武漢コロナが世界に激震を与えて以来、
「新しい生活 習慣」なるガイドラインにより、
不自由な生活を強いられて久しい。
   自然発生説から、武漢研究所漏洩説にシフト
    ワクチン接種からカクテル療法に
    いずれもトランプが1年前に提唱


 さらに、ワクチン接種ではもはや国全体
に集団免疫が得られないことが判明し始め、
長いトンネルの出口は、さらに遠のいたも
のとなりそうです。

 そこで、周りの政策に期待するという
よりも、自発的に自らの生活を自助努力
でリセットしなければなりません。

それでは、かつてベストセラーとなった書
を手元に置いて、
新しい自分の習慣を探ってみたい。




スティーブン・R・コヴィー著 
『7つの習慣』



「インサイド・アウト」。
公的成功の前に、私的成功の重要性を説く本書
は、ビジネス書のベストセラーとして
日本にも大きな足跡を残した。

かつて文明開化の幕開けの明治初期に、日本で
ベストセラーとなった『西国立志伝』は、
イギリスの産業革命時代に英国でベスト
セラーとなったSelf-Helpの翻訳書であっ
た。



公的事業の前に私的研賛を強調する、文字
通り『自助論』(サムエル・スマイルズ著)
を提唱している本であった。

 アマゾンで『七つの習慣』を検索すると、
同時に注文されている本も、アメリカでベ
ストセラーとなったビジネス書で、D・
カーネギー著『人を動かす』という、個人
の話し方の本であるのも示唆的である。

 いずれも時代の転換期に、社会の動きと
対比して自己を正確に位置づけようとする書
であることが共通しています。
 本書は、特に『習慣』として七要素を個人
に定着させようとする点に特徴が見られる。
そこで、次の七つの観点からこの習慣の接点
を探ってみましょう。


1.読者をひきつける大きな要因は、本書が
単なる理論を提唱しているだけでなく、著者の
私生活を土台にして書かれている点である。
 公的事業の前に、家庭生活の重要性を告白
している事実を見逃してはならない。

  息子が大学進学をする際に、息子の「個人」
の意思を優先するという「無条件の愛」を体得し
(291頁)、また夫婦で「1年間、毎日少なくとも
二時間の深いコミュニケーションを図ることがで
きた」(468)ことが土台となっている。
 日本では、とかく家庭を犠牲にして仕事に精進
する風潮とは、とても対照的でさえある。


2.七つの習慣は「効果性の習慣」であり、P/PC
バランスにある(63)。企業の業績は顧客満足に
比例するのは周知の事実であるが、「顧客満足を
願うなら、一番大切な顧客に接するのと同じよう
に従業員にも接しなさい」(68)というのが習慣
にならなければならない。

  我が社の場合、本社と支社がパソコン・
データーを媒介としたコミュニケーション志
向でつながり、また支店長が従業員とはいえ
「学生アルバイト」まで接する際に、P/PC
バランスで相乗効果を発揮するのには難しい。
という二重の要素を含んでいるとのではな
いでしょうか。この難しいバランスの改善
に、売上げが左右されるからです。


3.私的成功(習慣1~3)と公的成功(習慣
4~6)の接点が、時間管理のマトリックスか
ら測定される第2の領域にあることが明白で
ある。「重要ではあるが緊急ではない」第2
領域(218)を、危機管理のセンスを持って
『習慣化』できるかどうかが、本書の中心
課題である。
 私的成功が公的成功に転換できるかどうか
が、ここにかかっている。使い走りのデリ
ゲーションではなく、第四世代の時間管理
(関係の維持/強化)が鍵となります。

 ここで著者は、「人に任せることができそ
うな仕事や責任をリストアップしてみる」
(258)が、逆にそのような「人を育てる」
ことができるかどうかが、日本の今の経営
者にとっては特に重要になる、と私は考え
ます。

