いま自分の宿命の中で、天中殺の回光条件の「欲望」について、みている最中なのですが、今日はちょっと一時停止して、頭の片隅で少々気になっていることを掘り起こしてフラグを立てておこうと思います。マタダッセン?
天中殺は6つあって、皆それぞれに、どちらかの方向が欠けていて、それはその反対側に傾きを生むという性質があります。
子丑(北)なら午未(南)へ、寅卯(東)なら申酉(西)へと傾きます。
欠落(天中殺)が欲望を生んでいる状態、なのですが、
どちらに傾くにしても、○○がほしい、△△を手に入れるぞと、無形の欲望にしろ、有形の欲望にしろ、それを手に入れることを願って突き進むことになるわけですが、
それを手にしたとき、はたして人は幸せを感じるのでしょうか?
人は欲ばりなので、ひとつ手に入れたら、じゃあ次はこれ!と、次々と欲しくなるのが人間です。っていうか私です
手に入れるまでは、必死&苦しいので、幸せを感じるとしたら、手に入れたその瞬間しかチャンスはないと思うのですが、それが果たして「幸せ」というものなのか、それとも幸せを感じることなく、更につぎの欲望を生んで、永遠に必死&苦しいのか。
何が言いたいのかというと、幸せって何だっけ?です
『相生を無意識の中に起きる現象、相剋を有意識の中で起きる現象としてとらえます。(中略)全編を通してこの考え方は思想の根元を成していて、そこに幸運と不運を導入させ、不運の定義を『常に意識して人生を渡ることである』としているのは、算命学独自の発想であります。
それに対し幸運とは、特別の意識がなく自然のままに過ごせることを言うわけで、自己の幸運を意識したとすれば真の幸運とはいえないわけです。』〈原典算命学体系2巻〉
そうなると、ほしいものを手に入れた瞬間は「やったー」ってむちゃくちゃ意識をしていることになるので、真の幸運とは言えないってことになりますね~。
そうなると、幸せ、幸福、幸運、、というのは、今この瞬間は、感じることが出来ないってことです
無意識なので「あぁ、あの頃は、あの時は幸せだったなぁ~」と過去を振り返った時にしか幸せって感じられないもの!、ということになります
手に入れた瞬間の「やったー」は、瞬間の喜びの意識ではありますが、それは意識ゆえ、算命学では幸せの中には入りません
ということなのですねぇ
アリャマ
その瞬間は喜びでも、次の瞬間地獄に落とされるってこともあるかもしれませんし、瞬間では、幸福、幸運は語れません。ナ、ナント
でも、ということは、、、、
皆「いま」が「幸せ」を感じていないなら、幸せそうな人をみてうらやましがる必要はないってことですよね?
もちろん、自分が欲望しているものを持っている人をみると、「いいな~」ではありますが、それでも、その人自身、その瞬間は幸せを感じてはいないのだから、、、、
あまりにも私、自分が選んだにも関わらず、卑屈な時間が長すぎて、自分以外はみんな幸せに見えていた時期が長かったので、こんなことを話題にしてしまうのでしょうか?
今もまだ卑屈根性が抜けてませんねぇスミマセンホントニ
ということはですよ、、、幸せってなんだっけ?の答えは、、、、
幸せって言うのは、つねに過去の中にあって、振り返って浸って感じるものです。
そして何も感じない無意識の中に幸せはあるのですが
『無意識の中に幸運をつかんでも、神に対する感謝は有意識の中で行いなさい、ということであります。そしてまた、新しい幸運を得るべく前進する時は、無意識の中で受け止めて下さい。』〈原典算命学体系より引用〉
振り返って幸せを感じた時に、神さまに感謝の気持ちを忘れずにってことですね
まちがい・かんちがいは多々
そのうえ自論&推測のおまけつきの上
同じことをなんども繰り返し
考え方も変化し続けております
勉強中につきご容赦ねがいます
<(_ _)>
記述のない『青文字』内、図、グラフ等は
青龍塾の講座より引用しています
<(_ _)>
『紫色の文字』は原典算命学体系より
引用しています
<(_ _)>
現実的な存在から精神的な存在へ
というプロセスを経ることが
生きるための条件のひとつ
ー青龍塾スピリチュアル算命学よりー
一人ひとりの命に宿された天の真実を
宿命という
運勢とは
天が用意したその宿命が旅する
人生のみちしるべ
![指差し](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/602.png)
❶人間は、人間=肉体(有)+霊魂(無)
この書き方は少し違う誤解を生んでしまいそうなので、、、
『人間とは、肉体と霊魂の合体によって構成されているものであります。
天地自然の法則が陰陽二つの要素で形成されているとすれば、人間の存在も自然の法則の一つなのですから、人間自身が二つの世界によって出来上っていることは当然のことであります。』〈原典算命学体系より引用〉
❷通常の人間を占う視点と異なり、その肉体(有)の置かれている現実視点をいったん外して、霊魂側(無)からどう生きるのかという霊魂主役の視点から宿命を観ようとしています。
❸人間が生きるとは、気が反応し合って変化していくこと(気の融合)
人間の死とは、気が融合によって結合されていたものがバラバラになる=元の一つ一つに還ること(気の分裂)です。
❹霊魂は肉体があることによってこの世に存在することが出来ています(陰陽説)。そこに人間の心は二次的に生まれて来ました。。気心体といって、霊魂(気)と肉体(体)の間を心が取り持っています。
○○しようとある気(霊魂)が起こり、それを行動(肉体)を移す時、その気と行動の間に介入し調整役を果たしているのが心で原典では「無形の器官」と表現されています。
❺人が生きる条件の「苦によって心の次元を上げること(自然に近づくこと)で、現実的な存在から精神的な存在へと移行すること」とは、下の右の図から左の図を目指していることになります。
❻次元上昇するとどうなるのか?
『現実から離れて本来(自然)の○○星に近づいていく形です。
俗にいえば、現実がどうでもよくなる感覚です(現実が価値を失くす)
※画像は算命学研究室よりお借りしています
横線現実を離れて、縦線精神の階段を上がることになります。
これが次元上昇。〈算命学研究室より〉
❼次元上昇するためにはどうすればよいのか?
『人間の欲望や願望から抜け出している必要があります。
気→心→体の、気にあたる○○星と、要の心の●●星の人間欲や願望を削ぎ落すための、○○星と●●星に起因する現実苦の経験が必須
体である▲▲星は、気と心の○○星➡●●星が真の燃焼したあとに現れる世界なので、まずは○○星と●●星の燃焼のための苦難の経験が必要となります。』〈算命学研究室より〉
いろいろ説明不足&まとまっていなくてスミマセン
随時加筆修正しています