
そこにいる大倉さんは人間の代表だった。
ふざけながら泣いている。
笑いながら冷ややかで。
絶対の孤独を抱きしめる人間の愛おしさ。。
いとうせいこうさんの戯曲の寄る辺なさ、ケラさんの演出の遣る瀬なさ、全てが相からまり、真空のピラミッドを創り出す。
僕は完璧に呑み込まれた。
心地よく食べ尽くされた。
終演して外に出ると、目前にそびえ立つ展望台。
このイビツな塔は、人の心だった。
寄って立つところもなく、歪んだまま、真っ直ぐに空に向かう。
孤独のカタチ。
劇場内の2時間は、きっと僕の一生に喰らい付き、不朽のモニュメントへと変わっていくだろう。
コドモの日、
人のコドクは、コドウと共に、
みんなゴドーを抱きしめる。。
(。-_-。)