こんなときあった?
何も起きていないのにふと悲しくなった
誰かに何かされたわけでもない
悲しくなる理由もない
だけれども
何故かふと悲しくなったり、鬱状態のような気持ちになる
そんな経験がある人はいないだろうか。
残留思念に出会う
残留思念というのは人の強い思いが思念にかわり留まっている塊みたいなもので目には見えない。
近寄ってしまったり、その中に入ってしまうと
何故か自分自身の気持ちとは違うのに悲しくなったり苦しくなったりする事がある。
何故喜びの思念体には出会わなくて、悲しみや苦しみの思念体ばかりに出会うのかは陰陽の摂理から説明ができる。
喜びの思念体は陽であり、放散する。
悲しみの思念体は陰であり、溜まり凝集するからだ。
陽気で明るい人はその気を放散するので周囲の人々は影響を受けて明るくなる。
悲しみや鬱々とした思念体は凝集するので留まる事が多い。
そしてその凝集した思念体は塊となって浮遊している。
多少は移動するかもしれない。
そんな苦しい陰の残留思念に出会ってしまう確率は実は日常茶飯事なのである。
残留思念の影響を受けやすい人
残留思念というのは所謂、気だ。
気持ちだ。
他人の陰鬱とした気持ちが塊になって浮遊して移動している。
それにぶち当たってしまったり、拾ってしまう人というのはエンパシーの強い人間だ。
共感能力が強いと空気を感じ取って気持ちを汲み取る。
他者を理解しようとするが故に空気まで、更には共感能力の第六感まで強くなりその残留思念を肌で感じたら理解しようとしてしまう。
それは大変よろしくない。
生きている人間のソレだけでも対処するのに大変なのに、落ちている残留思念までとなると身体が持たないだろう。
残留思念が入ってきたときの対処法
本日、私は人の残留思念のようなものが自分に入ってきたときの対処法をわずかながら自分で出来るようになった。
いわゆる、脳波であったり、人の持つ電気の波動を感じ取ったりする事で「通じる」という事になるのだと思っていて。
それはもう電波を発信してモデムとデバイスが繋がるように、人と人、または残留思念と人、人ならぬものと人、これらは電磁波か電波で繋がったときに感じるものだと思った。
感じ取ってしまった場合に受け取ったその残留思念の気持ちでいっぱいにならないように私の心を確かめた。
「私は私の中に居て、この身体は私のである」と思うと入ってこようとする残留思念のようなものが離れて行った。
私の気持ちでいっぱいにした。
その時に私は楽しかったから、今楽しい気持ちでいっぱいにした。
運転中にふと自分の感情ではない気持ちが入ってきたのがわかったからできた。
自分の現状とは違う気持ちにいきなりなったら
- 楽しかったのにいきなり気持ちが落ちた
- さっきまで嬉しかったのに原因がわからないまま落ち込んだ
- 経験した事がない事を悲しむような感覚になった
など、
こんな時にはさっきまでの自分を思い出してね
- 自分の体の心のあたたかさを思い出そう。
- 喜びを思い出そう。
- 今の自分と残留思念とは別物だと気付こう。
- この身体は私のであるから私でいっぱいにしよう。
共感力は悪い事ではないけれど
共感力は決して悪いモノではないのだけれども
共感しすぎる事で自分と他者の感情が同調から溶けるように一緒になるというのは大変よろしくないのです。
私は占い師という仕事をしているので、共感力がとても必要になってきます。
霊視のような事をする事もあります。
その場合に写真で視る場合が多いのですが場を感じ取る為に共感に近い状態になります。
感じ取る為に動くのですが、これが行き過ぎると繋がったままになるので切り離す必要があります。
もともと、ストレスによるマグネシウム不足によるうつ病気質ではあるのですが、ただ歩いているだけでも気持ちを拾うことがあります。
本日は運転しているだけだったのですが拾ってしまい、自分の心と身体を確認して、やっとはっきりとした切り離し方ができるようになったと思いました。
同じように拾うように落ち込む気持ちになってしまう人は是非ためしてみてください。