  しかしながら、著者に弱点があるとすれば、
二次方程式/ピグマリオン的(7)なダイヤグラムの
組み方に、そもそも問題があろう。
X軸とY軸に2つの要素を分類
(104,146,215,322)すれば、おのずと第2
領域がクローズアップされる。
  かつて、勉強(経営も同様)は能力ではなく
やり方であると、ベストセラー『超・勉強法』
を世に問うた野口悠紀雄氏は、『超・整理法』
で重要度と緊急度を同じ尺度で整理する方法に
おいても、同書をベストセラーにしている。
日米には、発想の違いがあるからである。





4.市場ではWin-Winの関係を志向することが、
ベストであることは言うまでもありません。特
に、「システム主導型研修」と「生徒主導型研
修」の違い(332)を明確にし、マネジャーク
ラスが甘い汁を吸うことで社内の協力関係を
台無しにしているのを筆者が見抜いたのも、
この視点からである。

  ここでは、「社内の協力」と「市場内の
競争」を分けて考えなければならない。私的
成功が公的成功より先んじるように、社内
(協力)が市場競争よりも優先される。
この順番を間違うと、偏った習慣に導くこ
とになります。

  ここで、社内と市場のバランスをいかに
調整するかが管理職の手腕が問われることか
らか、『七つの習慣』を社内研修でテキスト
として使われるようになりました。

  さらには学習塾も、この「七つの習慣
の研修」(認証)をうけたグループとして
宣伝用に使ったことがあると、友人の学習
塾経営者から聞きます。
 個別教室としては、当時急成長を遂げた
有名な「がんばる学園」でした。しかし、
がんばる学園社長は講師の研修には別
メニューを要請していました。塾が世間
からの評価を受けようとするために、大手
企業が導入していた「七つの習慣」研修
制度を、塾業界に導入したのです。それ
は、社会・保護者からの社会的信用度を
得ることに目的があったと思われます。

  同様に、「コーチング研修」認定
制度も、企業から塾業界に導入しよう
としたのも、同じ発想からでしょう。
今ではその「習慣」は無くなりました。
                

5.本書の始まりと終わりは、T.S.エリオット
の格言の引用である。
「我々は探求をやめてはならない。そして、
 我々のすべての探求の最後は、初めにい
 た場所に戻ることであり、その場所を初
 めて知ることである」(48,481)。

 「はじめにいた場所」とは、筆者には「常
に私の価値を認めてくれる存在、母」(476)
であり、「妻が話していたのは自分の父親に
ついてであり、忠誠心についてであった」
(473)。
「子供に相続できるもので永遠の価値をも
つもの、、、“ルーツ”と“翼”である」
公的成功より、まさに私的成功と人格主義
を追い求めてきた筆者の独白でもある。

そういう意味では、創業者や経営者の親子
関係の中にある価値観や相続概念を、ひそか
に読み取る事は、社員にとっても大事な要素
になると思われます。
また逆に、会社に電話をかけてくる社員の家族、
さらには学校の授業参観に来る生徒の親にも、
同じような陰影をその親子関係に読みとる必要
性をも感じます。


6.「この本の本質をよく示すものであり、その
根底にある原則」とは、「刺激と反応の間には
スペースがあり、そのスペースをどう生かすか
が、私たちの成長と幸福の鍵を握っているとい
うこと」(467)である。

  具体的にはトマス・クーンの「パラダイム
転換」(24)にあり、固定概念を疑って見る
ことにある。自らの置かれている立場を疑って
かかる、コペルニクス的転換をも要求するもの
である。

  筆者が最も引用する学者が、ピーター・フ
ランクル(82,94,120,144,179,450)であるのも
うなずける。アウシュビッツの収容所で生死の
境で「刺激と反応の間にスペース」を見つけ、
希望を抱き続けて生き延びた生き証人であるか
らだ。「自分が人生に問われていると理解すべ
き」ものの味方となり、スペース「間」作り
が必要になります。

