父が亡くなった。父の夢を見た
10時9日(月)未明、父が亡くなった。79歳だった。このことについてはまた後日書こうと思う。今日は、さっき見た夢の話を書きたい。昼過ぎ、私はお昼寝をした。父が亡くなって以来初めて、父の夢を見た。以下、夢の話。亡くなった父が、お昼寝をしている私の元に来た。私は、なぜか口がうまく動かず、話しにくかった。自分が死んだことを、父は少しだけ悲しんでいるようだった。私が、「でも、身体から抜けて、楽になったでしょう?ずっと苦しかっよね」と言うと、父はパッと明るい顔をして、「うん!すごく楽になった!」と言った。二人で抱き合って泣いた。私は泣きながら父に、「最後の頃、優しくしてあげられなくてごめんね」と謝った。父は、「これから祈りにいかんといけん」と言った。私が、「どこに?誰と?」と聞くと、父は、「わからん。でも、何とか一人で行くが」と言った。サアラさんの情報によると、幽界のトラップは2018年の6月に完全に無くなった。だから父も今ごろは無事アストラル界に行けているはず。祈りに行くってどこへ行く気だろう?大丈夫だと信じてるけど…どうか、父がトラップにハマりませんように。ようやく輪廻の輪から抜け出せるチャンスがやってきたんだから。目が覚めたら、すぐに内容の大部分を忘れてしまったので、ここに書いたことはごく一部。夢ではあったけど、私の妄想の産物ではなく、実際に父が来てくれたんじゃないかと思う。父は3次元の世界から自由になったんだから、意識(?)で私のところに来るのは可能だろうから。これはうちの庭の柿の木。枝にブランコが下がっているブランコは、子どもたち(父からすると孫)が小さい時に、父が作ってくれた物だ。私と姉が子どもの時もブランコを作ってくれた。木のブランコ、赤い木のブランコ、竹のブランコ…いろいろ作ってくれた。このブランコで姉や友だちとたくさん遊んだな。父が子どもの時は、父の父(私の祖父)が、やはりこの柿の木にブランコを作ってくれたらしい。子どもが大きくなるとブランコは外す。柿の木にブランコを付ける、外すの繰り返しを、75年くらいしていることになるのかな。2018年頃から、父の認知症がどんどん進んだ。いろんなことが次々とできなくなって、最後に趣味の散歩だけが残った。入院前の2021年頃からは、散歩に出ると、家の塀の端まで歩いてすぐに帰って来て、部屋に座ると、さっき散歩に出たばかりだということを忘れて、またすぐに散歩に出る。一日中それを繰り返していた。散歩から帰ると、いつもこのブランコに腰掛けて、小さくブランコを揺らしていた。お父ちゃん、今年も柿の木に実がたくさんついたよ。柿を取って、二人で合わせ柿を作ったり、干し柿を作ったりしたよね。私一人では、作る元気が出ないよ。どうか、父がちゃんとアストラル界へ行けていますように。そして、もう二度と、痛い思いも辛い思いもしませんように。今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。