続きです<(_ _)>
「あたえられた本能を自分の本質とし、それを役目として発揮する、現す、表現する時、その行為(価値)は、伝達本能というパイプを通過して社会に表される」と原典にありました。
その時に「役目から → → → 伝える」 までの「→ → →」の流れ方によっては、伝わり方が真逆になってしまうことさえある、ということなんですが、ここをくわしく見ていきたいと思います。
私の日干支は庚申
「庚」の本能は「陽の攻撃」、形ある攻撃本能です。
これを人間の生活の中で考えると「前進力」となって、今までにない世界や時代を作り出す役目を背負っていることになります。
この攻撃本能に課せられた「新しい世界を作るという役目」を果たすために、実際にそれを世の中に伝えていく時を考えてみると、いきなり「これを作るぞ」と伝えて、そして作るには今あるものを壊して、、、という、直接的な流れで攻撃してもダメです!ということです。
これだと「役目から → → → 伝える」 までの「→ → →」がまったくない状態になっています。
攻撃→直伝達、これではたとえ攻撃本能から出た役目としての目的がいいものであったとしても、上手く伝わらないために実行(行為)出来ず、価値も生まれません。
ただ世間的にはダメでも、攻撃本能を発揮したことに変わりはないので、霊魂にとっては当たり前の本能流出。
ただ本人(人間)にとっては、「・・・」と首をかしげながらも、突き上げられた本能をコントロール出来なくて、やってしまうかもしれません。
ここに人間としての工夫が要ります。
実際、むかしの私はこうでした
何もせずとも攻撃本能は溢れてくるのですから、未熟な頃は何も考えず、直接伝達していました
攻撃本能エネルギーの消化にはなるのですが、伝わるまでの「→ → →」これがないばっかりに、きちんと伝わらず、、、、ということは、ちゃんと役目を果たし切れないということなのです。ダメジャンハイソーナノデス
特に「庚」ワタシダケカモシレマセンガは、人生で何度かは、鍛冶屋の刀のように、火の中に突っ込まれ溶かされて、金づちでガンガンと打たれて、ジャっ水で冷やされて、また火に突っ込まれて、、、、を繰り返されて形を整えられないと、この「→ → →」を気づけない、自分で「→ → →」を導き出せなくて、ただただ相手を傷付けるだけで、まったく使い物にならない(=役目を果たせない)んだと思います。ワタシノカタナハマサニソウデシタサビテハガボロボロニナッタカタナヲフリマワシテイマシタ
この攻撃本能がきちんと役目を果たすためには、これ「→ → →」が必要なのです
新しい世界、時代を作り出すための役目、それを果すためには、キチンと伝えることが大切で、価値となる行為としての「情的に出すか、理性的に出すか」という問題は、伝えたそのあとのことになります。チョットキガハヤスギタミタイ
まだ役目から価値となる行為に至る手前の段階の話です
攻撃本能から出る、役目としての目的(前進するための何か)を、きちんとその目的(新しい世界や時代を作る)を果たすためには、あと二つ三つ「→ → →」という必要なものがあるというのです。
『算命学の考え方は、宇宙に法則があり真理があり、人間は自然界の真理に支えられているわけですから、本能なり本質なり、そして役目なりを発揮する方法にもかならず真理があるはずであると考えているのであります。
そこで人間の諸々の役目なり本質を現わす方法として、真理である五行説の理論に基づいた現わし方を考え出したのであります。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉
この五行説の理論に基づいた表し方が
「役目(攻撃本能)から → → → 伝える」までの、この「→ → →」部分になります。
五行説の理論というのは、相生相剋のことです。
攻撃→伝達を五行に直すと、金×←火 となって、火剋金状態だからうまく伝わらないとなります。
自然の流れは、無理なく移っていく(=無意識)ことなので、
「金→水→木→火」
金生水、水生木、木生火
「金と火のあいだに、水と木を入れて、このルートをたどりなさい。そうすれば上手く伝わって、役目を果たす準備を整えることが出来ますよ。」と天(五行説)は教えてくれています。
「金→水→木→火」
これを本能に置きかえると
「攻撃本能 → 習得本能(智徳) → 守備本能(仁徳) → 伝達本能」
自分の心に攻撃的な何か(目的)が生まれたら、そこに知恵を加えて、さらに誰かを守る(仁徳)という精神を通れば、正確に理解されることになるとなります。
相生とは、最初の出発は意識しても、そのあとは心の次元の問題なので、作為的ではなく、無意識の中で流れていくのが自然の流れとなります。
『習得の本能は常に守りの本能を通過したものでなければなりません。
換言すれば人間の知恵というものは、奉仕の精神や衆を救う、助けるというような精神に漉過されたものをもって初めて知恵といえるのであり、ある時思いつきのように浮かんで来た知恵を、磨かないまま直接に伝達したら、それはすでに知恵とはいえないわけで、いつの日にか人間の生存を破壊する知恵になるはずであります。
(中略)
しかし知恵というものは、常に攻撃力に後押しされる形になっており、「金生水」の形は人間の知恵が前進力(攻撃)に支えられてこそ知恵であると教えているのです。』〈原典算命学体系第2巻大衆価値論より引用〉
私に欠けているものは、知恵と思いやりでした。
いまならこうして算命学を勉強しているので、少しは知恵もついてきたかな?とズウズウシイデスナ
思いやりかぁ、、、
生まれつき一番持ち合わせてないかもしれません。。。
いま大運禄存星の真っ只中にいるのですが、ここでやっと「甲」が回ってきて、今までなかった感覚を人知れず感じております。
自我強の宿命なので、守備本能は元々強いのですが、いかんせん「庚」の自我なので、守備、思いやりといっても、、、、
まぁこれもお役目のひとつなのかもしれませんが、、、、フクザツデス
私に一番欠けていたものに今!気づきました
攻撃はじめ(目的)は意識しても、そのあとは無意識の流れなので、心の次元の問題ですってことは、わたしに一番欠けていたものは、心の次元の高さってことになります。
人間世界を生きて行くときに、「庚」にとっていちばん必要なものは、心の次元を上げること、かも。
「庚(金性)」は人間(木性)とは正反対の質なので、特に人間でいるためには「心」を誰よりも学ぶ(人間世界を知る)必要があるのではないか?という考えにたどり着きました。。。
まちがい・かんちがいは多々あり
そのうえ自論&推測のおまけつきで
同じことをなんども書いては消しをくり返す始末
さらには考え方も変化し続ける進化系
究極はブログ管理が出来ておらず
テーマはあってないようなありさま
また内容のわりにタイトルがかたく
読むとズッコケるパターンではありますが
勉強中につきナニトゾご容赦ねがいます
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記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座、青龍先生のブログより引用しています
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『紫色の文字』は原典算命学体系より
引用しています
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