  では、「刺激と反応の間のスペース」を見出
す最も有効な方法が何かというと、最後の習慣、
第7の習慣である「刀を研ぐ」ことである。具体
的には本書が生まれたのも「執筆活動に専念する
ために大学から1年間の休暇をもらった」(466)
ことにある。いわゆるサバティカルである。
と聞き、驚嘆したことである。
  時間の順序としては、第7の習慣が1~6
の習慣を考え出したのである。この「逆」の時
系列が、カギとなります。
                
  カナダの大手企業で働く友人は、学者で
もないのに丸1年間有給休暇をもらっている
と聞いて驚いたことである。一般企業でホワ
イトカラーとして7年間働くと、1年間の
有給休暇=サバティカルが与えられ、なんと
どこで何を勉強してもよいという自由が与
えられるではありませんか。

 対して、日本の有給休暇は、実質的に機能
してはいません。休むということ自体に、日
本社会が価値観を置いていないのかもしれま
せん。

休みの効用が、質の高い習慣を生み出す
ということを、深く再考したいものである。
特に、学校/スクールの語源は、「余暇:
スカラー」であると聞きます。余暇を生
じさせた古代ヨーロッパ(一説に古代
エジプト文明時代)に学問の向上がみ
られ、国民生活の質が飛躍的に向上した
というのである。日本の受験システム
とは、ほど遠い処にあることでしょう。


7.「教育や法律だけでは影響できない側面が
人間にはあり、それは神によってのみ変えるこ
とができると私は信じている」(481)と断言
する著者は、本書を宗教書のような視点でも書
いている。キリスト教信仰のインサイド・アウ
トとしての習慣から生まれた公言録でもある。

  しかしながらあまりにも多い例話の引用、
また古今東西の格言を学者として多く引用す
るが、それがまた本書を分かりにくくしてい
る要因になっているとも思える。

 右脳と左脳の引用も、筋を分かり難くしてい
るように感じる。すべてのものを、宗教と心理
学とビジネスを縦横無尽に展開するのが、本書
の長所であり、また同時に難点にもなっている
と感じます。

  分厚い本書の少なくとも半分のページ数で
7つの習慣を説いてくれていれば、さらに読み
やすくなって習慣として身につけることができ
る項目が多くなるのではと思うのは、私だけ
であろうか?

 さて、本書のタイトルにある「習慣」とは、
国によって文化や国民性の違いがあることか
ら、当然のことながら習慣そのものの土台が
違っていることが明らかです。
例えば、現在当たり前のように使われている
企業のPDCAプログラム志向。最初に、Plan
計画からスタートします。

その「計画」とは、企業のノルマ的レベル
なのか、それとも1個人による主体的な計
画なのかでスタートからして習慣の質が
変わってきます。

 とかく個人主義的趣向の欧米と、おそ
らく共同体的な反応をする日本とでは、
計画の立て方と、そこから生じる習慣
の内容そのものが違ってくるのは明ら
かでしょう。

 そこでは習慣customが多重になり、
国や地域によって複数の習慣が存在する
ことになります。                   
 そうすると、習慣の複数形
customs
は、「税関」となります。
グローバルな時代に、流動的にビジネス
マンが行動すると、習慣の違う国が行き
交うことになります。
と、そこに相違という「関税!」かけられる
ことになるのではないでしょうか。
 
 つまり、自分の習慣の質を高めると同時に、
他人の習慣と自分の習慣の相関関係をも察知
しておかないと、人間関係にマイナスになる
という関税がかけられる危険性があります。
隣人の習慣との相違を察知する能力のある
なしで、金銭(関税)が影響してくるという
オマケがついて来そうです。

 さて、筆者コビー氏は自らをキリスト教徒
であると告白をしていますが、巻末を見ると
正確にはモルモン教徒であることが分かり
ます。

 もしキリスト教徒が、ユダヤ選民思想を
土台に発展したと解すると、モルモン教徒
はアメリカ選民思想でもって展開したとも
取れるでしょう。とすれば、日本人の我々
も、一種の日本的な選民思想で精神武装す
る必要があるのかもしれません。

世界で唯一、2,680年間にも渡って天皇を
抱くという。世界でも稀な精神習慣を持っ
ている民族ですから。