新婚生活をホームレスで始めた女性がいます! キヨサキ夫人です。

男が車の中でホームレスで過ごすのはともかく、若い女性がプライバ

シーのない状態で生活するのは、耐えられないのではないかと思いま

す。が、当のキヨサキ新婦は、

  でも、私たちは仕事に就くことが後退を意味することを知ってい
   た。
  『せっかくここまでやってきたんだ、今やめるのはよそう』
  私たちはそう思っていた。給料をもらうという『心地よさ』にあ
  まんじたら、苦労してビジネスを作ったりしなくなるだろうとい
  うことも分かっていた。今振り返ってみるとよく分かる
    実際のところ、あの時私たちの原動力となっていたのは、最
  悪な状況にあったこと、それ自体だった。そのことが、苦境から
  脱出する道を見つけるように私達を駆り立ててくれた。そこから
  の脱出は楽ではなかったが、仕事に就くことは解決策にはならな
  かった。
   私たちはビジネスを起こすと堅く心に決めていた。  54頁

女性の立場で、歯に衣きせぬストレートな表現で言い切ります。女性

は30代までは「セックスアピール」で生きることはできるが、40

代からは難しいことを肝に銘じるべきだと。「年をとったら、お金が

あなたのセックスアピールになるからです。」(K.ヘップバーン)

「年金大泥棒」という記事が、2005年10月31日のタイム誌に掲載

され、社会保険制度(2037年に)や高齢者医療保険制度(2017年

に)は、破綻すると報じられました。そこで、老後にほとんど年金

が支給されない時代に困難な生活を余儀なくされるのは、その大半

が女性であることを、肝に銘じるべきである。今から準備すべきで

あると。

将来、女性が年をとった時には、男の人も、家族も、会社も、政府

も当てにできない可能性が高い。「私だったらそういったものは、

最初から頼りにしない。」(28頁)それが、本書が生まれた理由

です。




キヨサキ夫人は、独身時代から人から指図されるのが大嫌い

(さかのぼって、幼稚園時代から廊下に立たされた!)で、2回ほ

ど会社も首になったと! 仕事はできたのに、、、

それでは、自分で起業するしかありません。でも、起業の仕方が分

からない。そこに、ノウハウを知っている王子様が現れたのでした!

本書の副題。「人からああしろこうしろと言われるのは大嫌い! 

という女性」のための投資入門。そういう女性に、投資を上手に

教えた男性はスゴイと思いませんか。

しかも「キムの内面が外見よりも、もっと美しいことがわかって

きた」とまで、序文に賛辞をささげている男性です。

**************************


お金を持っている人間がルールを作る、ということわざがあり

ます。キム・キヨサキさんは、これを「お金を持っている人は、

他人にああしろこうしろと言うことができる」、と言い換え

ます。つまり、女性は「ああしろこうしろと言」われる側に

なります、、、





したがって、女性が自立するためには、女性自身がお金を

資産として持つ必要があります。この点をしっかり理解し

ていないと、お金に対して間違った考え方をもち、さらに

は、女性が「自尊心や自信を」失うことにもつながります。

たとえば、

・お金目当てに結婚する
・一人では経済的にやっていけないからという理由で、
 破綻した結婚や恋愛関係に留まる。
・男性の方が投資に強いという神話を信じている。
・自分で考えようとせず、いわゆる「専門家」からお金に
 関するアドバイスを得ようとする。
・男性が変わってくれることを、ただ願っている。
・給料と引き替えに、仕事場でのあらゆる差別に耐える。   
                      等々

キム夫人が、このような洞察力を持てたのは、キヨサキ氏

との出会いもありますが、やはり、両親の影響が大きい。

「50年以上結婚生活を続けている二人は、すばらしい

手本であると同時に、愛情と尊敬に満ちた結婚を末永く

続ける方法を教えてくれる教師でもある」(24頁)。

「物心ついた頃から、二人はいつも、やりたいと思って

いることは何でもできると私を励ましてくれた」、すば

らしい存在でした。

キヨサキ氏は、自分の父親がハワイ州教育長だったに

もかかわらず、経済的に悲惨な晩年を過ごしたことから、

ベビーブーマー時代の老後の危機を計算できました。

キム夫人は女性特有の臭覚で、女性の老後の危険性を

感じ取っていきます。

・50歳以上の女性のうち、47%が独身である。
・女性の引退後の収入は、男性より少ない。
・結婚した夫婦のうち、50%は離婚する。
・離婚した最初の年、女性の生活レベルは73%も
 低下する。
・女性は平均して、男性より、7年から10年長生きする。
・1964年までに生まれた女性は、貯蓄や年金では
 生活費をカバーできないため、 
 少なくとも74歳まで仕事を続ける必要に迫られる。
・経済的に困っている高齢者のうち、4人のうち3人は
 女性であり、そのうちの80%は夫が生きている間は、
 経済的に困っていなかった。
・10人の女性のうち、7人はいつか貧困生活を経験する。




さて、キム夫人はお子さんが与えられていないので養育

費もかからず、逆にフルタイムで自分の起業家・資産家

としての能力を遺憾なく発揮しています。

ある時ちょっとした行き違いから、Rich Dad 社の経営

のやり方で、「ああしろこうしろ」(?)でキヨサキ氏と

ぶつかり、何と1日家出をしたことがありました!

  仕事をせずに不老所得を得る方法をマスターした時、
  私はやっと自分がロバートを必要としなくなったこ
  とに気がついた。確かにそれ自体すばらしいことだ
  ったが、私にとってもっとすばらしかったのは、ロ
  バートと一緒にいたいという気持ちが、必要からで
  はなく、純粋に「そうしたいから」という理由から
  出ていると分かったことだ。私たちが一緒にいたい
  のは、お互いに一緒にいたいという、ただそれだけ
  の理由からだった。
   その結果、ロバートと私は前よりももっと尊敬し
  合い、愛し合うようになり、結婚生活の中でさらに
  平等な関係を保ち、より多くの幸福を分かち合うよ
  うになった。               76頁

このすばらしい経験をするためには、本物のリッチ・

ウーマンになることではないでしょうか。






春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず



北アルプスのふもと、安曇野の春は、たしかに遅い。

夏でも北アルプス連峰から、雪のシルエットがほほえみかけるパノラマ。

春の賛歌とうたわれる「早春賦」がうぶ声を上げたのが、風光明媚な

この松本平でした。

北アルプスの頂から、雪解けの伏流水が豊かに湧き出てくる安曇野の

風土は命が湧き出てくるようで、私の好きな春の原風景です。

私の叔父はママさんコーラスを率いて、早春賦の歌碑の前で歌声を響か

せるのを、この上もない喜びとしています。川とわさび園に囲まれた

スポットに刻まれた歌碑。このアルプスの空間に、春の歌声を響かせる

とき、そして安曇野の大地に賛歌を奉納するときが、春の始まりである

と、しみじみと叔父は語り継ぎます。

少し南に下ると、皆様にもおなじみの大王わさび園が広がります。


映画の撮影現場にも、たびたび登場



さらに、旅行者でにぎわうのが碌山美術館です。

荻原守衛(碌山)や高村光太郎の生き生きとした作品が今も輝きを

放ちつづけて、美術愛好家を日本中から引き寄せています。

信州の教育に影響を与えたといわれる高名な思想家、井口喜源治も

安曇野の中心に位置する穂高で活躍しました。その弟子である相馬

愛蔵は、なんと有名なパン屋である新宿中村屋の創業者になってい

るではありませんか。



相馬愛蔵の奥様がモデルとされる作品


豊かな水量が生み出す風土。

美術館、わさび園、そして思想家資料館。この3点の感性あふれ

る三角形のただ中に歌碑が置かれているのも、感慨深いものです。

さて、穂高(駅)をさらに北に上がると「安曇野しゃくなげの湯」

(町営温泉)で、旅の疲れを癒すことができます。木漏れ日に囲

まれたすてきな別荘地に、湯の香りを漂わせています。

さらに、上高地への道を開いたのも、実はこの安曇野の魅力で

した。梓川に沿った国道158号(今でも頻繫に崩壊工事)は当時

ありませんでしたので、穂高から北上して分け入って発見したの

が上高地でした。しかも山のないイギリスの出身であるアルピニ

ス、ウェストン宣教師が見い出し、世界に発信したのでした。

春の賛歌といわれる「早春賦」は、このような豊かな土壌から

眺めなおすと、さらに深いメロディーの響きになるのではない

でしょうか。


春がきたと言われても、それは名ばかりで、
まだ冷たい風がふいているではありませんか
鶯が谷間で、春の歌声を響かせたいと待ち望んでいるのに
まだ時節ではないと
まだ、その時ではないと、、、♪








 期待していた「Go to トラベル」の実施は、コロナ禍

のオミクロン波を警戒しながら足踏みしているようです。

買い物は go shopping(動名詞)と言いますが、旅行する

は go travelingとは言いません。Go to (不定詞) travel

と中学で習いました。習慣的な動作(動名詞)に対して、

しっかりとした目的を伴った行動(不定詞)を表します。

コロナ禍がまさに爆発感染した時に、愚かにも日本政

府は「観光立国?」という看板を外国にアピールしてし

まい、それが国内感染爆発に至ったのは私たちの記憶

に新しい。旅行の目的と手段を、逆転させた結果です。

「Go to トラベル」も、ホテルなどの観光産業(手段)

を念頭に置き、旅人志向(目的)ではないように思え

ます。「go to クリスマス」商戦のきらびやかな宣伝

にも同じように、目的と手段の逆転現象を感じます。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


例えば、旅行者のスタイルは、かつての団体旅行から、

個人のライフスタイルに合うような旅人自身が楽しむ

流れに変わってきているのではないでしょうか。

クラブ・ツーリズムやワールドベンチャーなどが盛んに

豊かな選択支を提供する一方で、リック・ステーブ氏は

旅先の “個性” と、旅行者 “個人” の趣向を結びつける

旅行人生スタイルを、ひたすら追い求めていきます。




もともと、父親がヨーロッパでピアノの買い付け輸入の

仕事で旅をしていたのを、子供の頃から一緒についてま

わったのが、ステーブ少年の旅の始まりでした。父親

がヨーロッパ各地でブランド・ピアノの音色を確かめ

ながら、このピアノの音質はアメリカのどのピアニス

トの弾き方に合っているか父親が耳を研ぎ澄ませ確か

めるかたわらで、少年リックはヨーロッパの文化と

歴史が地域ごとに深い“個性”を持っていることに魅

せられ、高校卒業と同時にヨーロッパにヒッチハイ

クの旅に出かけるのでした。





特に、クリスマス・シーズンの過ごし方に、それぞれの

地方の個性が出てきます。もともと太陽神(Sun)を12

月25日に祝っていたその同じ日に御子(Son)の生誕祝い

クリスマスを重ねたため、ヨーロッパの全住民が「サン」

を祝うという一大イベントとなりました。

各国の家庭にホームスティをしながら、現地の人々と同

じ目線でクリスマスの生活を伝えているスティーブ氏の

個性的なYouTubeは見ものです。(旅行スーツケースの

効果的な準備の仕方から、現地の熟練したフリー・ツア

ーガイドとのコラボレーションなど)




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

さらにリック・ステーブ氏のユニークさは、旅行のルート

を、「その国民が、かつて旅した道順をたどる」という

追体験の手法をとるところが、一般の旅行会社と大きく

異なります。



 A イギリス

たとえばイギリスは、アングロサクソン民族がド-バー海峡

を渡ったカンタベリ-の街から、バスとヨークの町を中心に

民族の足跡をたどります。いずれも、主要な旅行雑誌にはあ

まり全面に出てこない名前です。



・Bath (英単語の「風呂」はこの町名から)

・York(首都 「ニュー」・ヨークはここから?)




いずれも、当時の人口が最も大きい街であり、また街の大聖

堂で王の戴冠式がとり行われた、要塞都市でもありました。


スコットランドの旅も、西海岸のアイオナ島から始まり

ハイランドのクローデン(これも旅行雑誌にはあまり全面に

出てこない名前です)で終わるのも、ステーブ氏の見識の深

さがうかがわれます。


それでは、イングランドのクリスマスを、ウエストミンス

ター寺院を訪れて列席して見ましょう。

エリザベス女王の戴冠式に続き、チャールズ王の戴冠式

もちろんエリザベス女王の国葬が執り行われた式場とし

て、日本のテレビ画面でも放映されたおなじみの教会

堂になっているのではないでしょうか。



王家の墓やニュートンの墓(通路の床に!)に囲まれた聖堂

とは思えない、天上の高さとは正反対に敷居の低さに安らぎ

を覚えます。となりの国会議事堂前にあるオリバークロム

ウェル(清教徒革命)の銅像の眼光も、たしかウエストミ

ンスター寺院の方向を見つめていたように思います。


なおイギリスの超・長寿願組で、毎週日曜日の夕方ゴール

デンタイムにBBC国営放送で流される「Song of Praise」

は50年間にもわたり、生活のただ中で賛美するグループを

各地の聖堂を舞台にして取り上げている人気番組です。

イギリスの国民性とともに、いかに音楽が歌い継がれて

いるものであるかが分かります。日本でも、「題名のない

音楽会」が超長寿番組になっているのは、習知の通りです。


B. ケルティック・ウーマン

 アイルランドの歌姫は10年以上も人気が続き、クリスマス

には世界中が耳を傾けるグループになりました。

 「ケルトの書」の美しい文様を、そのまま音楽で表現した

ような響きにひたれます。同じケルト民族であるスコットラ

ンドの民謡も口ずさみ、さらに新天地「Oh アメリカ」(ケネ

ディ大統領)をも熱唱し、国民性の広さをアピールしてい

ます。



大英帝国に滅ばされ、英国国教会に改宗させられ

ましたが、400年の伝統文化のなせる業か、公同

のカトリック教会に戻ったのは、中世ヨーロッパが

暗黒だった時代に、唯一アイルランドが修道文化で

光り輝いていたそのDNAが復活したかのようです。



C. ゴスペル

日本でもクリスマス・シーズンには、各地でゴスペル

のコンサートが広く聞かれるようになってきました。




アフリカ大陸からアメリカ大陸に強制連行され、奴隷

状態に置かれた黒人たちから生まれたのが黒人霊歌で、

ゴスペルはこの黒人霊歌にルーツがあるとされていま

す。

もし、ゴスペルがキリストの教えのエッセンスを唄っ

ているとすれば、クリスマス・シーズンにゴスペルの

響きが踊りだすのもうなずけます。



D. オラショ

 かつて学生時代に、毎朝FM放送の「バロック音楽の

楽しみ」で皆川達夫氏のはつらつとした解説を聞きな

がら、中世音楽の調べと共に1日をスタートさせた

ものでした。その皆川氏が、長崎で隠れキリシタン

の「オラショ」に遭遇する機会がおとずれます。

 オラショのメローディにラテン語の響きを聞き分けた

のはさすがにプロの耳です。が、キリシタン禁制の時代

から何百年も、それこそ命をかけて歌い継がれてきた

このメロディーはどこから来たのだろうと、大いなる

疑問を抱くのでした。

 しかも、歌詞の内容が正確に分からないまま隠れキリシ

タンが孤島で、回りに悟られないよう注意を払いながら

暗唱し続けるとは、、、


 そこで、バチカンの図書館から始めて世界中の主要な

図書館に足を運ぶのですが、7年もの調査を重ねても

いっこうに出所が分からず苦闘します。ところが

 現在なお世界中に流布している標準的な聖歌で
はなく、十六世紀のスペインの一地方だけで歌わ
れていた特殊なローカル聖歌であった。
 それが、400年前にこの地域出身の宣教師に
よって日本の離れ小島にもたらされ、はげしい弾
圧の嵐のもとで隠れキリシタンによって命をかけ
て歌いつがれて、今日にいたったのである。この
厳粛な事実を知った瞬間、わたくしは言いしれぬ
感動にとらえられ、思わずスペインの図書館の
一室で立ちすくんでしまったのであった。

 皆川氏によると、琴の名曲「六段の調べ」もキリシタ

ンが信仰告白を日本流に音楽に乗せた調べであると言う

ではありませんか!




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 音楽と旅。それは気の遠くなるような歴史と文化を乗り

越えて、私たちに伝えられた世界遺産ではないでしょうか。

美しいメロディーの調べにのせて、クリスマス・シーズン

は私たちにその目的を静かに問いかけています。


 「go to クリスマス」

 世界で初めてのクリスマスは、ベツレヘムの郊外で

夜番をしていた羊飼いに、み使いの歌声がかかりまし

た。

一説には、羊飼いは墓場で夜風を避けていたとも言われ

ています。そこは都会ではなく、荒れはてた野原でした。

クリスマスの名曲「きよしこの夜」も、ドイツの片田舎

の教会で、壊れかかった足踏みオルガンが最初のメロ

ディーを奏でたというではありませんか、、、。






『 クリスマス・キャロル 』 とは、英国の文豪ディケンズの名作で

したね。守銭奴のスクルージが、クリスマス・イヴの幻想的な体験から、

過去から現在、そして未来へと人生の旅をした結果、自ら改心をしていく

という物語でした。富と貧困、また物質と魂という、二つの相対する関係

が、ドラマティックに美しく描かれています。

 クリスマスの祝祭歌 キャロル carol とは、「輪になって歌いつつ踊る

踊り」という意味があり、小説『 クリスマス・キャロル 』に出没する

亡霊や恋人、施しを受けた人々の気持ちが、あたかも乗り移ったメロ

ディーになって聞こえてくるようです。

 さながらコロナ禍トンネルの暗闇から、かすかな光がさしてくるクリス

マスの希望のようにも受けとれます。街にもクリスマスのメロディーが流

れ始め、イルミネーションの光も彩りを添えてくれています。

 そこで、英国を代表する二つのグループのクリスマス・キャロルを、鑑賞

してみたいと思います。



正確にはアイルランドですが、音楽と文学が結びついて生活のなかに息づ

いている国です。首都ダブリンの州旗(独立前の国旗)が、ハープである

のも象徴的です。この国で10年間もロングランを続けている、セルティ

ック・ウーマンは、名実ともに歌姫の集まりです。セルティックとは、か

つてサッカー選手・中村俊介がグラスゴーで活躍した古豪チームの名前で

もあり、アイルランドとスコットランドのケルト文化を代表する名前です。

(視聴回数 4千万回以上!)


ダブリン・クリスマス https://youtu.be/Xw38pGhPXIk も必見 !


