おはようございます。


私は大分以前から、「もし自分が動物愛護の活動をするなら、紙芝居や絵本や舞台を通して、こどもたちに伝えていきたいな」と思っていました。


行政と連帯しての具体的な活動や法律作りはとても大事に思っていますが、自分にはそういう活動をする能力がないので、行動している個人や団体の応援を陰ながら応援して(といってもカンパをする力もないもんですから、応援らしいことはできなかったのですが。すみません)、自分は独りで、紙芝居などをもって、こどものいる場所にまわっていければ、と思っていたのです。


理由は、身近な動物との共生や愛護というものは、大事なのは、人それぞれの心のうちにそだっていくことが大事なのではないか、と思うからです。

私自身、こどもの頃、カエルやバッタなどを友達とつかまえてひどいことをしたことがあります。

それが、「ああ、カエルもバッタも命があって心もあって、痛いとか苦しいと思うのだ、私はひどいことをした」と心からわかったのは、当時の継母(私の実母は戦争で早世し、戦争から生還してきた父が再婚をしたのです)が、川でかにの卵をはじいて遊んでいた私を、『かずちゃんっ、それはカニの赤ちゃんなんよっ、あんたは赤ちゃんを殺したんよ、赤ちゃんカニもお母さカニも、どれだけ苦しくて、辛かったやろう、可哀想に!!』と、それは激しく叱ったのです。


あの瞬間の、魂に突き刺さった真実の刃を私は今も忘れないのです。あの継母はまもなく非業の死をとげましたので、なおのことあの母との出会いと、生き物の命と心への覚醒は鮮烈に私を形成してくれたと感じるのです。


『こどもに猫も犬も虫も、自分と同じ痛みがわかるんだ』と、じょじょにじょじょにこどもがわかっていったら、生き物への虐待などもなくなっていくのではないだろうか・・・とそう思えてならないのです。


と言いますと、牛や豚は食べるではないか、と思う方もおられるでしょう。

この答えは私にはわかりません。食べるだけではなく、医療の発展なども動物たちにこれ以上はないというくらいの苦痛を強いて、あげく命を奪っています。

このことに対して、私はただただ「動物たちの命のおかげで人類の発展はある。自分も息子たちもそうして生かされてきた」と深く意識し受け入れているだけです。


紙芝居などの表現活動をする上で、動物を食べていること、犠牲にしていることへの思いは、それとして受け止め、堂々と明るく、「犬や猫は家族だよ、友達だよ、同志だよ、心がつながりあえるんだよ。虐待はやめよう」と伝えていきたいです。



そこで、皆様に、アドバイスや意見をいただきたいので、どうかお願いします。応えてくださいませ。


1・会の名前を明るくてかわいいのを、ひらめいたら教えてください。私は「風立つままに」というホームページをもっていますので、「風たつままに 〇○○○」と続けたいのですが、もっとシンプルでメルヘンっぽいのがいいでしょうかね?


2・自分の思うこと、感受するものを形にしたいものですから、まず三冊ほど自分の書きたい作品を原稿化したいと思っています。

★それに絵を描いて下さる方はおられないでしょうか。

★絵がついたら、紙芝居に製作をして下さる方はおられないでしょうか。

その場合の、ギャラを相談しながら提示していただきたいのです。


ボランティアだから費用はいらない、と思われる方もおられると思いますが、私は、何十年も犬猫問題以外のことも含め、ボランティアに殆どをつぎこんできました。

その経緯の中で、『ボランティアは必要経費もなくただつぎ込むだけでいいのだろうか、その精神はいいことなんだろうか、必要経費は最低限であってもみんなでわけ、ちゃんとごはんを食べて活動するのがいいのではないだろうか』と思うのです。(福島行も含め、私は一円たりとも自分のためにカンパなどを使うことはしませんでしたが、困窮に苦しみ、ボランティアとはどうあるべきか、と思ってきました。


こうやって必要な金額がだいたいでもつかめましたら、クラウドファンディングに参加を申し込み、費用を作りたく思っています。

これに関しましても、皆様のご意見を伺いたいです。


今日は、ここまでの提案とお願いです。私は雑人間なので、何をやるにしても成り行きの中で必要と思うことを形にしていき、いつのまにかできていた、という作り方です。(ま、無能もののなりゆきまかせですね。笑)


合言葉は ”なんとかする なんとかなる” です。


ではでは、興味、関心を持たれました方、よろしくよろしく呼応して下さいませ。




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リセット

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小池さんの演説の中によくリセットという言葉が出る。

政治家の目指すリセットってどういうことだろう、難しいだろうな、と思いながら聴いているのだが、実は私も人生をリセットできたらどんなにいいだろう、と思っている。


私はいったいどんだけ自分をエライと思ってるんだろう、なにもかも自分の背中や肩に背負って、荒れ地に荒れ地に足を踏み入れてきた気がする。うぬぼれもいいとこだ。自分にはそれが相応しいと思っていただから。



こどもの頃、ターザンになりたい夢を持ってはいたけれど、村での日常の暮らしの夢は、近所に嫁いでこられたお嫁さんみたいに、ピンクの手ぬぐいを頭にかぶって、稲刈りをしたかった。そのへんにはいつも犬や猫やうさぎやネズミがいて、田の溝にはいもりやカニがいてね。

洗濯は山の入り口に流れているきれいな水の川でね。


学校のともだちが、「一回は東京に行ってみたいのお」というのにも興味がなかった。

家に帰れば見たこともない世界の物語の本があったし、それを見るだけでよかった。


ほかの何もいらなかった。村にいたかった。


村のショチョウさんの息子の私の父が、田畑や山林の自分の有するものを売って東京なんぞに行って事業をはじめ、私の人生はかわってしまった。東京の子なんかになりたくなかった。実母が早世したのち私を育ててくれたばあちゃんに、毎晩ジャングルブックや母子草やりんご追分を読んであげた、あの世界で一番幸せだった日々に戻りたいよ。


くそったれ!大っ嫌いな父親がレールを作ってしまった以後の人生を、リセットしたいよ。


誰もが私の人生を、「後悔なんかないでしょ」「いつも自信満々でうらやましい」ナンタラ言ってた気がするけれど、どんだけ後悔と自信喪失で寂しいだけだった人生さ、と言いたかったかしらねーのかよ。

ああ、リセットしたい。

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ひかりをなぜ病院に連れていかなかったのですか、というご質問をいただきました。

非難や追及などのお気持ちでなく、ひかりへの労わりと行為に対する怒りのお気持に溢れた真実味のある深いメッセージでした。

拝見して、すぐに返信をお送りしたのですが、『このご質問の思いは、ここを読んで下さる方の多くの共有することではないかな』と気づきました。

そこで、返信をここに公開しようと思います。ご質問を下さった方に了解はいただいてないのですが、私が書いた返信だけですので、いいですよね?



・・・↓ひかりをなぜ病院に連れていかなかったのですか、というご質問への私の返信です・・・・・・


真実味に溢れたコメントをありがとうございます。

私もまず、ひかりを病院に連れていきたく思い、いつもお世話になっているところ、何度か診ていただいた病院、住所を見て近隣と思える病院に連絡をしようとしましたが、夜間だったため連絡がとれませんでした。
その間に、ひかりは息をひきとったのですが、

私は正直に気持ちを申しますと、病院で診てやれなかったことに関しては、後悔をしていないのです。
傷ついたひかりを抱き上げた時、ひかりはみーと泣いて身をよじりました。私はこの瞬間、「この子は怯え恐怖しているのではないか!」と感じたのです。そのことが哀れで辛くてなりませんでした。柔らかな敷物に寝かせ、もはや瞼の開けられる目ではなかったですが、顔には光があたらないようにして病院を探しましたが、この子を恐怖と怯えと苦痛を与えないでいられるにはどうしたらいいかと頭はそれでいっぱいでした。

私はもしどこかの病院が受け入れて下さると連絡がついてらすぐ連れていくつもりでしたが、病院はもはや救いの場ではないことを感じ、複雑な想いでした。

ひかりはたいへん静かに死んでいきました。
ふと電話を持つ手を止め、ひかりにそおっと触ると、「ああ、ひかりはいつのまにかあの身体でひとりぽっちで旅立ったんだな」と私は思い、そして、「らくになっただろう・・・」と思いました。

私はどうしたらよかったのか今もわかりません。ただただ恐怖と怯えが可哀想でならなかったです。どうしたらよかったしょう。どうしたらよかったでしょう。あの子がどんな恐ろしい目にあったか、犯人の次に知っているのは私です。その私は何もしてやれなかったです。もし病院に行けたとしても、あの子は新たな恐怖と怯えと苦痛を味わって死んだに違いない、とすら思うのです。私は40年間、そうした猫や犬を置いていかれ(ひかりほどひどいことはかってなかったですが。事故で瀕死の子、餓死した子などなど置いていかれました)、いい獣医さんに恵まれなかったこともあって、救えた子もたくさにたけれど、救えず、『この子の苦痛を私が引き受けるから、どうからくにしてやってください」と神仏に祈ることもありました。
無力でした。本当に無力でした。・・・こうした痛みを引き受けつづけて、私も人間が大っ嫌いになっていきました。

私はひかりを救ってやれなかったこれから、人間への不信と恐れだけで生きていてはだめだ、と私にとっての自分との闘いがはじまっています。

すみません、結局何を言いたいかわからないでしょう。自分でも混沌とし過ぎて考えや感受がまとまらないのです。
でも、ひかりのためにこのメッセージを下さったこと、本当に嬉しかったです。ひかりのために嬉しかったです。そして自分のためにも。・・・こうして私は抑えていたものの一部を露呈させていただいたです。このことは私には感謝です。
本当にありがとうございました。

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ちゃうちゃさま 猫砂ありがとうございます!

WS保さま 猫砂ありがとうございます!

O木M和さま フードをありがとうございます!


お礼の書けなかった皆様 すみません!

玄関内と廊下に置いていた箱を、猫たちが群がり競争でひっかき、文字を読めなくしたりしてしまいました。

まことにごめんなさい。


ドッグフードは、12月いっぱいまで大丈夫なほど送っていただきました。

猫砂も12月いっぱいは大丈夫そうです。

温かい敷物、超温かな毛布もお送りいただきました。抱きちゅーるやバッグなど部屋に置いておくとそれだけで明るくなる小物類なども。


皆様にこんなにご散財とお手間をいただき、申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいです。


ありがとうございました!!!


※それから、アメーバーに招待してくださいました方、申し訳ありません。アメーバーの活動をしていないのです。すみません!

ある動物問題を検索していたら、私の過去のブログ記事が上位に出ていたので、ここに掲載しておこうと思う。別に特別な意図はないのだが、「佐々木は結構過激じゃん」とか、「自分の常識感とはちょっと違うなぁ」など思われる方もいらっしゃるかもしれないし、そうやって人と人は距離をとることもあるかもしれないが、逆に、分かり合えたり、『こういう感性、自分とちょっと違うというだけで、これはこれで普通なのかも』なんて思えることもあるかもしれない。


とにかく人間て、違うことなど出しあうのって悪くない。



・・・・・ここから別ブログの記事二編・・・・・・・・


<MAOlog 風立つままに>より


動物たちのふりーふろあ ☆将棋のK元名人が猫の餌やりで訴えられたこと


動物(生き物)に関わる問題というのは、他のトラブルで起きる問題とは同じ線で語れない微妙な違いがある。だから生き物を擁護する側に立つ人とそれを非難する側に立つ人は、どこまでいっても平行線をを辿るというのが常である。力関係でいうと、圧倒的少数派になる動物の側に立つ人は攻撃の矢面に立つことになる。なかなか理解されにくい。

 

それだけに、動物を守ろうとする人の苦悩は深いはずだ。テレビ報道で見るK元名人は冷静に見えるが、どんなに追い詰められておられるか、とこちらの胸もひりひりする。

 

元名人が、あくまで餌やりを続けようとされるのは、動物愛護というイデオロギーに義をおいておられるのではなく、友を裏切れないからだ。おなかをすかせ、多くの人から敵視される猫たちが、一生懸命自分の餌を待っている、そのことを裏切れないのだ。元名人の義は、ほかの何もいらない、非力な追われる友を裏切れないのだ。それだけなのだ。

 

・・・とこういうと、迷惑を蒙っている人たちはどうでもいいのか! と言う人がいるだろう。

 

そういう人に言いたい。

 

猫の餌やりの問題を解決するのは簡単ですよ。あなたが許せばいいのです。

 

あなたは自分や家族の空腹を満たすために、あなたに出来ることをするでしょう。猫たちもそうしているに過ぎず、人間や飼い猫と違って空腹を満たすことが困難な猫を、K元名人は手助けしているに過ぎないのです。

 

糞や鳴き声がそんなに気になるなら、裁判を起こし、元名人と猫たちを排除しようとするのではなく、あなたがが周りを巻き込んで裁判を起こすエネルギーとお金を、避妊手術や貰い手探しを手伝うという形に使えばもっとも自然な解決ができるのですよ。

 

なぜあなたがたは、なにかというと、少数派を排除して自分たちの満足を得る、という一番安易で社会を悪くする方法をとりたがるのですか。

 

社会を悪くするのは糞だ、鳴き声だ、といわれますか? いいえ、糞や鳴き声はたしかに腹立たしい点はありますが、糞や鳴き声で社会や人の心を決定的に蝕まれることはないと思いますよ。手っ取り早く排除する方法を正義のごとくに駆使する人々こそ社会に陰を覆い人の心をしらずしらずに蝕んでいくのだと思います。・・・と、私が言ったところでなんの説得力はないでしょうが、私は一人になってもそういいます。そう思うからです。

 

少し冷静になって、自分たちが迷惑だと感じる気持ちを、捨てる人にぶつけませんか。捨てる人こそ問題なのですよ。なぜあなたがたは、捨てる人には寛大で、救おうと苦労を背負ってる人を攻撃するのですか。それは、いじめになりかねないというのだとわかりませんか。

 

 今回の問題の起きた土地に住んでもいない私が、事態の全容を知りもせずにとやかく言うのは、失礼だと承知でこう書いているのは、私自身、身勝手な人間に捨てていかれた猫犬たちを抱え、近隣との軋轢に苦しむだけではなく家族崩壊まで追い詰められ、二度の転居を余儀なくされ、多くを失ってきたから、だいたいのことがわかるのです。

 

私もまた、非力で私を頼るしかなくなっている猫たちを裏切ることができなかった・・・というと、家族や近隣を裏切るのはいいのか、という人がいるでしょう。そうです、どちらかを選べと迫られたとき、もっとも弱く庇護者が必要なものをこそ裏切れなかったのです。

 

 今からでも遅くない。加藤元名人と和解をして、手術と貰い手探しと、身勝手な住民に、捨てないように言っていくことをする解決策をとりませんか。しんどくめんどうくさく思われるでしょうが、先には「こうしてよかった」と感じる日がくると思いますよ。

 

攻撃の渦からはなれて、ひとり自分の胸に問うてみませんか。群れて少数派の人と生き物を排除して、自分の平和を維持するか、苦労だけど根本を見直して共生 の道を探るか、どちらが自分が望んでいる平和であるかを。

 

http://d.hatena.ne.jp/maomao2008/20100514/1273767566

 

 

 

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<MAOlog 風立つままに>より 

私の動物愛護考 「アークエンジェルス騒動への私の総括

 

http://d.hatena.ne.jp/kazesk/20061212/1165894733



 


 

    

 昨日、アークエンジェルスの代表の林氏の会見があるというので、日テレの2時前からはじまるワイドショーをつけたのだが、独自のインタビューをやっていて、それがもう既に、林氏を告訴したという元ドッグパーク経営者のOというヤツからテープをもらって聞いた上でのものだとわかったことと、女性のひとりが、「林さんは、他の愛護団体が手伝うというのを拒絶した。つまり、犬の救出活動をひとりじめした。」と顔を隠して言ってるのを聞き、電源を切った。

 

これで全てがわかったからだ。

 

どこかの愛護団体が、林氏が犬の救出に成功したことを妬んで、その貧相な根性で根掘り葉掘りのあら探しをしたのさ。「ひとりじめした」の言葉にそれの全部が出ている。あの絶望的な状況を前に、ひとりじめもふたりじめも大判振る舞いも、そんなことどうでもいいことになるでしょ! 林氏にしたら、とにかく、自分が一番やりやすいようにやっていくことが大事だったでしょう。犬をできるだけ早く救うには、あれこれ回りに気ィ使ってやるより、がんがんやれるようにやっていった方がいいことは想像がつく。「ひとりじめした」と不満をもらす団体は、いつでも誰かのおこぼれをねらっている根性ってことか、どんな時でもグループの仲良し活動をしたい自分をホイホイと持ち上げてもらいたいってことだろう。まったくもって恥ずかしい人らだ。

 

でも、こういう自分が何をしているかわからない人や団体ってのは恐ろしい。自分を恥じることを知らず、根にもっていた。・・・そして、あの、あいつこそ悪の権化であろうと、私には見える、元ドッグパークの経営者、犬たちを、地獄におとし、長い間これ以上の苦痛はないという苦しみを与え続けたOというヤツの腹黒い腹とつるんだのだ。 

 

あの男は、昨日のテレビの中では、「わんちゃんをかわいそうな目にあわせ、皆さんにご迷惑をかけたから、できるだけの償いをしなくては・・・ウンヌン・・・。」といかにも良心の呵責に苦しみながら詫びていると見せかけていたが、あの男は、林氏の社会性の未熟を見抜き、『この男は、今は犬を救ったヒーローに持ち上げられて、本人も調子にのっているが、今に見ておれ。こいつは今にボロを出す。こいつは地に足のついた社会性をもっていず、自分に本当の自信を持ってない幼稚さのある男だ。今にそれが出る。そこを叩けば、こいつを奈落に落とし、わしはまた蘇る。』と、逆襲を虎視眈々と狙っていたのだ。

 

林氏は、Oというヤツに、お金を出させるように仕向けていただろうし、脅しをかけたような仕業もしたのだろう。このことは隠しようはないし、また林氏は、自分のしたことは認めるべきだ。

 

だが、林氏がOにお金の要求をしたのは、私欲ではなかったろうと、私は思う。

 

彼は、あの惨状を前に、経営者やブリーダーを憎悪しただろう、犬たちがあまりに可哀想で。

 

その憎しみが、Oというヤツを追い詰めさせたのではないか、と思う。

 

お金に対する感覚は人それぞれで、林氏の寄付金の扱い方は、そうした彼特有のお金への感覚の表れだろうと思う。私服をこやすとか、騙し取るとかの気持ちはなかっただろうと、思う。

 

もし騙し取るつもりなら、あそこまで徹底的に犬を助けることはできない。

 

林氏は、いくつかの余人と違う特性を露呈させ、それは世間の常識感とズレがあったかもしれないが、彼の、あの犬たちによせた想いは、真に純粋で、怒りにもえ、ただただ救い、犬たちをらくにし、幸せにしてやりたい、これに尽きるだろうと、思う。

 

彼が、常識感とずれない生き方をする人なら、自分の犬でもない犬など救わず、出世に邁進していっただろう。

 

社会性が未熟で、世事にうとく、お金や世事に特有の感覚がある人だからこそ、あれだけの犬たちを救えたのだ。

 

私たちは、彼の癖や個性や感覚のあら探しをするのではなく、あれだけの犬を救って下さったことに、感謝と敬意を持って、それだけでいいのだ。義、ということはそういうことだ。

 

私は断言する。もし、イエスが、今の時代に生きておられ、広島ドッグパークのこの騒動の一部始終をごらんになっていたら、林氏に、「あの犬たちは救われて当然の苦しみを人間から強いられていた。救ってくれてありがとう。」と言われ、林氏の肩に手をおかれただろう。

 

広島ドッグパーク、アークエンジェルスの騒動は、本当に重いものをつきつけてきたのだ。

 

