「希望の炎」 | 神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝 

神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。

 昨日のオンライン夏至祭特別護摩では、迫真の火柱が立ち上がりました。神道では夏越大祓(なごしのおおはらい)が営まれますが、ちょうど950回目になった夏至護摩でも十分に罪穢れの祓いができたように思います。今回は護摩の後、うちの魔女がいきなり自動書記を始め、大事な神示を頂きました。二人きりで巨樹や巨岩の前で祈る時、自動書記をすることがありますが、多くの方が参加している護摩では初めてのことでした。その中に以下のような言葉も含まれていました。

 

 ただここにいる己を信じ、生き抜くことを誓いなさい。

 

 弘法護摩はつねに「希望の炎」でありたいと思っていますが、その通りの言葉でした。一部の写真には白蛇が顔を覗かせており、夏至の炎は財宝をもたらすという故事を思い出しました。

 次回は8月12日(祝)11時に、オンライン盂蘭盆特別護摩を予定しています。ご先祖の供養のために、できればご仏壇の前でご参加下さい。(供養料1万円)なお、明日13日13時から箱根の名勝神仙郷で「いのちの研究会」シンポジウムです。五人の学者が〈いのち〉について語り合います。