歳末の名古屋駅バスターミナルを発着する高速バス大バザール | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

皆さん、明けましておめでとうございます。

平成26年の最初の記事として、年の瀬も押し迫った12月29日の夜の光景を御紹介させていただきたいと思います。

僕は名古屋駅バスターミナルにいました。

 
 
 

ちょうど、夜行バスの出発が重なる時間で、長距離高速バスの出入りがひっきりなしに続き、帰省客を含めた様々な乗客がたくさんひしめいていました。
僕もまた、バスの利用者の1人でした。

年末年始の帰省ラッシュって、混雑するし、渋滞でバスは遅れるし、うんざりする方も少なくないと思うのですが、でも、どこかお祭りのような華やかさや一体感があって、僕は嫌いじゃないんです。
どこか、心がウキウキしてきまして。

まあ、バスターミナルに足を踏み入れれば、いつもゴキゲンなんですけどね。

 
バスターミナルに着いて、真っ先に目に飛び込んできたのは、21時発岡崎・豊田経由東京行き「ドリームとよた」号でした。
まだ名古屋駅バスターミナルが反対側の桜通口のせせこましい屋内にあった時代、この路線の開業直後に初乗りした日のことは、今でも覚えています。
JR東海バスが初めて高速バスに2階建て車両を導入したのは平成3年の7月、「ドリームなごや」に対してでしたが、その1週間後に開業した「ドリームとよた」も、初めから2階建てバスでした。
そして、僕が初めて乗った2階建て夜行バスが、この路線だったのです。
車内の構造の物珍しさ、窓の高さから来る眺望の新鮮さに、わくわくしたものでした。
名古屋まで、直行の「ドリーム」だったら7時間くらいの区間を、豊田や岡崎など、愛知県内の各地に寄ってから東京へ向かうため、9時間くらいかけて行く路線です。
それでいて、案外、名古屋から乗る人が多かったのも意外でした。


  
 
「ドリームとよた」を見送ったあと、駅ビルでちょっと1杯やりまして、戻ってきたときに入線していたのが、22時30分発「広島ドリーム名古屋」1号です。
昔は「セレナーデ」という名前でした。
今でも時刻表には「広島ドリーム名古屋(セレナーデ)」と書いてあります。
なぜ、広島と名古屋を結ぶバスが「セレナーデ」なのかは当時からわからないのですが、「広島ドリーム名古屋」なんて、少し即物的すぎませんかねえ。
わかりやすいのは確かですけど。
広島到着は翌朝7時25分。所要9時間の旅です。


 
東京を17時00分に出てきた超特急「東名スーパーライナー」23号が到着しました。
23時到着予定で、順調に走って早めに到着した可能性もなきにしもあらずなのですが、あとで出てくる他の到着路線が軒並み遅延していましたから、このバスだけ順調だったというのも変な話でして。
そうすると…
時刻表を見ると、その前のJR東海バス担当の超特急は東京14時30発・名古屋20時22分着予定の21号。
ひええ、2時間遅れの便だったりして。
心なしか、降りてきた方々のお顔が、げんなりしていたような。


 
 22時30分発「ドリームなごや・三河」号。
三河安城・岡崎経由東京行きです。
平成21年に登場したばかりの新顔です。
こちらも、「ドリームとよた」と同じく愛知県内のあちこちに寄ってから行く東京行きですが、やはり名古屋から乗る人が少なくありませんでした。


 
乗り場の向かい側には、元祖「ドリームなごや」号が空きを待ってバースで待機中です。
屋内の乗り場だった時代に比べて、こちらは余裕があるターミナルですよね。


  
別の角度から撮影した、右から広島行き、横浜・TDR・西船橋行き、東京行きのそろい踏み写真です。
背景にきらびやかに見えるのは、名古屋駅の新幹線ホームですね。


 
先ほどの東京からの超特急バスが乗客を降ろし終わって回送され、その後にようやく入線できた22時45分発東京行き「ドリームなごや」号です。
本家「ドリーム」として、昭和44年以来の長い伝統を誇る老舗路線です。
昭和60年代、昔の4列シートのいわゆる「国鉄形式」の旧型車両時代に利用したことがある自分としては、この3列シートのダブルデッカーを見ると感無量です。


