義援金が適性に使われなかったとして寄付者が提訴 | なぜぼくらはおいていかれたの 

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2011年の震災後、どうぶつたちを助けてほしいと多くの義援金が集まったという。(6億円以上というが、正確な金額は私個人はわからない)

これらは、置き去りになった犬や猫を救った団体に分けられたそうだが、実際はなぜか救うことに尽力した全ての団体や人たちにいったのではないようだ。
私はそのことを今でも不信している。
あの混乱の中、政府や自治体の確たる責任者、指導者もいないなか、動物救助に力を尽くした方々の苦労は並大抵のことではなかったはずだ。

なぜ公正に義援金が使われなかったのか。
その選択の基準は何だったのか。
特に家畜を守ろうとした人たちへの冷遇はあまりに非人間的でむごいとしかいいようがないではないか。

ペットやどうぶつの命の問題は、単に個人個人が好き、嫌いで決めるレベルのことではなく、教育や福祉に並ぶ意味のあることでしょう。
それを徹底して個人の好き嫌いのレベルで封じ込めた原発事故後の国と自治体のあり方は貧しく本当に失望した。
この義援金の問題もまさにその貧しさ、貧相さを露呈させたひとつだろうと思う。

などなどそれやこれやの視点から、今回提訴する人たちが顕われたということは当然だし、動物たちに関わる意識を考え直すという上で素晴らしい兆しだと感じる。

↓がその記事の出ているURLです。
http://mainichi.jp/select/news/20140717k0000e040228000c.html

※こんなことわざわざ言わずもがなですが、私は以前から義援金の使い道について、不信感を出していますが、自分の給餌活動に対してそれを望んだことはありません。

家畜、ペットを含め、動物の保護、救助、命の存続という難しい活動にあたっている人たちに、なぜ氷の底に立たせているような対し方をするのか、という思いと、見捨てられた動物たちへの切実な哀れさからの気持ちで言っています。

そして現在、これからでも、今後の動物たちの問題を、生かすという方向で土台作りをしてほしい、そこに義援金を役立てることはできないか、と強く願っています。

今回の提訴に誠意をもって応えてあげてほしい。そのことを祈ります。