ビートルズ | カズモのロックなブルックリン▪︎ライフ!

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ブルックリン在住のシンガーソングライター、わたくしkazmo grooveが日々の暮らしや感じた事を綴っていきたいと思います。

ホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトが、ビートルズの曲のイントロを1秒聴いただけで、曲名を当てる、というのをやっていたけど、オレも多分ほとんどわかるんじゃないかな。

彼も一曲間違っていた。

 

幼いころ、父親のレコード棚から適当なレコードを抜き出してかけていた。

 

マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレット、石原裕次郎。

 

裕次郎はよく聴いたので、今でも彼の曲は何曲かカラオケで歌える。

 

ああ、あと彼はウエスタンとジョン・ウエィンをこよなく愛したので、こんなシングルもあった。

 

DEAN MARTINディーン・マーティン/My Rifle, My Pony And Meライフルと愛馬 c/w Rio  Bravoリオ・ブラボー/7'. .Yahoo Japan Auction. Bidding &amp Shopping Support &  Deputy Service- Japamart

 

そのレコード棚には何枚かビートルズのレコードも混じっていた。

 

確か、「ラバー・ソウル」、「アビー・ロード」、そして「ハロー・グッドバイ」のシングル。

 

 

 

 

父親によると、「初めて聴いた時は全然好きじゃなかった。ちゃらちゃらした音楽に女の子がキャーキャーわめいているだけの印象だった。」

 

「でもラバー・ソウルを聴いた時その印象が変わった。え?これあの同じグループ?その頃からビートルズの音楽を真面目に受け取るようになった。」

 

でも幼い頃のオレに「ラバー・ソウル」や「アビー・ロード」、ましてや「アイ・アム・ザ・ウォルラス」を理解するのは無理だった。適当に聴いて忘れてしまっていた。

 

時は経ち、オレは中学一年になっていた。

 

同じクラスの林君。(彼とは庭球部でダブルスのペアを組む事になる。)

 

彼も音楽にすごく興味がある男で、毎晩ラジオでいろんな曲を聴いていた。

 

ある日彼が訊いてきた。

 

「ねえ、ビートルズって知ってる?」

 

「ああ、知ってるよ。」

 

「どんな曲が良いの?」

 

「そうだね、イエスタデイとかレット・イット・ビーとかじゃない?」

 

オレはたまたま頭に思い浮かんだ曲を言った。

 

「その曲が入ってるレコード持ってる?」

 

「もちろん!」

 

オレは嘘をついた。ちょっと音楽通だ、というフリをしたかったのだろう。

 

「じゃあ、そのレコード貸してよ。是非聴いてみたいんだ。」

 

「いいよ。」

 

オレはナケナシの小遣いを片手に駅前のレコード屋に訪れた。

 

イエスタデイとレット・イット・ビーが収録されているレコードを買いに。

 

血眼になって探すと、あった。東芝EMIから出ている編集版が。

 

 

ありがとう、東芝EMI!

 

2800円ぐらいだったかな。

 

即座に買って、一回も聴かずに次の日、学校に持っていって林君に渡した。

 

「どうぞ。」

 

「おお、ありがとう!」

 

2週間後、林君がレコードを返しに来た。

 

「ありがとう、このレコード最高だよ!」

 

興奮した調子で話していた。

 

「どういたしまして。」

 

でも、オレはまだこのレコードを聴いた事が無い。

 

そんなに良かったのか。

 

オレも聴いてみるか。

 

家に帰って、このレコードに針を落とした。

 

「おお!、おおお!」

 

その瞬間からこのレコードの虜になった。

 

毎日聴いた。

 

それからビートルズのレコードを全部買った。

 

当時、ビートルズのファンクラブが日本にもあって、オレと林君はすぐさま会員になった。

 

俺達は山口に住んでいたが、一番近い会合が広島で行われた。

 

広島郵便貯金ホールだったろうか。

 

俺達は毎回参加した。

 

ビートルズの映画もその時に観た。

 

「ビートルズがやって来る、ヤア、ヤア、ヤア」だ。

 

一般的には「A Hard Days' Night」と知られている映画。

 

ジョンがやっぱりいいね。

 

反逆精神とユーモアとインテリジェンス。

 

オレにビートルズを再発見させてくれた、林君には感謝したい。

 

次はストーンズについて書こう。