 
こちらは、 22時40分発横浜・東京テレポート駅・TDR経由西船橋行き「ファンタジアなごや」です。
平成元年に登場し名古屋と横浜の間を結んだ「ラメール」という美しい愛称の夜行バスがありましたが、大都市同士を結ぶ路線であるにも関わらず平成20年に運休してしまいました。
4列シートだったのがいけないのかな、とも思いましたけれど。
平成14年から名古屋と西船橋・TDLを結んで走り始めていた「ファンタジア」が、「ラメール」運休の半年後に横浜を経由するようになったのです。
僕は「ラメール」は乗ったことがありますが、「ファンタジア」は未だ乗ったことがありません。
新幹線でわずか1時間半もかからないような区間を夜行バス、というのは、逆に機会がないものですね。

この夜は、出発間際に若いお兄さんが焦りまくった表情で警備員さんに何やら相談を持ちかけ、警備員さんが運転手さんに伝え、3人で考え込んでいました。
よく話は聞こえなかったのですが、お兄さんが見送るべき乗客がまだ来ていない、というような内容だったようです。
そのあとどうなったのかなあ。
他のバスを撮影している間に、数分遅れで「ファンタジア」は発車していきました。


 
 
 
こちらは、23時発大阪・USJ行き「青春大阪ドリーム名古屋」です。
岐阜駅・大垣駅・草津駅・京都深草バスストップ経由で大阪駅まで所要7時間あまり。
この路線が出来たのは平成23年ですが、驚きましたねえ。
名古屋と大阪の間、新幹線なら1時間とかからない区間、近鉄特急でも2時間程度の区間を夜行で結ぼうというのですから。
乗る人なんているの?と思ったものです。
しかし、逆転の発想とでもいうのでしょうか。
名古屋、大阪に夜遅くまで滞在したい、その間を安く移動したい、という若者を中心に、根強い支持を受け、人気路線として推移しているようです。
「青春」という愛称を冠しているからには、当然4列シートですが、この日も満席のようでした。


 
JRバスばかりが並みいるターミナルに、居心地が悪そうに客を降ろし、そそくさと出て行ったのは、高山を19時に出てきた 「ひだ高山」号名鉄便です。
昔、昭和7年から運行されていた名鉄から高山本線に乗り入れる列車がありました。
後に急行「たかやま」、昭和45年には特急「北アルプス」と改称されています。
大切な観光資源である高山へ、自社の車両で乗り入れることは、名鉄にとって重要な商法だったようです。
国鉄のディーゼル特急「キハ82系」に似た自前の特急車両「キハ8000系」を調達し、それが老朽化した時には新型車両「キハ8500系」まで更新した名鉄ですが、平成13年に「北アルプス」は廃止されてしまいました。
それは、国鉄、そしてJRのダイヤに割り込んで便利な時間帯の運行ができなかったなどという事情もあるようですが、東海北陸自動車道が開通して、平成12年からは自社の高速バス「ひだ高山」号でお客を運べるようになったからというのも一因だったと聞いています。
鉄道ファンだった子供の頃は、ディーゼル特急まで開発してしまう名鉄って凄いなあ、と感心していたものでしたから、この「ひだ高山」号を見ると、どうしてもキハ8000系の「北アルプス」が重なって浮かんでくるのです。

さて、この夜に見かけた「ひだ高山」号は、本来なら21時40分着予定ですが、約1時間の遅れでした。
この日、実は東海北陸道は大雪で50km規制・チェーン規制が出ており、それも遅れの原因だったかもしれません。
バスは当然スタッドレスタイヤを履いていますが、他の車はチェーンを巻いてスピードを出せないことも多く、東海北陸道は対面通行で追い抜きもままならないことがありますから。


 
 
こちらは、23時発徳島・松山行き「オリーブ松山」号です。
1階席は女性席と書かれていました。
「オリーブ」の愛称は、名古屋から初めての四国行き路線となった平成2年開業の高松行きが最初でしたが、その後「オリーブ」は高松経由高知行きになりました。
平成8年に徳島・松山行き「オリーブ松山」が開業し、高松・高知行きは「オリーブ高知」と改名、1路線が2都市ずつ、2路線で四国4県の県庁所在地を結ぶという形が長くとられていました。
「オリーブ」は「ドリーム」と並ぶJR東海バスのブランドになり得るか、と期待したのですが、元祖とも言うべき「オリーブ高知」はその後季節運行となり、平成19年に廃止されてしまいました。
でも、後輩の「オリーブ松山」は今でも健在です。

しかし、写真ではわかりにくいと思うのですが、行き先表示が「JR松山支店」となっています。
「支店」、珍しい行き先ですよね。


 
こちらは23時発東京行き「青春ドリームなごや」2号。
かつての国鉄形式の「ドリーム」や、先述した「ラメール」に乗った経験がありますから、横4列シートの格安バス「青春ドリーム」も、なんのなんの、どんと来い!とも思うのですが、よく考えてみれば、最後に4列シートに詰め合って乗った経験から、少なくとも十数年以上歳をとっているからなあ。
頑張れ、若者諸君!(←他人事(笑))


 
この写真、少し離れて撮影しているのは、それなりの理由があります。
23時発「青春レディースドリームなごや」2号の乗車風景。
当然、並んでいる乗客も全て女性ばかりというわけでして。
しかも、「青春」ですから、若い女性ばかりというわけでして。
「レディース」ですよ。
ちょっと、近づきがたいですよねえ?


 
23時10分発中央道経由新宿・東京行き「ドリームなごや・新宿」です。
平成10年に「ニュードリーム名古屋」という愛称の中央道経由の夜行バスが開業しました。
中央道経由は「ニュードリーム」、東名高速経由は「ドリーム」、すっきりしているなあ、と感心していたものですが、平成21年に「中央ドリームなごや」に、平成24年に今の愛称「ドリームなごや・新宿」となったのです。
しかも!
下り便は中央道経由のままなんですが、上り便は新東名高速道路経由という奇妙なことになっておりまして。
春日井駅などの停車駅は同じなのですが、どうして上下で経路を変えているのか、よくわからない路線です。


 
 
並んでいる人がみんな若い、23時10発「青春ドリームなごや」4号です。

昔から不思議なんですが、国鉄時代からの普通列車しか乗れない「青春18切符」といい、横4列シートの格安高速バス「青春ドリーム」や「青春昼特急」などといい、どうして格安交通機関にJRは「青春」という名前をつけるのでしょうか?
若い人が主に利用するからでしょうか。
若い時こそ、安かろう・悪かろうで耐えながら旅するべきである、オレもそうだったぞ、という大人の発想なのでしょうか。
逆に、「青春ドリーム」に年配の方が乗っているのかどうか、利用したことがない僕はよく知らないのですが。


 
  
こちらは、23時15分発の東海北陸道経由富山・高岡・金沢行き 「北陸ドリーム名古屋」です。
速度規制・チェーン規制が出ている雪の東海北陸道を深夜に越えて本州縦断するわけです。

このバスが昼便として帰ってくる運用が「北陸道昼特急名古屋」号ですが、こちらは金沢市内で香林坊・武蔵が辻などを経由することと、高岡・富山など金沢以外の街を経由しないことから、名鉄バスセンターを発着する北陸道特急バスと同じ名神・米原JCT・北陸道経由に違いないと僕はにらんでいるんですが、どうでしょうか?

