今日は終戦記念日 | Kazmarのブログ

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一時期うだるような暑さに耐え忍んでいたのだが、78回目の終戦記念日である今日は幾分過ごしよいようだ。

 

長崎は気温的には東京と、さほど変わらないが、山に囲まれて緑が多いことが理由だろうか、夕方や、日中でも日陰に入ると心地よいそよ風が顔に当たり過ごしやすい。

 

東京の殺人的な暑さは、アスファルトやビル群のコンクリートに囲まれた都市構造からくるヒートアイランド現象が一番の理由だろう。

昭和20年8月15日の昭和天皇による終戦に関する玉音放送を以て私たちは終戦としているが、国際的には9月2日の戦艦ミズーリ上にての降伏文書調印を以て戦争終結としている。

 

以前にもブログで書いたが大日本帝国政府は国体護持を条件として日本軍の無条件降伏を受け入れて降伏文書に調印しているので、一般的にメディア等で謂われているような日本が連合国に対して無条件降伏をしたということは正しくない。

戦争とは国家の外交手段の一つであり、外交交渉で解決できなかった場合の問題に関して解決しようとする最終手段である。このことは統治権を有する独立国家に等しく与えられている権利と一般的には国際社会で理解されている。

 

そして戦争の対義語と考えられている平和であるが、その意味は秩序が保たれている状態を表している。秩序が保たれているとは国家間においては互いの統治権を認め、その施政が及ぶ範囲を認め合うことである。

 

国内において秩序が保たれているということは、その国家体制が十分に機能していることを意味する。日本の国家体制というものは天皇を国家元首(国民の象徴)とする立憲君主(象徴天皇)制であり、その下で民主的に選ばれた議会が選出した総理大臣に施政を担わせるというものだ。日本における平和とはこの国家体制がうまく機能しているかどうかにかかわってくる。

 

現在の日本は、はたして秩序が保たれているといえるのだろうか?

現政権は、国益とは対米追従と勘違いしているのではないだろうか?そして残念ながらそれはアメリカ政府の意向というよりは、その背後にうごめいているグローバリストたちの思惑に踊らされているのかもしれない。このことは日本の国家体制を危うくすることに帰結することになりかねない。

 

マスメディアは、その本来の矜持である国民の知る権利を守ることをおざなりにして、自身の利益(視聴率や売り上げ)のみを重視したキャッチ―なプロパガンダを垂れ流す存在にしかすぎなくなった。

 

政権与党に対峙する野党は、保守系(維新や国民は本来の意味ではリベラル政党だが)はまだ頼りないにしろ、自公とは違う選択肢を提示しようと試みていることについては評価ができるが、リベラル左派系は昭和時代と変わることなく、今や国政の癌細胞となってしまった。民意を得られない社会主義・共産主義革命の看板はもはや下ろしてしまった方がいいのではないか。

日本共産党は暴力革命を否定し、民主的共産革命を目指すという。

 

民主主義とは多数派である政権与党が少数派の意見も尊重しながら行政を遂行していくものだというのが一般的な考え方だ。これは現与党に限らず野党、社民党や共産党も含めて一致した意見である。

 

それであれば、仮に共産党が一党で政権を取ったとしても、民主的な政権運営を行うのであれば、少数派である保守系の意見も考慮しなければならず、民主的革命など行えるはずがない。彼らの理想を現実化させるためには暴力的な革命=クーデターしか現実的な解はないはずだ。

このような日本の政治状況を総括すると日本の政治は保守とリベラルが対立しているのではなく、国益重視か反国益かで別れてくることになる。国益重視している議員を見つけ出すことは簡単だ。憲法九条の改正とスパイ防止法の制定に積極的な人たちだ。

 

それ以外の議員が反国益派とは必ずしも言えないかもしれないが、交戦権が国際的に認められた独立国家の権利と考えるならば、憲法九条改正を認めない人たちは反国益派と考えざるを得ない。

ソ連崩壊後に流出したヴェノナ文書の解析が進み、第二次世界大戦がどのようにして起こったのか全貌が徐々に明らかにされつつある。それが示すところは第三インターナショナル=コミンテルンの暗躍だ。

 

日本においてはナチス党員であるリヒャルト・ゾルゲや朝日新聞社員尾崎秀美らがコミンテルンの指示により日本を対米開戦に向かわせたことは戦中より理解されていたが、ヴェノナ文書では当時の近衛文麿内閣やフランクリン・デラノ・ルーズベルト政権下にもコミンテルンが深く入り込み、日米開戦に向かわせた状況が明らかになりつつある。

このような過去の反省を踏まえるのであれば、独立国家にはスパイ防止法は必要不可欠である。反対勢力は、どんなにきれいごとを言おうと他国の国益を重視した勢力であることは間違いないだろう。

 

私は戦争がない社会、核なき社会の実現を目指すことについて異論はないが、グローバリストたちに都合よく国政をかき乱され、中朝露の賛同者たちに世論を誘導されている日本が真の意味で独立国家になるためには憲法九条改正とスパイ防止法は必要であると考える。

 

日本の足腰をしっかりしたうえで如何に平和を希求するかを考えればよい。

 

そのためには国益を考えていない議員には退場してもらうしかないだろう。

この世界には普遍的な正義というものは存在しない。正義とは個々人の倫理観によるところが大きい。倫理観は個々人が属する文化や宗教に基づいている。

 

国際人という理想を追いかけたい気持ちは理解できるが、文化的倫理観をなくしてしまうと、人は欲望に流されてしまう。ビッグモーターの社員たちがいい例だろう。日本人としての倫理観が欠如した人間とは一般的に言えば悪である。

 

逆にイチローや大谷翔平がアメリカで尊敬されるのは日本人としての文化的背景を保ちながらアメリカ社会に溶け込んで成功したからである。

国際社会の中で30年後も私たち日本人が日本人として重要な位置を保つためには、和心を大切に保ち続けねばならない。そのためには日本が日本であり続けなければならない。今、私たちに必要なことは、そのような自覚をもって行動している個人や議員、メディアや会社を応援することだろう。

 

第二次世界大戦での日本人犠牲者は、はっきりとした数字は出ていないが軍民合わせて3百万人前後であった。

 

私たちは如何にしてコミンテルンやグローバル勢力により戦争に向かわされてしまったかという現実を直視しなければならない。その上で反省すべきところは反省すべきだろう。

 

78回目の終戦を迎えるにあたり何か言いたかった。

 

安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから