蓋の大地に住む小さな獅子たち ─海峡華人の蓋着き陶器にみる陶獅の世界 (シンガポール・プラナカン博物館)

 
   海峡華人の「蓋盅」(華語カイチュン・現地福建南部系方言:カムチェン・かいちゅう)は、鮮 
やかな色合いで、品のいい陶器の世界です。

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     蓋盅とは、「蓋つき陶器」の意味です。海峡華人の装飾に溢れる住居の派手な色塗りとも通じる、薄紅色や乳黄色や薄荷色のパステルカラーを基調とした鮮やかで華麗な図案が目を惹きます。

 
 
  




   異文化との出会いによって、中国内地での色合いやデザインにはみられない感性で創られた、「他のあり方」でありうる中国的文化の可能性が、ここ南洋で花開いているともいえるかもしれません。


 

     その蓋のつまみは、獅子像であることが多いです。そこには多様な表情とカタチをもつ、小さな可愛い獅子たちの世界が展開しています。

 
 



   蓋の上の大地に、主人の指先につまみ上げられるのを待って、おとなしくかしこまっている



獅子たちは、よくみる威勢のある獅子像とはまったく違った唐獅子の世界です。

    こういうの、お好きですか。華やかで、優雅で、私は愛着を覚えます。

     ここで海峡華人というのは、マレー語でプラナカン(Peranakan)と呼ばれる、マラッカ海峡の西欧植民地で生きる華人を指します。子孫とか、末裔の意味です。男性の子孫はババ、女性の子孫はニョニャともいいますので、ババ・ニョニャ(華語: 峇峇娘惹)ともいいます。ここから、海峡華人の陶器は、「ニョニャ・ウェア」ともいいます。

    
 

    これらは、英領海峡植民地(シンガポールやマラッカ・ペナンなどマレー半島)を主として、蘭領ジャワ島(ジャカルタ・スラバヤなど)や、スマトラ島(メダンなど)の華人の末裔も含んで指しています。


 

     海峡華人たちは現地でマレー人などと結婚して、現地の文化も採り入れつつ、宗主国の西欧文化も採り入れて、独特な感性があらわれた文化を創ってきました。華人女性の着るバティック(Batik・ろうけつ染め)のクバヤ(ニョニャクバヤ)や、腰に巻くサロンなどはよく知られています。クバヤの前開きをとめるブローチ「クロサン」や、金銀のかんざし、ビーズ細工などの繊細な工芸品の世界も美しいです。

     ご紹介する陶器の蓋つまみの獅子たちは、シンガポールのプラナカン博物館の所蔵陶器から、拡大してみたものです。この博物館は、シティ・ホール付近にあり、1912年竣工の学校建築が博物館です。



     FB「狛犬さがし隊」で長崎在住のYukiko Takehara さんから、17世紀の柿右衛門など、蓋のつまみが精緻な可愛い狛犬であったり、狛犬の置物もいろいろあることを御教示頂きました。景徳鎮より精緻で芸が細かいです。



    展示されているこれらの蓋つき陶器は、19世紀晩期から、20世紀初頭にかけての造られたものが多く、海峡華人たちの趣味にもとづいて、中国の景徳鎮で造られたものが多いです。




    有田は陶山神社の狛犬は老舗の磁器メーカー深山陶器謹製の狛犬とのことで、陶磁器でも狛犬や唐獅子が楽しい世界で結びついていて、たいへん面白いです。有田の陶製狛犬は、Mixi版「狛犬さがし隊」投稿記事「有田、嬉野の狛犬」http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1741388&id=39942037
にYukiko Takehara さんからの紹介記事があります。

 




   

 




   今回は写真の説明はつけませんが、最後のものは犬にもみえたりして、微小だから、もう判別不能です(笑)。

ヒンドゥー教の人獅子ナラ・シンハ
─ヒンドゥー教の獅子像・その1
(シンガポール、マレーシアジョホール州ジョホール・バル)




  海洋民であったブギス人街のあったシンガポールのブギスにあるスリ・クリシュナン寺院にはナラ・シンハさま(人獅子)(ナラ=人・シンハ=獅子、ヌリ・シンハとも)の像があります。

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図1.スリ・クリシュナン寺院のナラ・シンハ像(シンガポール)

 



  これは獅子面の獣人の姿で、日本で言えば、私の世代が子どもの頃にみた「怪傑ライオン丸」みたいなものです。というより、ライオン丸はナラ・シンハさまそのものです(白獅子ですが)

  