歌手クリス・ハートの奥様(日本人)が、歌を研鑽するためにアイルランド

に留学しているのもうなずけます。歌姫の一人クロエ・アグニューは、五カ

国語を自由に歌いわけて、観衆をエメラルドの瞳に引きつけています。

テレビで彼女たちのインタビューを聞いて驚いたことは、アイルランドの

英語が、スコットランドやイングランドの英語のようなアクセント(なま

り?)がなく、実になめらかなのです。アメリカ英語のように気取った

トーンもなく、歌うのにぴったりとの印象を受けたことです。

セルティック・ウーマンは、お隣の韓国や上海までツアーに来て絶賛されて

います。まだ日本での認知度は、それほどでもありませんので、新鮮に響く

に違いありません。



 世界で最も美しい図書館の一つ、英文学を愛する誰もが訪れてみたいと

いわれているのが、この古都ダブリンにあるトリニティ・カレッジの

図書館です。歌声が聞こえてきそうで、ケルトの原書であふれています。

日本でも上映された児童文学の「ライオンと魔女」の作者C・S・ルイス

は、このアイランドの出身でした。

 そのC・S・ルイスが、こんなすばらしいチャペルを見たことがない

と言って感動したのが、ケンブリッジ大学のキングス・カレッジにある

チャペルです。クリスマス・イブに、BBC国営放送が、国中に配信

するのが、このチャペルの映像です。日本の紅白歌合戦のような位置

づけになります。国民に対する歌の位置づけが、年のクライマックスに

おいて対照的なことが分かります。




https://youtu.be/TT3cfXd3Shk?list=PLhcITJvc9oCg7ijgB5qsQLHBXj_mztsJT



ウィーンのクリスマス https://youtu.be/zhqg4U32p9w

名門オックスフォード大学やケンブリッジ大学に、聖歌隊の学校(小学

生から)があるのを聞いて、驚いたことです。ビートルズのジョン・レ

ノンやポール・マッカトニーも、かつてリバプールの聖歌隊で歌ってい

たと言われています。

日本の歌番組が、一人の歌手を中心に取り上げられるのに対して、英国

のクリスマス・キャロルは、グループの歌が中心で、文字通り聴衆を巻

き込んでいきます。座席や儀式がストーリの中に包まれていき、自分の

立ち位置をクリスマス物語の流れの中に位置づけていく。それが、本来

のクリスマス・キャロル、「輪になって歌って踊る」ことなのかもしれ

ません。


ハロウィーンの仮装行列が、川崎駅前や渋谷駅前の歩行者天国で練り歩

き、世相を反映させたパーフォーマンが、日本版の行事となってきました。

西洋ではもともと駅前ではなく、仮装した子供が家々を歩き回って、お祝い

にお菓子をいただけるという貴重な年中行事です。元々の1対1で玄関口

でする行事を、日本では集団としてしかも駅前での行事に発展させている

こと。また、もともと子ども主体の仮装行事だったのを、大人主体に変え

いるのも、いかにも日本人的なお祭りの発想です。

かつて日本人青年がアメリカで、「フリーズ(動くな)」を「プリーズ

(どうぞ)」と聞き間違えて、射殺された痛ましい事件が玄関口で起こり、

話題になったことがありました。現地ハロウィンの習慣を、理解していな

かったかもしれません。

ところで、なぜ当時のキリスト教国で、異境の風習のハロウィンが広く

行き渡っていったでしょうか。いささかの疑問を持たないほど、西洋の

全家庭に浸透していますが、この疑問に正面から問いかけた人物が

います。




探偵「ブラウン神父」シリーズで名声を博したG.K.チェスタートンです。キリス

ト教がイスラム教のような原理主義的な一神教ではなく、三位一体の神が

中心であるので神秘的な要素を持つ。そして異教的な要素を賛成しないま

でも、包容する寛容さを持っているからだと、提言しています。「パラ

ドックス」理論の作家ともいわれるチェスタトンは、普通の人がそんな

考え方は異端でしょうという事柄が、実は正統の根底にある。しかも、

多くの人はそこに気づいていないと。

正統とは、実はスリリングで、ダイナミックな力を持っているので、

ケルト民族の宗教行為ハロウィンさえも、自分の信条を変えることな

く包み込むことができるものであると書いています。





日本では、七五三を神社で、結婚式を教会で、そして葬儀をお寺でする

のも、それほど違和感を感じなくなってきたかもしれません。日本人の長所

と短所が、ここにもありそうです。

かつてベストセラーとなった「日本人とユダヤ人」のゴースト・ライタでは

ないかとさわがれた山本七平氏も、実は自分の信条を堅く持っている方で

した。中心の信念が深ければ深いほど、違うものを包み込むことができる

ことが本のタイトルからも分かります。

日本の神話から現代まで、武将・武田信玄から昭和天皇まで、さらにヨー

ロッパやイスラエルまで足を伸ばして、自分の目で確かめて旅しています。

おそらく、ファッションなどで世界からブランド的な作品とみられている

クリエイターの背景には、強くて揺るがない信念と、他の文化を受け入れ

る柔軟性を持ち合わせているのでないでしょうか?

私たちの周りに多くの外国人が多様な考え方やブランドを身につけた人が

多く生活するようになって着ている現在、生活そのものがハロウィン化し

ている状況では、いかに深い信念を持つかがカギになります。しかも、

周りの生活ファッションに同意しないまでも、相手のコンセプトを理解で

きる柔軟性を持つこと。それがグローバルな時代に求められるブランドで

はないか、と考えさせられるこの頃です。





 武漢コロナが世界に激震を与えて以来、
「新しい生活 習慣」なるガイドラインにより、
不自由な生活を強いられて久しい。
   自然発生説から、武漢研究所漏洩説にシフト
    ワクチン接種からカクテル療法に
    いずれもトランプが1年前に提唱


 さらに、ワクチン接種ではもはや国全体
に集団免疫が得られないことが判明し始め、
長いトンネルの出口は、さらに遠のいたも
のとなりそうです。

 そこで、周りの政策に期待するという
よりも、自発的に自らの生活を自助努力
でリセットしなければなりません。

それでは、かつてベストセラーとなった書
を手元に置いて、
新しい自分の習慣を探ってみたい。




スティーブン・R・コヴィー著 
『7つの習慣』



「インサイド・アウト」。
公的成功の前に、私的成功の重要性を説く本書
は、ビジネス書のベストセラーとして
日本にも大きな足跡を残した。

かつて文明開化の幕開けの明治初期に、日本で
ベストセラーとなった『西国立志伝』は、
イギリスの産業革命時代に英国でベスト
セラーとなったSelf-Helpの翻訳書であっ
た。



公的事業の前に私的研賛を強調する、文字
通り『自助論』(サムエル・スマイルズ著)
を提唱している本であった。

 アマゾンで『七つの習慣』を検索すると、
同時に注文されている本も、アメリカでベ
ストセラーとなったビジネス書で、D・
カーネギー著『人を動かす』という、個人
の話し方の本であるのも示唆的である。

 いずれも時代の転換期に、社会の動きと
対比して自己を正確に位置づけようとする書
であることが共通しています。
 本書は、特に『習慣』として七要素を個人
に定着させようとする点に特徴が見られる。
そこで、次の七つの観点からこの習慣の接点
を探ってみましょう。


1.読者をひきつける大きな要因は、本書が
単なる理論を提唱しているだけでなく、著者の
私生活を土台にして書かれている点である。
 公的事業の前に、家庭生活の重要性を告白
している事実を見逃してはならない。

  息子が大学進学をする際に、息子の「個人」
の意思を優先するという「無条件の愛」を体得し
(291頁)、また夫婦で「1年間、毎日少なくとも
二時間の深いコミュニケーションを図ることがで
きた」(468)ことが土台となっている。
 日本では、とかく家庭を犠牲にして仕事に精進
する風潮とは、とても対照的でさえある。


2.七つの習慣は「効果性の習慣」であり、P/PC
バランスにある(63)。企業の業績は顧客満足に
比例するのは周知の事実であるが、「顧客満足を
願うなら、一番大切な顧客に接するのと同じよう
に従業員にも接しなさい」(68)というのが習慣
にならなければならない。

  我が社の場合、本社と支社がパソコン・
データーを媒介としたコミュニケーション志
向でつながり、また支店長が従業員とはいえ
「学生アルバイト」まで接する際に、P/PC
バランスで相乗効果を発揮するのには難しい。
という二重の要素を含んでいるとのではな
いでしょうか。この難しいバランスの改善
に、売上げが左右されるからです。


3.私的成功(習慣1~3)と公的成功(習慣
4~6)の接点が、時間管理のマトリックスか
ら測定される第2の領域にあることが明白で
ある。「重要ではあるが緊急ではない」第2
領域(218)を、危機管理のセンスを持って
『習慣化』できるかどうかが、本書の中心
課題である。
 私的成功が公的成功に転換できるかどうか
が、ここにかかっている。使い走りのデリ
ゲーションではなく、第四世代の時間管理
(関係の維持/強化)が鍵となります。

 ここで著者は、「人に任せることができそ
うな仕事や責任をリストアップしてみる」
(258)が、逆にそのような「人を育てる」
ことができるかどうかが、日本の今の経営
者にとっては特に重要になる、と私は考え
ます。

  しかしながら、著者に弱点があるとすれば、
二次方程式/ピグマリオン的(7)なダイヤグラムの
組み方に、そもそも問題があろう。
X軸とY軸に2つの要素を分類
(104,146,215,322)すれば、おのずと第2
領域がクローズアップされる。
  かつて、勉強(経営も同様)は能力ではなく
やり方であると、ベストセラー『超・勉強法』
を世に問うた野口悠紀雄氏は、『超・整理法』
で重要度と緊急度を同じ尺度で整理する方法に
おいても、同書をベストセラーにしている。
日米には、発想の違いがあるからである。





4.市場ではWin-Winの関係を志向することが、
ベストであることは言うまでもありません。特
に、「システム主導型研修」と「生徒主導型研
修」の違い(332)を明確にし、マネジャーク
ラスが甘い汁を吸うことで社内の協力関係を
台無しにしているのを筆者が見抜いたのも、
この視点からである。

  ここでは、「社内の協力」と「市場内の
競争」を分けて考えなければならない。私的
成功が公的成功より先んじるように、社内
(協力)が市場競争よりも優先される。
この順番を間違うと、偏った習慣に導くこ
とになります。

  ここで、社内と市場のバランスをいかに
調整するかが管理職の手腕が問われることか
らか、『七つの習慣』を社内研修でテキスト
として使われるようになりました。

  さらには学習塾も、この「七つの習慣
の研修」(認証)をうけたグループとして
宣伝用に使ったことがあると、友人の学習
塾経営者から聞きます。
 個別教室としては、当時急成長を遂げた
有名な「がんばる学園」でした。しかし、
がんばる学園社長は講師の研修には別
メニューを要請していました。塾が世間
からの評価を受けようとするために、大手
企業が導入していた「七つの習慣」研修
制度を、塾業界に導入したのです。それ
は、社会・保護者からの社会的信用度を
得ることに目的があったと思われます。

  同様に、「コーチング研修」認定
制度も、企業から塾業界に導入しよう
としたのも、同じ発想からでしょう。
今ではその「習慣」は無くなりました。
                

5.本書の始まりと終わりは、T.S.エリオット
の格言の引用である。
「我々は探求をやめてはならない。そして、
 我々のすべての探求の最後は、初めにい
 た場所に戻ることであり、その場所を初
 めて知ることである」(48,481)。

 「はじめにいた場所」とは、筆者には「常
に私の価値を認めてくれる存在、母」(476)
であり、「妻が話していたのは自分の父親に
ついてであり、忠誠心についてであった」
(473)。
「子供に相続できるもので永遠の価値をも
つもの、、、“ルーツ”と“翼”である」
公的成功より、まさに私的成功と人格主義
を追い求めてきた筆者の独白でもある。

そういう意味では、創業者や経営者の親子
関係の中にある価値観や相続概念を、ひそか
に読み取る事は、社員にとっても大事な要素
になると思われます。
また逆に、会社に電話をかけてくる社員の家族、
さらには学校の授業参観に来る生徒の親にも、
同じような陰影をその親子関係に読みとる必要
性をも感じます。


6.「この本の本質をよく示すものであり、その
根底にある原則」とは、「刺激と反応の間には
スペースがあり、そのスペースをどう生かすか
が、私たちの成長と幸福の鍵を握っているとい
うこと」(467)である。

  具体的にはトマス・クーンの「パラダイム
転換」(24)にあり、固定概念を疑って見る
ことにある。自らの置かれている立場を疑って
かかる、コペルニクス的転換をも要求するもの
である。

  筆者が最も引用する学者が、ピーター・フ
ランクル(82,94,120,144,179,450)であるのも
うなずける。アウシュビッツの収容所で生死の
境で「刺激と反応の間にスペース」を見つけ、
希望を抱き続けて生き延びた生き証人であるか
らだ。「自分が人生に問われていると理解すべ
き」ものの味方となり、スペース「間」作り
が必要になります。

  では、「刺激と反応の間のスペース」を見出
す最も有効な方法が何かというと、最後の習慣、
第7の習慣である「刀を研ぐ」ことである。具体
的には本書が生まれたのも「執筆活動に専念する
ために大学から1年間の休暇をもらった」(466)
ことにある。いわゆるサバティカルである。
と聞き、驚嘆したことである。
  時間の順序としては、第7の習慣が1~6
の習慣を考え出したのである。この「逆」の時
系列が、カギとなります。
                
  カナダの大手企業で働く友人は、学者で
もないのに丸1年間有給休暇をもらっている
と聞いて驚いたことである。一般企業でホワ
イトカラーとして7年間働くと、1年間の
有給休暇=サバティカルが与えられ、なんと
どこで何を勉強してもよいという自由が与
えられるではありませんか。

 対して、日本の有給休暇は、実質的に機能
してはいません。休むということ自体に、日
本社会が価値観を置いていないのかもしれま
せん。

休みの効用が、質の高い習慣を生み出す
ということを、深く再考したいものである。
特に、学校/スクールの語源は、「余暇:
スカラー」であると聞きます。余暇を生
じさせた古代ヨーロッパ(一説に古代
エジプト文明時代)に学問の向上がみ
られ、国民生活の質が飛躍的に向上した
というのである。日本の受験システム
とは、ほど遠い処にあることでしょう。


7.「教育や法律だけでは影響できない側面が
人間にはあり、それは神によってのみ変えるこ
とができると私は信じている」(481)と断言
する著者は、本書を宗教書のような視点でも書
いている。キリスト教信仰のインサイド・アウ
トとしての習慣から生まれた公言録でもある。

  しかしながらあまりにも多い例話の引用、
また古今東西の格言を学者として多く引用す
るが、それがまた本書を分かりにくくしてい
る要因になっているとも思える。

 右脳と左脳の引用も、筋を分かり難くしてい
るように感じる。すべてのものを、宗教と心理
学とビジネスを縦横無尽に展開するのが、本書
の長所であり、また同時に難点にもなっている
と感じます。

  分厚い本書の少なくとも半分のページ数で
7つの習慣を説いてくれていれば、さらに読み
やすくなって習慣として身につけることができ
る項目が多くなるのではと思うのは、私だけ
であろうか?

