中村哲さんへ、もう一度だけ‼️ | 宇宙の森探索

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【追悼】
↑↑
において
僕の書いた「孤独」という表現に関して
もしかしたら
誤解を招く可能性があるかと
思い当たり

蛇足を承知で
もう一度だけ加筆したいと思います





アフガンに対する彼の貢献は
この先ますます評価され
その事業は継続されていくだろう
だとしても
中村さんの人生は
彼だけの人生である

アフガンに生き
アフガンに散った中村哲さんは
どこに生きて
どこで死んでも孤独である

私たちは絶対的に孤独である

(追悼・中村哲さん、アフガンに逝く
より引用)



中村哲さんが
その人生において成しとげた仕事は
どれほど称賛の言葉を重ねても
語り尽くせるものではない

彼は
今この世界において本当に稀にみる
偉人である

彼が日本人であったことは
私たちにとっても
これ以上ない誇りである

しかし
中村哲さんの真の凄みとは
奇跡のように蘇ったアフガンの緑だとか
大きな重機を操る勇壮な姿だとか
彼がアフガンに縁もゆかりもない
一人の東洋人だったことでもない

彼の人生の凄みとは
あの信じられないほどの仕事を
医師として全うしたということだ

人の命を救う為に
高度な医療機器や薬品が必要であるなら
彼はそれを用意しただろう
けれど
かの地アフガンにそれは無い
アフガンに必要なのは
清潔な水

それさえあれば
多くの命を救える
ならば
私は医師として
清潔な水を彼らに提供しよう

中村哲さんはおそらく
情緒的な感性ではなく
非常に合理的な思考によって
そう結論を導き出し活動していたはずだ
その意味で
彼は間違いなくリアリストである

一人の医師として
彼は自ら医の領域を果てなく拡大し
その可能性と共に
限界をも世界に知らしめた

日本という村社会の常識を超え
地位や名誉や経済的な豊かさや
そんな世俗的な価値を
顧みず
彼は
医師として
医の道を志した初心のまま
自由に生きたのだ

自由とは
孤独の別名である

そして
自ら選んだ自由の中で
目的を定め
それに向かうとき
人は孤独であっても
けっして
寂しくはない

現地アフガンに限らず
たくさんの仲間に囲まれ
日本にも多くの賛同者がいた彼は
その意味においては
孤独ではないだろう

僕の感じる彼の孤独とは
自分の人生を生き抜く覚悟を決めた
人だけが持つ
孤高の震えのことだ

息を引き取る瞬間
中村哲さんの脳裏に何が写ったか
それは
僕にはわからない

ただ
彼の見た最後の風景に
彼の愛した
アフガンの緑が揺れていてほしい


祈るだけです



あらためて
ご冥福をお祈りします



さようなら