図2.ラジャ・マリアマン寺院のナラ・シンハ像(マレーシア、ジョホール・バル)



  ナラ・シンハさまはヴィシュヌ神の10の化身のうちの4番目です。寺院本堂南側壁におられ
ます。ナラ・シンハさまは、自信ありげな顔をいつもしておられます。

 
 

 図3. ビシュヌ神の10の化身像(ラジャ・マリアマン寺院・マレーシア、ジョホール・バル))



  インドは実際にインドライオンが生息しているので、ライオン像もリアルなものがほとんどですが、ナラ・シンハさまも豪快な百獣の王のお顔で、少し笑っているようです。

  

図4.ビシュヌ神の10の化身像のなかのナラ・シンハ像(ラジャ・マリアマン寺院・マレーシア、ジョホール・バル)

  なお、チャイナタウンにあるシンガポール最古のヒンドゥー寺院のスリ・マリアマン寺院(1827年創建)は、本殿周囲の壁面に、ナラ・シンハさまがおられました。

   ビシュヌ神の10の化身像は、シンガポールとの国境の街、マレーシアのジョホール・バル(Johor Bahru・華語:新山)のラジャ・マリアマン寺院にありました。壁面レリーフでわかりやすく並んでおられました。



  マレーシア、クアラルンプールのチャイナタウンにあるスリ・マリアマン寺院のナラ・シンハ像も、4本の腕で描かれています。


 

図5.クアラ・ルンプール、スリ・マリアマン寺院のナラ・シンハ像(マレーシア、クアラ・ルンプール、チャイナタウン

  ヒンドゥー寺院では、獅子像は多種ありますので、そちらも追々ご紹介したいと思います。

 

 

 
 
 広東「
でんでろ」石獅と麒麟になった福建石獅
─クアラ・ルンプール仙四爺廟の石獅と石麒麟
(クアラ・ルンプール、チャイナタウン)





    クアラ・ルンプールの父、葉亜来(Yap Ah Loy・1837-1885・広東省恵陽県出身・客家系といわれる)です。(李恩涵2003『東南亜華人史』五南出版社:170-200頁)が、内戦で勝利したことを感謝して1864年に建てた仙四爺は、1860年に戦死したスレンバンのカピタン盛明利を当地の廟から招来して祭祀しています。クアラ・ルンプール最古の廟です。もとは錫鉱から発展したクアラ・ルンプールは、鉱業を生業とする広東系・客家系の集まる場所でした。

 

  

図1.広東式石獅(向かって右)

     のちにこの街が英領マラヤ植民地の都となるのは、スルタンの影響下を避けた場所を選定したからだと思います。仙四爺廟では、葉亞来の金像が前後カピタンの写真とともに置かれています。

    仙四爺廟は、表の廟門は、黄色に塗られた洋式ゲートで、ちゃんとキーストーンが載っ
たアーチです。派手な色合いなのですが、裏門もあります。こちらは中国式山門です。

  

図2.広東式石獅(向かって左) 

  表門を入ると、廟前の広場には、大きな高さ1mを超える石獅が鎮座されています。この石獅は、すくっと胸を立てて、トランプのクローバーのような大きな鼻の左右に離れた大目玉を見開いていて、広東系石獅の造作をしていますが、2頭とも阿形です。

   
 
 図3.獅子頭部分(向かって左)

    口を大きく開けていて、牙も上下で合わさっていて、参拝客は、口に煙の立ち昇るお線香を入れて差し上げていて、煙とともに、毎日お線香をポッキーのようにバリバリ食べなければならない定めです。

 


図4.背中の色分け(正面からは向かって右)

 

    この石獅は彩色石獅で、身体は茶色ですが、黄・紅・薄荷緑を塗り分けていて、とても目を惹きます。でんでろ石獅さまという雰囲気ですが、広東系の獅子舞の獅子頭のでんでろした踊りのイメージとも、もっているリズムが通じる気がします。

    とくに背後からみると体毛がすべて塗り分けられていて、旭日旗のように見えて目が驚きます。そういうリズムが醸し出す雰囲気は、これはこれで、悪くはないです。

    向かって左が雄獅、向かって右が雌獅ですが、雌獅が右前足で踏んでいる仔獅まで、茶・緑・黄色に塗り分けられています。

    本殿門口左右にも、北京でよくみる北方系の王宮型の石獅が一対鎮座していますが、隆々と螺髪が勢いよく巻いています。こちらの口にはポーロ菓子が入っていました。



 
図5.北方石獅(向かって右)


