城をめぐります。有名無名関係なく、興味があるところならどこへでも!
今回のルート:下南畑(バス停)-難波田城公園追手門-菖蒲田-喰い違い虎口-曲輪1-曲輪2-曲輪3-曲輪4-難波田城資料館-旧金子家住宅-ちょっ蔵-納屋-旧大澤家住宅-穀蔵-旧鈴木家表門-復元井戸
今回は難波田城をめぐります。
スタートは下南畑バス停です。志木駅東口からバスで25分かかります。ここから徒歩15分で難波田城公園に到着します。本当は、「興禅寺入口」か「難波田城公園南口」バス停の方が近いのですが、運行系統によってはバスが停まらないのであらかじめ確認が必要です。
追手門が見えてきました。冠木門に屋根を乗せた「棟門」です。
内側から見たところ。
少し進むと菖蒲田があります。
ここは菖蒲の名所らしいのですが、勝負の季節には少し早かったか。
八つ橋はこれでなかなか風情がある。
土塁の上には上れます。
菖蒲田を俯瞰するとこんな感じ。
食い違い虎口。敵の進行を妨害し、側面から攻撃する仕組みです。
難波田城は水堀と土塁に囲まれた平城でした。
東門は冠木門ですね。
難波田城は鎌倉時代、武蔵七党村山氏の一族難波田氏によって築かれました。
1546年、河越城の戦いで扇谷上杉氏が北条氏に敗れ、難波田憲重は戦死、難波田城には北条家臣の上田氏が入りました。
こうして城は北条氏の領有となりましたが、1590年、北条氏が滅亡すると、城は廃城となりました。
なお、1537年の松山城の戦いでは難波田憲重が、北条家臣の山中主膳と和歌を詠みあったという逸話が残っています。
難波田城は現在、難波田城公園として整備されています。2000年6月に開園しました。
公園は東側の城跡ゾーンと西側の古民家ゾーンとに分かれています。
城跡ゾーンは四つの曲輪に分けられ、便宜的に番号が振られています。石碑がある本城が曲輪1、その外側、馬出構造のエリアが曲輪2、水堀の南東、喰い違い虎口のエリアが曲輪3、追手門から資料館に至る範囲が曲輪4です。
古民家ゾーンは古民家と長屋門が移築復元されています。
復元木橋を渡り、本城に移動します。
本城門です。こちらも冠木門。
石碑が立つこのエリアが曲輪1、本城です。
本城はいわゆる本丸、本曲輪で70m×50mの規模がありました。
その手前が曲輪2です。馬出の機能があったと考えられています。
喰い違い虎口のエリアが曲輪3、
追手門から資料館に至る範囲が曲輪4です。
富士見市立難波田城資料館。ここを通り抜けると古民家ゾーンに出られます。
水塚(みずつか・みつか)です。土が高く盛られていて、水害時の避難場所となりました。
旧金子家住宅。市内水子にあった民家を母屋として建築しました。建築面積176㎡。
エントランス。キャラクターは「なんばった」。
ちょっ蔵。売店です。
納屋。
民家の中には入ることができます。
季節柄、五月人形が飾られていました。
そして鯉幟も青空を泳いでいます。
旧大澤家住宅。市内東大久保の民家。かつての名主の家。建築面積278㎡。
ここも中に入れます。
庭の様子。
旧鈴木家表門。市内針ヶ谷にあった長屋門。建築面積117㎡。
穀蔵。展示施設になっています。
復元井戸。
難波田城公園西門。
ご覧いただきありがとうございました。
この内容は動画でもご案内しています。よろしければどうぞこちらもご視聴ください。