今回のことで、一部の愛護団体と、マスコミがますます嫌いになった。特にマスコミ。今回も最低さを見せたね。

 

先日の夜(10/1)、「玄関前に段ボールを置いた」という公衆電話からの電話。


中に悲惨な姿の猫が。ひかりと名付けたその子は二時間後に息を引き取り、私は警察に届けた。

なんとしても加害者を特定し、その人に、その人の行為がどういうことか、私の人生をかけて知らせなければならないからだ。


ひかりは、命と心を持ち、痛みも恐怖もあなたや私と同じくあるのですよ。ひかりはおそらく人間で言えば10代に入ったところのでしょう。その子の両手の先に直径1センチの穴をあけ、熱湯、いやバーナーかなんかでしょう、その火で顔から背中近くまでをあなたは焼いた。

ひかりの顔は黒くただれ目は開くこともできなかった。

(※両手前足の先の穴は、骨のところまでだった。骨は真っ白だった。綺麗な白でしたよ。ひかりの傷はそれだけではなかった。胸から腹部にかけ刃物で切られていた。内臓は出ていず皮だけを切っていた。私は致命傷はこの切り傷だと思う。よく息があったと思う。率直にいいますと、ひかりは調理をされかけていたのではないか、と想像する。・・・これは私の疑念であり想像です。私はこの疑念が頭から消えなくて死にたいほど苦しいのです)


私はその恐ろしくも可哀想なひかりから目をそむけたかった。

でもそむけなかったよ。なぜるとみ~と泣き身をよじって、二時間も経たず死んだ哀しみのひかりにしてやれることは、見つめ続け、ごめんねごめんねと言い続けることしかできなかった。



今日の警察からの電話は、捜査中であることを告げるだけのものだった。


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あの恐ろしい日から半月が経ちましたが、日が経つにつれて悲しみや辛さや痛みや孤独感が深くなってきます。

ひかりのためにも、動物たちの心のひろさや愛らしさ、生きる姿の自由さ、素敵さのようなことを紙芝居にしてまわっていこうと思っています。


詳細は後日公開しますので、ご助言を下さる方、いっしょにやって下さる方、どうかよろしくお願いします。

選挙のたびに思うのだが、動物行政の改善や建設的な出直しを政策の片隅にでもおいている政党はどこだろう、そういう議員氏はいるだろうか、ということだ。


普段から動物問題を考えている議員はまずおられないだろうと思うが、議員氏個人のダイナミズムが政策の要、核を捉える質を持っておられれば、意外と必要な方向に道筋を立てられるのではないかと期待をしていなくもなかった。


そういう意味で、小池さんの登場は注目に値する、と私は思っていた。小池さんのダイナミズムは素晴らしいからだ。

だがいかんせん、政策の考えの違いは妥協できないから、(憲法や原発再稼働など)もし動物行政に対して自分の考えと近い方向が見えたとしても、一票を投じることはできないなぁと思うのだ。


立憲民主党の出現は、政治への冷めた意識を埋めてくれるものがあると感じている。動物行政に関しては明確には見えないが、そうとんちんかんはないだろうという前提を持てば、政策的にある程度の納得を得られるし、枝野代表の人間性に視野の広さと寛容性を感じるところから安心感を感じる。その安心感は、動物問題に対しても一般の人間の真摯な体感や意見などに心を開いて聴こうとされる可能性を感じるのだ。


それにしても私は民進党、それ以前の民主党の時代は枝野さんを信頼していなかった。規制の内の知識優先の思考に囚われている世俗性を感じていたからだ。


今回、枝野さんはかわった。エラソーな言いかたをして恐縮だが、顔つきからして清々しくなられた。人間て変われるんだ、と自分への勇気のようなものすら感じている。



紙芝居を作ってたとえ一人であっても、こどものいるところにまわりたい、という思いが強くなっていく。

今日、図書館で、「紙芝居の作り方」という本を探していただき借りてきた。なかなか難しそうだが頑張ってみたい。これについては詳細をそのつどブログで公開していきたい。


思うに・・・

テーマ:

お、ブログページが開いた。まったく、パソコンに引きずり回されている。やれんやれん。


開いたついでに・・・織田信長は人生50年と謡いすなわち信長の時代は50年が平均寿命ということなのだろうが、現代は男女ともに80年を越える寿命である。


で、私はその平均の半分を猫犬を捨てられ続け、あたふたして終点間際に来ているわけだが、眠れぬままにそんなことを考えていると、結局自分は人生の成熟を学ぶことなくこの年になり近い将来死んでいくんだなぁという感慨がわいてきた。


後悔とか虚しさという感慨ではなく、成熟期というのは視野の広い優しさや他者を幸せにするための深い忍耐力などを学ぶだろうに、自分ときたら狭い自己中心に閉ざされたまま生きてきたなぁという苦笑いの感慨である。息子に捨てられて当然の成り行きである。



ま、いいか。一生懸命生きたことには間違いないんだし。


ただ・・・マジで・・・二度と人間には生まれたくないなぁ。


草原をわたる風になるのがいい。小さな生き物、大きな動物の背をなぜていく風。



あれ、なんでこんな寂しい思いになっているだろう。テレビで、ある芸能人の方が息子さんが覚せい剤関係の罪を犯して、「ぼくの育て方が間違っていただろうか」と泣いておられたのが辛くて、思わずもらい泣きしちゃったりしたからかな。

やれやれ。よほど日頃の行いが悪いのかあるいはとんちんかんなのか、また降りかかってきた受難!


でも、動物たちに関わることでないのが救い。


ここはなるようになるとあたふたせず様子を見ているしかないか。やれやれ。

パソコンが絶不調につき

テーマ:

もうだめになると騒ぎながらこれまで持ってきたパソコン。

今日の午後からまったく作動しなくなり、夜になってまたこうしてブログが書けるようになりましたが、明日はどうなるかわからない状態です。


そこで、今夜のうちに、急ぎの伝言を書いておこうと思います。


1・何らかのご連絡いただく場合、↓のアドレスにメールをくださいませ。


kaze.nkmao@docomo.ne.jp



2・今月半ばにご支援をいただく専用の口座を作ります、と書き、また何人かの方から、口座を作って下さい、というメールなどをいただいたのですが、お金のご支援はやめることに致しました。


理由は、フード、猫砂、トイレシーツなど本当に沢山いただきまして、これ以上必要なものがないのです。

紙芝居等の活動をしていきたいと思っていますが、クラウドファンディングを利用し、また段ボールなどを使って手製の紙芝居を作り、極力お金のかからない形で工夫していくつもりです。

ノーテンキな私はこれまで何事にも無造作にやってきましたから、現実の事態を悪化させてきた反省が強くあり、今後、一層の倹約と手作り志向を心掛けようと思うのです。


ただ私はどうしようもないほど不器用な人間ですので、皆様からのアドバイスやひらめきを頼りにしています。ぜひいろいろさまざま教えてください!


3・お金のご支援を、ここ最近、昔の先輩Kさん、ひかりの件以後、ご心配いただいているハンドルネームのお二人、そして演劇を公演した時のスタッフのお一人N・Y子さんからお送りくいただきました。Y子さんからは郷里の美味しいお菓子まで送っていただきました。継母が「上品な美味しいお菓子ね」とこどものように喜んでいます。嬉しい限りです。


ここしばらjy、ある事情が重なり大変な困窮状態が続いていたのですが、おかげさまで、ほんとにまるで奇跡のように厳しい極みを乗り越えられるところまで来ました。

来月からはある程度落ち着いてくる見通しです。

本当に本当にありがとうございます。


4・M田さんからペットシーツが600枚も届くなど、またI田さんからフード、それから猫砂もいただきました。猫砂は別便でたくさん送って下さったかたもおられます。

とても助かっています。

ありがとうございます!


明日はほんとにもお完全にダメになるかもしれないパソコンで、そうなったらしばらくブログも書けませんが、すみません。ご用おかた、コメントの方、冒頭に書きましたアドレスを使って下さいね。


ではでは・・・これでパアソコンをおとしたらそれで終わりになるようで心もとないのですが・・・天にまかせて・・・消します。お休みなさいませ。