    北京石獅の背後の門口左右と、裏門の2箇所には、打って変わって奇妙な麒麟が小さく座っておられます。高さ50㎝ほどの小さな石獅麒麟で、参拝客を下から見上げていて、目が上
方をみているのが可愛らしいのです。黒目に赤点を入れているのも芸が細かいです。

 
 

図6.北方石獅(向かって左)






    一見獅子にみえます。廟で祭祀の手伝いをしている方に訊くと、獅子ではないそうです。

  

図7.福建式石獅風石麒麟(向かって右)

 

    身体を緑に塗って、鱗をつけ、その点では麒麟です。顔の雰囲気はどうみても福建式石獅だと思いましたが、よくみると、角を紅に塗り分けて3本あります(麒麟は3本角ではないけれど)。

 
図8.福建式石獅風石麒麟(向かって左)

 

    台座は雲かと思いましたが、水しぶきが上がっていて海渡りのようです。ただ、尻尾の団扇のような分かれや、耳の横方向の伸び方、口がヘの字であるところ、頭の巻き毛の瘤のような表現など、これは福建式石獅の特徴です。じつは色を外すと、雲形台座以外は石獅そのものなのでした。

  
  
図9.福建式石獅風石麒麟(向かって右)

 


    雄獅が磬(けい・打楽器)を首に掛け、お小遣いが一文銭だけですね。

  

図10.福建式石獅風石麒麟(向かって左)

 

    雌獅も獅面を首に掛けています。珊瑚を持っているようです。持ち物や首飾りは、雄獅・雌獅ともに珍しい物を与えられています。

  

図11.虎爺の祭壇上の石獅(向かって右)




    そして最後に虎爺の後の一対の石獅です、ガラス棚に入っておられます。やはり目と首下の毛などは描かれています。巨大な白目をみせていてこれも驚きの眼力(めじから)をみせていました。

 


図12.虎爺の祭壇上の石獅(向かって左)
  

 

マレーシア・ムアー南海観音飛来堂の虎・鶏・犬・馬
─神前の対偶原則を逸脱する動物たち

(マレーシア・ジョホール州ムアー)





   マレーシアの西海岸のムアー(Muar・河口の意味・華語:蔴坡・ジョホール州の街)という街があり、この街は華人が19世紀後期の街の成立から関わります。華人は福建系・広東系・客家系華人などが住みます。マラッカの近くです。この街に南海観音飛来堂という南海観音を祭祀する寺廟があります。



図1.向かって左から虎爺・天鳳・天狗=観音堂の本坡社稷神祠は、実質虎爺洞です。




   華人が東南アジア海域世界に渡来することを「下南洋」(華語:シャアナンヤン)といい、福建系華人(東部・南部など)も広東系華人も、普(補)陀落渡海の南海観音を厚く信仰しています。



   廟の山門上の匾額には「南海飛来」と書いてあり、これは「飛んで来た寺」のような意味です。福建系華人も広東系華人も祭祀する寺です。





   廟内にはムア-の土地の神様を祀る「本坡社稷神」(ほんはしゃしょくしん)の神位を本殿前の敷地脇に洞窟状の空間を設けて祭祀します。

    




  しかしそれを守るのは、向かって左側が犬で、向かって右側が虎です。これで対となっているならいざ知らず、ふだん生贄(いけにえ)に捧げられるはずの鶏が、中央に守ります。





  それで廟の祭祀を手伝っている方々に聞いてみました。




  まず、向かって左の虎は、これは虎爺でした。洞窟状をしているのは、シンガポール厦門街の大伯公廟にある虎爺が洞窟にいるのと意味は同じです。



図2.虎爺


   虎爺は、ムアーの街の境内を本坡社稷神とともに護っていますが、祭祀の役割は、小人祓いが主だそうです。人にとり憑いてあらぬ失敗を引き起こす鬼怪です。そのため、祭祀には、貴人紙・緑馬紙を使い、横の壁面に貴人と緑馬を貼り、貴人をお招きして、小人を克服するのです。

図3.壁に多数貼られた緑馬と貴人紙



  「緑馬」(華語:リュイマー)は「禄馬」(華語:ルウマー)のことですが、「馬」としか書いていないで、しかも目を自分で書き入れるという珍しい方法で、わざわざ点睛(てんせい)してから生かしています。

 




   虎爺への捧げ物は、豆腐乾(高野豆腐)・豚肉・たまごです。虎にはブタとたまごが捧げ物というのも、同様です。小人紙を靴で叩いて、小人を追い出すそうです。


図4.天狗


   犬は「天狗」(華語:ティエンゴウ・てんぐ)で、これは神様の使いの神犬です。屈託のない表情は忠犬そのものです。羽根のある天狗もいますが、こちらは羽根がないです。台座の表現をみると雲の上に載っているので天狗と分かります。

