父親というもの | カズモのロックなブルックリン▪︎ライフ!

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ブルックリン在住のシンガーソングライター、わたくしkazmo grooveが日々の暮らしや感じた事を綴っていきたいと思います。

オレには本当に素敵な父親がいた。

 

なんと恵まれた境遇だろうか。

 

これは宝くじで何千万円当たることよりも素晴らしい事だ。

 

金なんかどうだっていい。

 

人としてどうあるべきかだ。

 

オレの友達もみんなお父さんだ。

 

みんな素敵なお父さんでいるかい?

 

オレの父親はユーモアにあふれていて、

 

怒ったりもせず、

 

みんなの中心にいる人だった。

 

大好きなお父さんだ。

 

絵を描いていたり、

 

芸術的な面でもかなりの影響を受けている。

 

幼稚園の頃は、仕事が忙しくてあまり会う事がなかった。

 

彼はそれを反省したのだろう。

 

毎週、日曜日には海水浴に行ったり、スキーに行ったり、家族のアクティビティーがあった。

 

楽しかった。

 

それにはとても感謝している。

 

家に古いギターがあった。

 

「新しいギター買ってよ。」

 

そうせがむと、

 

「よし、じゃあ2曲ちゃんと弾けるようになったら新しいギターを買ってやる。」

 

オレは一生懸命2曲覚えた。

 

「お父さん、2曲弾けるようになったよ。」

 

「おお、じゃあギターを買ってやろう。」

 

ヤマハの5万円のギターを買ってくれた。

 

その日からそのギターを弾きまくった。

 

うれしくて、うれしくて、しょうがなくてね。

 

そのギターで、中学の文化祭に出演した。

 

高校からはバンドにも加入した。

 

「おお、お前がやりたいようにやれ。」

 

父親は全てにオープンだった。

 

そして東京に上京。

 

挙句の果てにはロンドン、ニューヨークに行く事に。

 

その全てをサポートしてくれた。

 

ある日、彼はオレに語った。

 

「オレは戦後の生まれ。何にもモノがない時代に育った。家や車、冷蔵庫が欲しかった。だから、オレはモノを手に入れる事に執着した。でもお前はもうモノがあふれている時代に育った。だから、自分のやりたい事に向かえばいい。オレがサポート出来ることはすべてしてやる。」

 

そんな風にオレは背中を押され、海外に旅だったのだった。

 

オレは25年もニューヨークに居続け、バンドをやっていた。

 

その間彼に会うことはなかった。

 

そんな時に母親からメールが届く。

 

「悲しいニュースがあります。お父さんが亡くなりました。」

 

ああ、とうとうその時が来たか。

 

哀しみを封じ込め、なんとか仕事に行った。

 

でも二日目には哀しみを封じ込めることは無理だった。

 

一週間、仕事を休んだ。

 

トイレで泣き叫んだ。

 

父親は一家の大黒柱というが、その通りで、自分を支えていた何かが突然なくなったように感じた。

 

でもその状況に慣れ、普通に生きている自分がいる。