城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!
今回のルート:小牧市役所前(バス停)-史跡公園南口-御幸橋口-史跡公園-れきしるこまき-大手道-徳川源明公墓碑-小牧山稲荷神社-桜の馬場-小牧市歴史館-虎口-搦手口
今回は小牧山城をめぐります。
スタートは小牧市役所前バス停です。名古屋の名鉄バスセンターから高速バス45分ほどで到着します。バス停で降りるとすぐ目の前が小牧山城址です。また、小牧駅から徒歩25分で来ることもできます。
南口の階段を上ると、堀と土塁が現れます。これは家康時代に築かれたものを復元したものです。家康は対峙する豊臣軍に備えて、堀を二重にしました。
史跡公園南口
合瀬川(あいせがわ)にかかる御幸(みゆき)橋を渡り、御幸橋口から改めて公園にはいります。
こちらは小牧長久手の戦いの時の虎口だったようです。
往時の土塁と堀が生々しく残る。
その先は曲輪402と名付けられたエリアです。広い公園になっています。
曲輪402は山麓部最大の曲輪であり、周囲を堀と土塁で囲まれているため、織田信長の居館があったとも考えられています。
周囲の土塁は遊歩道として整備され、上って歩くことができます。
小牧山城は1563年、織田信長によって築城されました。
桶狭間の戦いに勝利した信長が、清洲城に代わる美濃攻略の拠点として築いたのが小牧山城です。
1567年、稲葉山城を落とした信長は稲葉山に拠点を移し、小牧山城は廃城となりました。
いったん廃城となった小牧山城ですが、1584年、小牧長久手の戦いにおいて徳川家康は、小牧山城に本陣を置きました。
そのため、小牧山城は信長、家康ゆかりの城となっています。
江戸時代には家康ゆかりの陣跡「御勝利御開運の御陣跡」として、一般の入山は禁止され、結果として遺構などが守られました。
明治以後も尾張徳川家の所有地でしたが、昭和に入って小牧町(こまきちょう)に寄付されました
「れきしるこまき」(小牧山城史跡情報館)まずはここで史跡の予習をしていきましょう。
お城の模型が展示されています。
小牧山城には石垣が三重に取り巻いていて、下から見上げると高石垣に見えました。
大手道に来ました。
小牧山城で特徴的なのが、この直線の大手道ですね。
一般的にはなるべく折れを設けて敵が上りにくい状態にするのですが、敢えて明け広げて敵を迎え撃つ意志と自信を示しているようです。
この直線状の大手道は後に築いた安土城にも受け継がれています。
なお、小牧市役所に線が伸びていますが、これが大手道の跡です。市役所の建物の中まで続いています。
大手道の途中にある徳川源明公墓碑。名古屋藩九代藩主。「中興の祖」と言われる名君です。
上から俯瞰した二重土塁。
桜の馬場跡。今は公園になっています。
小牧山稲荷神社。
大手道に復帰し、さらに上ります。大手道はここで右折します。
永禄期の大手道を進むと、天守らしき建物と石垣が見えてきます。
石垣ですね。急に公園から城跡らしくなりました。
大手道を俯瞰すると、こんな感じです。主郭付近は流石にクランクになっていて、堀も設けてあったようです。
下から見上げた模擬天守、小牧山歴史館です。1962年に建設されました(旧小牧山歴史館)。
なおスタンプと御城印はここでも「れきしるこまき」でもいただけます。
斜面には大きな石がいくつも転がっています。
石垣の石材の一部が転落した「転落石」です。
最上階は展望室になっていて、名古屋城、清洲城、犬山城方面が見渡せます。小牧山は独立した山なので、周囲の展望が良かったのですね。
歴史館前の「花崗岩の巨石」。
歴史館東側の「山の岩盤に築いた石垣」。
歴史館北側の虎口
搦手口。
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