図5.観音古廟石獅(向かって右)=福建南部タイプですが、表情がいいです。




   中国の古典小説『西遊記』や『封神演義』で、二郎神である楊戩(ようせん)の神犬として活躍する天狗と同様の意義があるはずです。中国の天狗は、月蝕・日蝕の原因になったり、月を覆い隠すことから、不妊の原因になったり(天狗祓いの子授け神として、張仙がいる)、天狗星の厄年があったりしますが、それらの意味とは区別して考えるべきものです。

 

図6.観音古廟石獅(向かって左)





   雄鶏は、その名も「天鳳」(華語:ティエンフォン・てんほう)といいます。鶏を鳳凰に見立てていますが、鶏は朝一番に鳴いて太陽を呼び、「報喜」(華語:パオシー・ほうき)といって喜を告げるので縁起が良い吉祥物です。鶏を生贄(いけにえ)として捧げられる場合は、殺して捧げますから、どうもこの鶏像にはそぐわないです。

図7.天鳳





  犬・鶏・虎で神様の使いとなっている事例は、中国でも台湾でも東南アジアの華人社会でも見たことがありません。3つ1組だから、対にならないので、これは困ります。この土地ならでは祭り方です。


図8.観音古廟山門屋根上に白リスが寝そべっていました(向かって右)




  中国文化は左右一対の文化が主流で、対偶の原則がある廟堂を守る石獅も同様ですが、三体一組はかなり規範から逸脱しており、事例として稀少なので掲載します。非狛犬=非石獅的発想である三体一組の発想が珍しいです。

図9.観音古廟山門屋根上の白リス(向かって左)

  さて、最後に馬(ロバ)・犬・虎(ネコ)・鶏と揃えばなんでしょう。そうムアー(ブレーメン)の音楽隊です(笑)。

 
参考文献:

川野明正 2000「天翔る犬─大理漢族・白族の治病儀礼〈送天狗〉と〈張仙射天狗図〉にみる産育信仰」『饕餮』第8号

杉原たく哉 2007『天狗はどこから来たか』大修館書店



台湾と福建系華人の虎爺(虎爺の話その2)
─虎爺を巡る民間信仰
(台湾台南市城隍廟とシンガポール厦門街大伯公廟)




    虎は猛獣で、中国でも畏怖と崇拝の対象です。漢語では「老虎」(ラオフー)ですから、名前からして、「老」をつけて尊敬を込めています。

図1..台南市城隍廟の虎爺と祭壇







    虎は神様に帰依して神使いとなることもあります。中国の雲南の大理盆地のことわざに「山神が口を開けなければ、虎は人を噛まない」ともいいます。山神の神使いなのです。台湾でも健康祈願の神である保生大帝の下に、帰依した虎爺さまがおられることが多いです。


図2.  台南市の木彫店の店頭の虎爺(東嶽殿附近)


   虎は山神の使いですが、逆に虎に噛まれて死んだ人は、冥界に入れず、山の中で虎の指図を受けて使役される「倀鬼」(ちょうき)という野鬼になるとされています。


  台湾では虎は、土地神・山神の乗騎でもありますが、こうして神様にお仕えしている虎爺は、村の魔除けとしても崇拝されています。奉納されたい場合は、街の木彫屋でお招き(買うとはいわない)することができます。家に祀るのではなく、あくまでも廟に奉納します。

 




   高佩英氏の『台灣的虎爺信仰』(遠足文化有限公司、2005年・ただし残念ながら絶版)によると、虎爺は財神でもあります。「虎爺が銭を噛んでもってくる」と俗に言います。





   台湾台南市城隍廟の祭卓下の虎爺は、水を入れた小さなお椀が虎爺のそばに置いてあって、そのなかに銭玉があるのですが、自分の銭玉と等価交換して財布に入れると銭玉が増殖するのです。




   「ぜにのたましひ」とも日本語ではいえ銭玉の増殖は、財布の銭玉を全部使うと財を失うという日本の俗信と似ていますね。台南市の木彫店の店頭でみかける奉納用の虎爺は、中国のインゴットである元宝に前足を乗せるものもあります。


