子丑天中殺のわたしは、そもそも子丑方向(北)が欠落しているので、シーソーのように自然と南に傾く傾向にあります。

 

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しかし、その欠落しているはずの北が埋まっていると、より南へ南へと傾く現象が生まれます。(南は遊びや快楽の方向)

 

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それはそとからみると非行化しているように見えるけれども、実は思考の混乱や精神的な苦痛が起こっていて、本人は苦しみの中で学ぶことが実に大きいので、それを止めるなと、自分から環境を変えようとするまで、逆に利用して苦しみなさいと説いているのが天中殺の回光条件です。

 

 

向かう先は最初から虚なる世界で、そこで得られないもの(有形)をどこまでも追いなさいと、どうあがいても手に入らないってことを知りなさいと、

 

 

そしてその限界の先ではじめて、有形ではなく無形の喜びを知ることが出来、同時に虚なるものをみる力が養われるというのです。

 

虚なるものをみる力というのは、透念気だったり、無形の価値を見出す眼だったりもやもやもやもやもやもや

 

 

 

 

 

 

すっかりわすれていましたが、そもそも天中殺の回光条件というのは、精神の高みを目指すもの、真の生き方を知るためのものなので

 

 

 

ひじょ~~~にキビシイぃぃぃぃ笑い泣き

 

 

 

 

精神の高みというくらいですから、天地の天に近いところを目指すということです。地ははるか遠くにあるってことです。

 

人間社会から遠く離れたところ。

 

 

 

でもそこを目指すには、

 

まずは逆に地の果てまで行けっ!ですガーン

 

 

 

地とは有形現実のこと。

 

有形、現実社会、形あるもの、身体、地位や名誉、人気、お金など

 

これらを求めて、苦しんだ末、

反対の無形精神の喜びを知る。。。。ということなのですが、

 

 

 

ということは、無形の喜び、精神の高みを知るには、現実を追いその限界の先を知るという有形の苦しみが必要不可欠だってことになります赤ちゃんぴえん

 

 

 

 

有と無しかないのだから、頭では理解できるのですが、自分自身(身も心も霊魂も)が理解してはじめて、精神の高みに行けるってことですね。

 

 

修行僧って言葉が出てくる意味がわかりました。

 

 

現実の限界を実感するために、修行僧は現実の代表として「身体」というものを追い込みます。追い込んで追い込んで、有形現実の身体の機能を、エネルギーがゼロになるまで追い込みます。有形が限りなくゼロに近くなったその先に行くことが出来る人だけが本当の意味で無形の喜び(価値)を体得するのですね。ラブ

 

 

 

 

そこを日常の中で目指そうとしているのが回光条件です。ガーンエッ?えーんソンナ!笑い泣きゼッタイムリダヨータラー

 

 

 

 

 

 

 

 

続きます<(_ _)>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まちがい・かんちがいは多々

そのうえ自論&推測のおまけつきの上

同じことをなんども繰り返し

考え方も変化し続けております

勉強中につきご容赦ねがいます

<(_ _)>

 

 

 

記述のない『青文字』内、図、グラフ等は

青龍塾の講座より引用しています

<(_ _)>

 

『紫色の文字』は原典算命学体系より

引用しています

<(_ _)>

 

 

 

現実的な存在から精神的な存在へ

 

というプロセスを経ることが

 

生きるための条件のひとつ

 

ー青龍塾スピリチュアル算命学よりー

 

 

 

 

 

一人ひとりの命に宿された天の真実を

 

宿命という

 

 

 

運勢とは

 

天が用意したその宿命が旅する

 

人生のみちしるべ

 

 

 

 

 

 

 

【算命学視点レイヤー】※このブログに記していることの前提条件です指差し

❶人間は、人間=肉体(有)+霊魂(無) 

この書き方は少し違う誤解を生んでしまいそうなので、、、不安

※画像ははてなブログ「スピ算人生論」よりお借りしています。

 

『人間とは、肉体と霊魂の合体によって構成されているものであります。

天地自然の法則が陰陽二つの要素で形成されているとすれば、人間の存在も自然の法則の一つなのですから、人間自身が二つの世界によって出来上っていることは当然のことであります。』〈原典算命学体系より引用〉

 

❷通常の人間を占う視点と異なり、その肉体(有)の置かれている現実視点をいったん外して、霊魂側(無)からどう生きるのかという霊魂主役の視点から宿命を観ようとしています。

 

人間が生きるとは、気が反応し合って変化していくこと(気の融合)

人間の死とは、気が融合によって結合されていたものがバラバラになる=元の一つ一つに還ること(気の分裂)です。

 

❹霊魂は肉体があることによってこの世に存在することが出来ています(陰陽説)。そこに人間の心は二次的に生まれて来ました。。気心体といって、霊魂(気)と肉体(体)の間を心が取り持っています。

○○しようとある気(霊魂)が起こり、それを行動(肉体)を移す時、その気と行動の間に介入し調整役を果たしているのが心で原典では「無形の器官」と表現されています。

 

❺人が生きる条件の「苦によって心の次元を上げること(自然に近づくこと)で、現実的な存在から精神的な存在へと移行すること」とは、下の右の図から左の図を目指していることになります。

 

※画像はスピ算人生論よりお借りしています

 

 

 

❻次元上昇するとどうなるのか?

 

『現実から離れて本来(自然)の○○星に近づいていく形です。

俗にいえば、現実がどうでもよくなる感覚です(現実が価値を失くす)

※画像は算命学研究室よりお借りしています

 

横線現実を離れて、縦線精神の階段を上がることになります。

これが次元上昇。〈算命学研究室より〉

 

 

❼次元上昇するためにはどうすればよいのか?

人間の欲望や願望から抜け出している必要があります。

 

気→心→体の、気にあたる○○星と、要の心の●●星の人間欲や願望を削ぎ落すための、○○星と●●星に起因する現実苦の経験が必須

 

体である▲▲星は、気と心の○○星➡●●星が真の燃焼したあとに現れる世界なので、まずは○○星と●●星の燃焼のための苦難の経験が必要となります。』〈算命学研究室より〉

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ説明不足&まとまっていなくてスミマセン赤ちゃん泣き

随時加筆修正していますにっこり