 さて、本書のタイトルにある「習慣」とは、
国によって文化や国民性の違いがあることか
ら、当然のことながら習慣そのものの土台が
違っていることが明らかです。
例えば、現在当たり前のように使われている
企業のPDCAプログラム志向。最初に、Plan
計画からスタートします。

その「計画」とは、企業のノルマ的レベル
なのか、それとも1個人による主体的な計
画なのかでスタートからして習慣の質が
変わってきます。

 とかく個人主義的趣向の欧米と、おそ
らく共同体的な反応をする日本とでは、
計画の立て方と、そこから生じる習慣
の内容そのものが違ってくるのは明ら
かでしょう。

 そこでは習慣customが多重になり、
国や地域によって複数の習慣が存在する
ことになります。                   
 そうすると、習慣の複数形
customs
は、「税関」となります。
グローバルな時代に、流動的にビジネス
マンが行動すると、習慣の違う国が行き
交うことになります。
と、そこに相違という「関税!」かけられる
ことになるのではないでしょうか。
 
 つまり、自分の習慣の質を高めると同時に、
他人の習慣と自分の習慣の相関関係をも察知
しておかないと、人間関係にマイナスになる
という関税がかけられる危険性があります。
隣人の習慣との相違を察知する能力のある
なしで、金銭(関税)が影響してくるという
オマケがついて来そうです。

 さて、筆者コビー氏は自らをキリスト教徒
であると告白をしていますが、巻末を見ると
正確にはモルモン教徒であることが分かり
ます。

 もしキリスト教徒が、ユダヤ選民思想を
土台に発展したと解すると、モルモン教徒
はアメリカ選民思想でもって展開したとも
取れるでしょう。とすれば、日本人の我々
も、一種の日本的な選民思想で精神武装す
る必要があるのかもしれません。

世界で唯一、2,680年間にも渡って天皇を
抱くという。世界でも稀な精神習慣を持っ
ている民族ですから。

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず



北アルプスのふもと、安曇野の春は、たしかに遅い。

夏でも北アルプス連峰から、雪のシルエットがほほえみかけるパノラマ。

春の賛歌とうたわれる「早春賦」がうぶ声を上げたのが、風光明媚な

この松本平でした。

北アルプスの頂から、雪解けの伏流水が豊かに湧き出てくる安曇野の

風土は命が湧き出てくるようで、私の好きな春の原風景です。

私の叔父はママさんコーラスを率いて、早春賦の歌碑の前で歌声を響か

せるのを、この上もない喜びとしています。川とわさび園に囲まれた

スポットに刻まれた歌碑。このアルプスの空間に、春の歌声を響かせる

とき、そして安曇野の大地に賛歌を奉納するときが、春の始まりである

と、しみじみと叔父は語り継ぎます。

少し南に下ると、皆様にもおなじみの大王わさび園が広がります。


映画の撮影現場にも、たびたび登場



さらに、旅行者でにぎわうのが碌山美術館です。

荻原守衛(碌山)や高村光太郎の生き生きとした作品が今も輝きを

放ちつづけて、美術愛好家を日本中から引き寄せています。

信州の教育に影響を与えたといわれる高名な思想家、井口喜源治も

安曇野の中心に位置する穂高で活躍しました。その弟子である相馬

愛蔵は、なんと有名なパン屋である新宿中村屋の創業者になってい

るではありませんか。



相馬愛蔵の奥様がモデルとされる作品


豊かな水量が生み出す風土。

美術館、わさび園、そして思想家資料館。この3点の感性あふれ

る三角形のただ中に歌碑が置かれているのも、感慨深いものです。

さて、穂高(駅)をさらに北に上がると「安曇野しゃくなげの湯」

(町営温泉)で、旅の疲れを癒すことができます。木漏れ日に囲

まれたすてきな別荘地に、湯の香りを漂わせています。

さらに、上高地への道を開いたのも、実はこの安曇野の魅力で

した。梓川に沿った国道158号(今でも頻繫に崩壊工事)は当時

ありませんでしたので、穂高から北上して分け入って発見したの

が上高地でした。しかも山のないイギリスの出身であるアルピニ

ス、ウェストン宣教師が見い出し、世界に発信したのでした。

春の賛歌といわれる「早春賦」は、このような豊かな土壌から

眺めなおすと、さらに深いメロディーの響きになるのではない

でしょうか。


春がきたと言われても、それは名ばかりで、
まだ冷たい風がふいているではありませんか
鶯が谷間で、春の歌声を響かせたいと待ち望んでいるのに
まだ時節ではないと
まだ、その時ではないと、、、♪






旅行者のスタイルが、かつての団体旅行から、個人の

ライフスタイルに合うような旅を求める流れに変わって

きているようです。

クラブ・ツーリズムやワールドベンチャーなどが盛んに

豊かな選択支を提供する一方で、リック・ステーブ氏は

旅先の “個性” と、旅行者 “個人” の趣向を結びつける

旅行人生スタイルを、ひたすら追い求めていきます。




もともと、父親がヨーロッパでピアノの買い付け輸入の

仕事で旅していたのを、子供の頃から一緒についてま

わったのが、ステーブ少年の旅の始まりでした。父親

がヨーロッパ各地でブランド・ピアノの音色を確かめ

ながら、このピアノの音質はアメリカのどのピアニス

トの弾き方に合っているか父親が耳を研ぎ澄ませ確か

めるかたわらで、少年リックはヨーロッパの文化と

歴史が地域ごとに深い“個性”を持っていることに魅

せられ、高校卒業と同時にヨーロッパにヒッチハイ

クの旅に出かけるのでした。





特に、クリスマス・シーズンの過ごし方に、それぞれの

地方の個性が出てきます。もともと太陽神(Sun)を12

月25日に祝っていたその同じ日に御子(Son)の生誕祝い

クリスマスを重ねたため、ヨーロッパの全住民が「サン」

を祝うという一大イベントとなりました。

各国の家庭にホームスティをしながら、現地の人々と同

じ目線でクリスマスの生活を伝えているスティーブ氏の

個性的なYouTubeは見ものです。(旅行スーツケースの

効果的な準備の仕方から、現地の熟練したフリー・ツア

ーガイドとのコラボレーションなど)




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

さらにリック・ステーブ氏のユニークさは、旅行のルートを、

「その国民が、かつて旅した道順をたどる」という追体験の

手法をとるところが、一般の旅行会社と異なります。



 A イギリス

たとえばイギリスは、アングロサクソン民族がド-バー海峡

を渡ったカンタベリ-の街から、バスとヨークの町を中心に

民族の足跡をたどります。いずれも、主要な旅行雑誌にはあ

まり全面に出てこない名前です。



・Bath (英単語の「風呂」はこの町名から)

・York(首都 「ニュー」・ヨークはここから?)




いずれも、当時の人口が最も大きい街であり、また街の大聖

堂で王の戴冠式がとり行われた、要塞都市でもありました。


スコットランドの旅も、西海岸のアイオナ島から始まり

ハイランドのクローデン(これも旅行雑誌にはあまり全面に

出てこない名前です)で終わるのも、ステーブ氏の見識の深

さがうかがわれます。


それでは、イングランドのクリスマスを、ウエストミンス

ター寺院を訪れて列席して見ましょう。

エリザベス女王の戴冠式に続き、チャールズ皇太子やウ

イリアム王子の結婚式が執り行われた式場として、日本

のテレビ画面でも放映されておなじみになっている教会

ではないでしょうか。



王家の墓やニュートンの墓(通路の床に!)に囲まれた聖堂

とは思えない、天上の高さとは正反対に敷居の低さに安らぎを

覚えます。となりの国会議事堂前にあるオリバークロムウェル

(清教徒革命)の銅像の眼光も、たしかウエストミンスター寺

院の方向を見つめていたように思います。


なおイギリスの超・長寿願組で、毎週日曜日の夕方ゴールデン

タイムにBBC国営放送で流される「Song of Praise」は50年

間にもわたり、生活のただ中で賛美するグループを各地の聖堂

を舞台にして取り上げている人気番組です。イギリスの国民性

とともに、いかに音楽が歌い継がれているものであるかが分か

ります。日本でも、「題名のない音楽会」は超長寿番組になっ

ているのは、習知の通りです。


B. ケルティック・ウーマン

 アイルランドの歌姫は10年以上も人気が続き、クリスマス

には世界中が耳を傾けるグループになりました。

 「ケルトの書」の美しい文様を、そのまま音楽で表現した

ような響きにひたれます。同じケルト民族であるスコットラ

ンドの民謡も口ずさみ、さらに新天地「Oh アメリカ」(ケネ

ディ大統領)をも熱唱し、国民性の広さをアピールしています。



大英帝国に滅ばされ、英国国教会に改宗させられ

ましたが、4000年の伝統文化のなせる業か、公同

のカトリック教会に戻ったのは、中世ヨーロッパが

暗黒だった時代に、唯一アイルランドが修道文化で

光り輝いていたそのDNAが復活したかのようです。



C. ゴスペル

日本でもクリスマス・シーズンには、各地でゴスペル

のコンサートが広く聞かれるようになってきたのでは

ないでしょうか。



アフリカ大陸からアメリカ大陸に強制連行され、奴隷

状態に置かれた黒人たちから生まれたのが黒人霊歌で。

ゴスペルはこの黒人霊歌にルーツがあるとされていま

す。

もし、ゴスペルがキリストの教えのエッセンスを唄っ

ているとすれば、クリスマス・シーズンにゴスペルの

響きが踊りだすのもうなずけます。



D. オラショ

かつて学生時代に、毎朝FM放送の「バロック音楽の

楽しみ」で皆川達夫氏のはつらつとした解説を聞きな

がら、中世音楽と共に1日をスタートさせたもので

した。

その皆川氏が、長崎で隠れキリシタンの「オラショ」

に遭遇する機会がおとずれます。

オラショのメローディにラテン語の響きを聞き分けたの

はさすがにプロの耳です。が、キリシタン禁制の時代か

ら何百年も、それこそ命をかけて歌い継がれてきたこの

メロディーはどこから来たのだろうと、大いなる疑問を

抱くことでした。

しかも、歌詞の内容が正確に分からないまま隠れキリシ

タンが孤島で、回りに悟られないよう注意を払いながら

暗唱し続けるとは、、、


そこで、バチカンの図書館から始めて世界中の主要な

図書館に足を運ぶのですが、7年もの調査をしてもいっ

こうに出所が分からず苦闘します。ところが

現在なお世界中に流布している標準的な聖歌では
なく、十六世紀のスペインの一地方だけで歌われ
ていた特殊なローカル聖歌であった。それが、400
年前にこの地域出身の宣教師によって日本の離れ
小島にもたらされ、はげしい弾圧の嵐のもとで隠れ
キリシタンによって命をかけて歌いつがれて、今日
にいたったのである。この厳粛な事実を知った瞬間、
わたくしは言いしれぬ感動にとらえられ、思わず
スペインの図書館の一室で立ちすくんでしまった
のであった

皆川氏によると、琴の名曲「六段の調べ」もキリシタ

ンが信仰告白を日本流に音楽に乗せた調べであると言

うではありませんか!




◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



音楽と旅。それは気の遠くなるような歴史と文化を乗り越えて

私たちに伝えられた世界遺産ではないでしょうか。美しいメロ

ディーの調べにのせて、クリスマス・シーズンは私たちに問い

かけています。


ウィンフリー(黒人でただ一人のビリオネアー)のTVショーに出演して、

一夜で世界的に有名になったキヨサキ氏でしたが、経済界からは厳しい

目でみられていたことを、日本人読者も気づいていない場合が多いので

はないでしょうか。

  私は1997年から2003年にかけて『金持父さん 貧乏父さん』のプロモー
  ションであちこちに出かけた際に、株式投資や投資信託の危険性につい
  てよく訴えた。そうした発言によって、経済コメンテーターから激しい
  非難を浴びたことも何度かあるし、出演中の番組から退座してほしいと
  言われたこともある。 サクセス・ストーリーズ 9頁

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特にウォール街の金融界からは敵視されていたようです。それは、証券プ

ランナーに頼らないファイナンシャル教育を提唱していたことで、正反対

の立場にいたので利害関係にあったからでした。日本語の「ロバート・キ

ヨサキ氏のウィキペディア」の記事をみても、おおよそ金持ち父さんシリ

ーズの著作から文脈を無視して、敵対するような書き方がされていること

に驚きます。それは、キヨサキ氏のデビュー当初から、宿命のようなもの

でした。

  『金持父さん 貧乏父さん』と金持父さんのメッセージを非難する経済雑誌
  や新聞もあった。 いくつかの出版物は、私についての嘘や誤った記事を
  載せることで、私と金持ち父さんのメッセージの信用を失わせようとした。
  サクセス・ストーリーズ 9頁
   
金持ち父さんシリーズは、特定の金持になる方法を教えることではなく、

読者が可能性を広げるために書かれています。これが、世に出回ってい

るハウツー本と違うところです。サクセス・スト-リーに登場する25

人の老若男女は、「ハウツー本を読んだりはしなかった。その代わり、

経済的成功への道をみつけた自分の『ハウツー』を記してくれたのであ

る。」(同上 8頁) このサクセス・ストーリーの出版そのものが、金

融界からの非難に対するキヨサキ氏のストレートな回答でした。そして、

キヨサキ氏の信念を正しく理解していたのが、誰あろうドナルド・トラ

ンプ現アメリカ大統領でした。

  私は2004年にロバートと初めて出会い、2006年に一緒に本を書いた。、、
  ロバートと私は同じ懸念を持ち、またビジネスマンであると同時に教師と
  して、同じような道を歩んできた。ロバートにも私にも「金持父さん」が
  いて、人生の方向を定め、精神を養い、多くの成功を手に入れるのを助け
  てもらった。二人ともファイナンシャル教育の重要性をよく知っているか
  ら、ファイナンシャル・リテラシーに関することになると黙っていられな
  い。 トランプ「前書き」『金持ち父さんのファイナンシャルIQ』7頁