ところで、これまでの記事で、バスの愛称に使われている「なごや」と「名古屋」の違いに気づかれた方もおられると思います。
きちんと合っている表示で御紹介したと思うのですが、漢字とカタカナ、どう使い分けているんでしょうかね?
法則性が僕にはわからなかったんですが。

 
この写真は、午後11時を過ぎたバスターミナル全景ですが、バスの出入りはまだまだ続きます。


 
京都18時30分発の名神高速「超特急」便の到着です。
本当なら20時45分着ですから、2時間の遅れですね。
他の西からの路線に比してずば抜けて大幅な遅延となっていますが、時刻表ではそのあとの京都発の便はJR東海バスの担当ではないので、多分、確かだと思います。


 
東京を16時に出発し、名古屋に22時13分到着予定だった特急便が到着。
約50分の遅れです。
まさか、それより1本早い特急便の12時東京発ではない、と、思う、のです、が……


  
こちらは大阪USJを18時30分に出てきた「名神ハイウェイバス」超特急便の到着です。
本当なら22時15分着のはずですから、約50分の遅れですね。
ホント、乗客の皆さんも運転手さんも、お疲れ様です。


ここからは、翌12月30日の夕刻に撮影した写真となります。 


ピンぼけして申し訳ないのですが、17時10分発福井行き「北陸道特急バス」名鉄便です。
この時は既に発車時刻を5分以上過ぎていたのですが、まだ乗客が乗り始めたばかりでした。
前述しましたように、「北陸道特急バス」は、駅をはさんで反対側の桜通口に隣接する名鉄バスセンターが始発ですから、周辺の渋滞に巻き込まれて、ここに到着するのが遅くなったのだと思われます。


 
 
こちらは、17時30分発東京行き「新東名スーパーライナー」10号。
東京行き昼行便の最終です。
新東名高速道路を経由して東京までジャスト5時間の韋駄天ぶり。
しかも、東名ハイウェイバス史上初めての、途中停車駅なし。
30分早く出る東京行き超特急「東名スーパーライナー」を途中で追い抜き、東京着はそれより30分も早いのです。

 

こちらは、17時30分発甲府行き「名古屋ライナー甲府」号です。
中央道経由で甲府まで4時間半弱の道のりです。
僕は午前の便に乗ったことがあるのですが、中央道の魅力ある車窓を存分に味わえました。

 
 

このあとも、先に記した夜行便の出発ラッシュの時間帯まで、ひっきりなしにバスの出入りは続いたはずです。
僕は、「新東名スーパーライナー」10号で東京へ向かってしまったのですが。

時間を12月29日の夜に戻します。

名古屋駅太閤通口のバスターミナルはJR東海バスが関わる高速バス路線が発着していますが、隣接する駅前広場には元ツアーバスの集合場所があって、そこも黒山の人だかりとなっていました。
新高速乗合バス制度がスタートしても、このような光景は変わらないんですね。

 

様々な行き先と事業者の案内板が掲げられ、出発時刻が近づくと、係員さんが声をからせながらバスまで引率します。
利用者は、ぞろぞろと、JRバス乗り場の脇を列を作って移動していくのです。


移動先は、名古屋駅と大通りをはさんだ向かい側のホテル前の乗り場です。
ずらりとバスが待機していますね。
駅側にも何台かのバスが停まっています。
 
  
  
発車していく、様々な高速バスたち。

Bon Voyage!

さて、皆さん、いかがでしたか?
歳末の風物詩とも言える帰省ラッシュの一角を支える高速バスの姿を、名古屋駅バスターミナルで御紹介させていただきました。

年末年始の民族大移動。
それが滞りなく繰り返されるというのは、僕らの国が平和で安定していることの証だとも思うのです。
多忙な日常から離れて、久しぶりに故郷の実家で待つ家族の元への旅。
混雑や渋滞は大変ですけれど、でも、素敵な光景だと思いませんか?

僕も、12月29日の夜、金沢で療養中の母の元へ、「北陸ドリーム名古屋」で向かいました。
翌日、とんぼ返りだったのですけれど。
その模様は、後日、御紹介させていただきたいと思っております。

最後に、僕のお気に入りの写真でしめさせていただきます。

平成26年が、皆様にとって良き1年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

 

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