さちこさんの『小田原&鎌倉多頭崩壊』を読んで | なぜぼくらはおいていかれたの 

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≪さちこさんの『小田原&鎌倉多頭崩壊』≫
http://ameblo.jp/naraha-ide/entry-11888654412.html

この報告を読んで、救おうとされている方への辛さを察する気持ちと、こういう事態にした人へのどうにもならない憤りが込み上げてきた。

最初5匹だった猫が70匹に! 自力でどうしようもなくなったら愛護団体に泣きつき、自分たちはそれなりの逃げ場を持っている! こんな多頭飼いがあるのか?! 
私は多頭飼いになった人は、身勝手な人が捨てに来て、罪なき猫や犬が哀れでならず救おうと自分で背負い続けてきた人だと思っていた!・・・それにしても、こうしてここになすすべもなく置かれていた猫たちの可哀そうさ。どれほど辛かったろう。(涙)

行政の遅れもあらためて問いたい。捨て続ける人、殺処分に持ち込み続ける人、不妊手術をせず複数の猫を飼い増やし続け、あげく安易に他力する人がこれほど多いのは、やはり日本の動物行政の遅れの結果でしょう。

「行政は人々に、動物との共生について、命について、心有る存在であることについて、どれだけ教育してきたのか」。
「多くの人々の意識と並んで、猫や犬は生まれれば埋めるか川に流せばいい、と思ってきたのではないか」
「そんなことはない、ちゃんとやっている、と言うなら、捨て続ける人、殺し続ける人、増やし続けて心持つ動物を生き地獄に置き続ける人に、真剣に命がけで啓蒙していく必要があるのではないか」
とりあえずは、以上の三点について問いたいです。

そして、行政の無策と、人々の無知の結果を背負い、苦しみながら動物たちの命と心を救おうとしている人々を、敬意をもってせめて費用の補償をしてあげて下さい。
補償、というとお金目当てのように謗る人がいるようですが、それは違うと思いますよ。


行政の無策と人々の身勝手に犠牲になっている動物を救う人々が、心労と膨大な自費をかけて行動する、その行為を貶める人間であるか、その行為を尊いと思う人間であるか、ということだと思います。