キヨサキ氏も、トランプ自伝の表紙に「この本が私の人生を変えた」と、公言

しています。何度も二人でTV番組に出ている会話を聞くと、お互いに著作と

講演を聞き合うちに共感を覚えて惹かれるようになったと語っています。そ

して、アメリカの将来をキャッシュ・フローという観点から憂えている、と

言う意味で愛国心で結ばれていることが分かります。

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さてトランプ大統領は、正面からメディアを非難する初めてのアメリカ大統

領として登場しています。日本でメディアを敵に回せば、おそらくその人の

政治家生命が危うくなるといわれています。もともと、日本のメディアが

トランプ当選を予想できなかったのは、アメリカ・メディアの偏向報道を

見抜けなかったからだと言われています。

大統領に当選してからも、CNN等への非難の仕方についても一般の私たちが

受ける印象は、トランプ大統領のマナーに首をかしげるようの放送のしかた

ではないでしょうか。しかしながら、「三浦瑠麗、佐藤優 トランプのス

キャンダルと、マスコミ報道のウソ! 2017年1月19日 」は、マスコミ

の報道姿勢を疑問視しているではありませんか。
https://youtu.be/nUhwbNjh1YM

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ついに1月21日に、トランプ大統領就任式が執り行われました。振り返

って、日本の国会議事堂内で質疑応答が行われているときに、TV局は半

日にも及ぶ議論のやりとりをすべてを中断せずに報道しています(国会

前で何千人もの国民が原発反対等で抗議集会を開いていたとしても国会

内のみの映像)。ところが、その同じTV局がわずか16分のトランプ大統

領の演説(木村太郎氏が絶賛)と1時間余りの就任式が行われている時間

帯に、途中で市内の抗議集会の映像に切り替えるのに驚いた視聴者も少

なからずいたのではないでしょうか。

キヨサキ氏と共に「大金持ちの陰謀」を察知しているトランプ大統領。

また、歴代の大統領の中で唯一と言って良いほど、外部献金者(言いな

りになる必要)のない、自分のお金で戦ったトランプ大統領の

「America(people) first only !」の深い訴えを、中断すること

なくすべてを中継してほしいものです。

さて、このトランプ大統領のメッセージが、日本人には逆にチャンスで

あると受け止める見識者も少なくありません。日本人以上に日本の愛国

者ではないかと思えるほどのアメリカ人国際弁護士であるケント・ギル

バートさんの対談内容が、特に際だっていました。

「ケント・ギルバート★トランプ誕生で政治家とメディアの戦いが始ま

る!目覚めざるを得ない日本の状況 #ケント・ギルバート #中山恭子 」

ttps://youtu.be/k6WLsebd7Lk において、日本国内で、

「Japan(people) first only」と叫ぶことができるチャンスを、

トランプ大統領が提供してくれているようにもとれます。おそらく、

日系人であるキヨサキ氏も同意見かと察します。

かつてのケネディ大統領のように、CIAよりも一般国民を重視するトラ

ンプ氏は、ケネディと同じように暗殺される可能性がささやかれていま

す。が、その可能性はないと、増田俊男氏などは断言します。昨年5月

の時点で、イスラエル右派がトランプ氏を支持した時点で、大統領当選

を予想したその同じ理由で、左派からの暗殺はないと。

しかしながら、トランプ大統領がイスラエル国内にあるアメリカ大使館

を、テルアビブからエルサレムへの移転にトランプ氏が容認する発言に

、三大宗教の総本山で軋轢が生じることを心配する見識者も出はじめて

います。トランプ大統領の娘イバンカさんは、ユダヤ教に改宗していま

すし、就任式にもユダヤ教の聖職者が壇上で祈祷に加わっていたように

見てとれました。

いずれにしても盟友キヨサキ氏が、同じ不動産王にしてファイナンシャ

ル教育の同じ視点をもつ者として、これからは実業家が大統領を見る視

点で、他では聴くことのできないユニークな解説を、日系人金持ち父さ

んであるキヨサキ氏は私たちに提供してくれるのではないでしょうか。

ますます、トランプ大統領の土台になっている金持ち父さんの教えから

目が離せなくなります。



PS. コロナ騒動をいまだ抜けきれない今、3年半前の視点で、再び
  アメリカ大統領選を再考しています。






真夏日が続き、花火が夜空をいろどるようになると、避暑地の風景に

思いをはせるのではないでしょうか?

そこで今回は、日本とイギリスの代表的な避暑地を訪ねて

みたいと思います。

ともに共通するテーマが、皇室、そしてキリスト教(スコットランド)です。

軽井沢

前天皇(上皇)が皇太子時代に、軽井沢のバニング女史(家庭教師)宅で

4年間過ごされ、後に前皇后様と軽井沢テニスコートで楽しまれたことは、

私たちの記憶に新しい。


この軽井沢を世界に広めたのが、ショー宣教師であることは周知の

通りで、今年もショー記念礼拝堂のポスターが、町中の至る所に掲示され

て、イベントの案内が目に入ります。

ショウー宣教師はカナダから来られていますが、幼い時は両親と故郷の

スコットランドで過ごしました。軽井沢を通り過ぎる際に、幼少時の

スコットランドの寒冷な空気の記憶がこの軽井沢で呼び起こされたのか、

何にもないカラマツ(北原白秋の詩)の原風景の中に、粗末な住居と

チャペルを建てたのが避暑地としての始まりです。

今は軽井沢銀座までは商店が建ち並びますが、ショー記念礼拝堂

(ショーShowではありません)から奥は、森林浴の原風景に戻ります。

Shaw氏は、普段は東京の芝公園近くに住み、福沢諭吉など

に大きな影響を与えたと言われています。



バルモラル城

イギリスの皇室の夏の避暑地で、バッキングハム宮殿から

バルモラル城に皇族が行かれたというTVニュースが夏に流れると

英国中が、本格的なホリデー・シーズンの幕開けとなります。

ロイヤル・ディー(dee)サイドと呼ばれ、Aberdeen市(長崎グラバー「亭」

の出身地)に流れこむディー川の畔に御影石で建てられた美しいお城で、

最も私が好きになったドライブ・コースの一つで、お勧めです。

近くにスコッチ・ウイスキーの蒸留所があり、水と空気のおいしい場所で

すが、軽井沢のような商店街は、一切ありません。

チャールズとダイアナの、最初の出会いの場所でもありました。

友人に連れられて日曜日に近くの教会に入ると、軍楽隊の行進を先頭に

エリザベス女王とダイアナ妃も入ってこられ、10数メートルの至近

距離で1時間あまりを過ごすという、避暑地で最高の思い出となりました。

(ちなみにエリザベス女王は、英国国教会の首長だそうです)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私たち一般庶民から、物理的には遠い存在にある皇室とスコットランド

(キリスト教)が、夏の避暑地ともなるとぐっと近くなるのは、なんとも

感慨深いものです。