   子供たちは身軽で神卓の下に潜り込むことから、虎爺とは相性が良いらしく、虎爺は子供の保護神にもなっています。だから虎爺さまにあやかって、病気がちの子供の義理のお父さんになってもらうこともよくあります。このほか、中国では、樹木や橋に、子供の義理の父扱いとして、名前の一字に「樹」「橋」などを付けたりします。

図3. 台南市東嶽殿の虎爺(本殿内の向かって左の壁際にいます)


  また、「豬頭皮」(漢語:チュートゥピー)といって、頬が腫れて膨張する病気は、虎が猪(漢語ではブタを意味する)を鎮めるので、虎爺を治療祈願にお参りすることもあります。

図4.マレーシア、ムラカ(マラッカ)青雲亭の「五虎将軍」


   シンガポールで、福建南部系のもっとも古い街である厦門街は、、天后宮(天上聖母=媽祖を祀る)や玉皇宮(道教の最高神である玉皇大帝を祀る)や、大伯公廟(漢語:ダーポーコンミャオ・だいはくこうびょう)があります。





    大伯公〈福建南部方言:トウァペックン〉は、地域の土地神です。ここのL字路上の突き出し部分は、直進する気である「沖煞」(漢語:チュンサー・ちゅうさつ)を撥ね返すための石敢當がありますが、その下の洞窟に虎爺がおられます。そのお姿は、まさしく生けるがごとく、吠えるがごとくです。


図5.インドネシア、ジャカルタ華人街(グロドッ地区)金徳院の五虎将軍


   シンガポールの福建人街の虎爺は、「小人」という祟りなす一種の鬼怪をを祓う神様で、小人のなす呪いや祟りで、うかつな失言や失敗が生じるのを防ぎます。こちらの習俗は、広東でもよくみる小人祓いの習俗です。使われる神像呪符も、じつは広東系のものでした。

図6.シンガポール厦門街大伯公廟




   小人の厄災は、広東や香港では、白虎という精怪とともに生じることが多く、転じて大伯公廟では、虎爺によって小人を追い祓う意味となっていることが興味深いです。この白虎を象った「白虎紙」は、じつは金門島東端の村落では、村の五方を鎮護する五営の旗の下に落ちていることがあります。白虎祓いが盛んな土地柄であることがわかります。

図7.金門島の白虎紙

図8.大伯公廟の虎爺



   話しをシンガポール厦門街の福建系住人の行う小人祓いに戻します。




   虎爺の祭祀儀礼の次第は、まず「虎爺紙」という虎を象った紙を用意し、豚の脂も用意します。



   次に紅色の「貴人紙」を用意し、その上に「青馬紙」の切り紙を貼ります。
   

    対して「小人紙」の方は、白い色で、地上の左側に起きます。神の位格である貴人で、鬼怪の位格である小人を克服するという意図です。ちなみに「青馬紙」は、広東系では「緑馬」(広東語:ロッパー)で、これは禄運をもたらす禄馬に掛けています。
  


   「虎爺紙」は虎を描いた紙を用意し、豚の脂も用意します。次に紅色の貴人紙を用意し、その上に青馬の切り紙を貼ります。対して小人紙の方は、白い色で、地上の左側に起きます。


図9.小人祓いに壁面に貼る、貴人紙と青馬

   鶏のたまごとブタの油を、虎爺の前に用意し、ローソクと線香に点火し、地震の姓名と住所を虎爺に告げます。虎爺が小人を駆除し、貴人を招くように求め、平安吉祥を守って、厄災を消すよう頼みます。


   そのあとでおもむろに靴を脱いで、小人紙を身代わりに靴で叩きつづけます。こうして小人を叩き出すのです。

  そのあと、虎爺に燃やし送る金銀紙で自分の身体を上から下に祓い、脇の炉で燃やします。

  そうして、貴人紙と青馬を虎爺の脇の壁に貼ります。たくさん貼ってあります。



   この小人祓いの習俗、広東や香港では、啓蟄の日に行います。白虎と小人を祓うため、虫が頭を出し、白虎が口を開く啓蟄の日が祭祀の日なのです。
   




    白虎が啓蟄なのは、虎は中国では別称「大虫」(漢語:ダーチュン)だから、じつは虹(双頭の龍であったりします)や蛇(長虫)同様、虎は、中国では「虫」のカテゴリーに属すものであったりもするのです。


参考資料:
:高佩英(著) 2005 『台灣的虎爺信仰』:遠足文化出版公司
川野明正2012「〈蟲〉と蠱毒―現代に脈々と伝わる中毒の黒呪術伝承」『人と自然』No.三、人間文化研究機構


図10.シンガポールだから、タイガーバーム出しておきました