台湾の虎爺(その1)
─新港「奉天宮」の奉納虎爺
(台湾嘉義県新港郷)






   中国や台湾・東南アジア華人社会で石獅などを見て回っている私は、虎もネコ科という理由で、雲南の魔除けの瓦猫などと同様、魔除けのネコ科動物像として、見るべきアイテムとしています。虎爺は、単体の魔除けの虎像です。

図版説明:


図1.新港奉天宮虎爺A(顔のUPです)






   台湾の神廟の神卓の下には(上の場合もある)、虎爺がおられます。木彫が多いです。







   これは東南アジアでも福建系の華人の廟にもみられ、『三国志演義』の蜀軍にならって「五虎将軍」など呼ばれることもあります。







   台湾では、各地の廟堂におられることが多いですが、南部雲林県の北港と、附近の嘉義県の新港のものが有名です。





   北港は、泉州系の街で、有名な媽祖廟「朝天宮」(ちょうてんぐう)があります。清代の雍正八年(1730)に「笨港〈北港の旧名〉朝天宮」と称した)しています。






   新港はそこから漳州系が離れて造った街で、媽祖さまを祭祀する奉天宮(嘉慶六年〈1801〉創建)する奉天宮で知られます。虎爺は、陸続と信徒さんが奉納するので、数が揃って壮観です。


図2.新港奉天宮虎爺A(同一DNA繁殖タイプ・笑)





  観音さまの祭卓上にたくさんおられます。北港朝天宮の虎爺さまも、新港奉天宮の虎爺さまも、「喫炮」(漢語:チーパオ)といって旧暦三月十九・二十日に媽祖さまが街の境内をお巡りになる際、虎爺さまを載せた御輿に大量の爆竹を放つ習俗で知られます。両鎮にはともに虎爺会という専属の信徒組織もあるくらいです。


図3.新港奉天宮虎爺B(黒ずんでいるようです。縞はあります)



  なお、北港朝天宮では、虎爺は、大爺・二爺・三爺とおられます。


図4.新港奉天宮虎爺C(黒虎タイプ)


図5.新港奉天宮虎爺D(黒虎タイプ)





  媽祖さまのお祭りで、虎爺は爆竹に包まれてたいへんなお役目だと思います。しかし、近くの民雄郷(嘉義県)では、昔の地名が「打猫」(ダーマオ)というくらいですから、まあ、仕方ないです(ホアンヤ族〈漢字表記:保安雅族〉ロツァ支族の集落タアニャウ社に由来)。

図6.北港朝天宮虎爺A(黒ずんでいます)






  そういえば高雄ももともと「打狗」(ダーガオ)という地名で、現地民の言語に由来します。

図7.北港朝天宮虎爺B(黒ずんでいます) 



   しかし、もちろんのこと、ほんとうに「猫殴り」や「狗叩き」という虐待をしているわけではないので、どうぞご安心ください(打狗の地名は、平地原住民のマカット族の言葉で「takao」を漢字で当てたもので、「竹林」の意味です。竹を生やして防備とした習慣です)。




(その2につづく)








附記.北港と新港







  北港は泉州人系の街で、媽祖廟の祭祀で同じく知られる近く新港は、漳州人の街である。もとは「笨港」の名で知られ、オランダ人の地図には「Ponkan」と表記されている。近くの新港と媽祖参拝の賑わいを競う街として知られる。





  
  本来の市街は笨港溪の南北岸ともに港を設けて市街を形成した。明末天啓元年(1621)、海賊顏思齊らが笨港に入植して十の村寨を建て、顏思齊の没後は鄭芝龍が後継となり、明朝に帰順しながら開発を進めた地域である。このような由来から、台南・鹿港・北港は、台湾の3大古街と並び称される。崇禎十七年(1644)台南に依っていたオランダ人の進出を受けて支配下に入る。





  清代になり、康熙年間は漢人の入植が進み、朝廷も一貫して北港を重視した。たとえば、康熙二十二年(1683)には公館を設けて租税を徴収し、雍正九年(1731)には、笨港鎮丞を設置し入港船舶を管理した。



  乾隆十五年(1750)年、笨港渓の洪水で、街が笨南港・笨北港に河を夾んで二分された。笨北港が泉州人、笨南港が漳州人に居住が分かれたが、乾隆四十七年(1782)、地盤争いが泉州人と漳州人との間に発生した。




  直後の乾隆五十二年(1787)には、他の台湾中部南部の街同様、林爽文の役で大打撃を受け(戦死108名)、その後連年の洪水に悩まされた結果、嘉慶初年(1796)、漳州人が、近くの新港(嘉義市・当時は新南港)に移住した。




  本来の市街は笨港溪の南北岸ともに港を設けて市街を形成した。天啓元年(1621)、海賊顏思齊らが笨港に入植して十の村寨を建て、顏思齊の没後は鄭芝龍が後継となり、明朝に帰順しながら開発を進めた地域である。





  このような由来から、台南・鹿港・北港は、台湾の3大古街と並び称される。崇禎十七年(1644)台南に依っていたオランダ人の進出を受けて支配下に入る。




  清代になり、康熙年間は漢人の入植が進み、朝廷も一貫して北港を重視した。たとえば、康熙二十二年(1683)には公館を設けて租税を徴収し、雍正九年(1731)には、笨港鎮丞を設置し入港船舶を管理した。乾隆十五年(1750)年、笨港渓の洪水で、街が笨南港・笨北港に河を夾んで二分された。




  笨北港が泉州人、笨南港が漳州人に居住が分かれたが、乾隆四十七年(1782)、地盤争いが泉州人と漳州人との間に発生した。直後の乾隆五十二年(1787)には、他の台湾中部南部の街同様、林爽文の役で大打撃を受け(戦死108名)、その後連年の洪水に悩まされた結果、嘉慶初年(1796)、漳州人が、近くの新港(嘉義市・当時は新南港)に移住した。

シンガポールでマーライオンさがしたい
─5頭もいる政府公認マーライオン
(シンガポール)






  シンガポールの名物マーライオン(Merlion)ですが、頭部はライオン、半身が魚です。漢語では「魚尾獅」(ユイーウェイシー・ぎょびし)といいます。




図1.オリジナルマーライオン(マーライオン公園)







  シンガポールのマーライオンは、コペンハーゲンの人魚姫の像、ブリュッセルの小便小僧と並んで、世界三大がっかりの一つであることはよくいわれます。





  しかし、じっさいに見にいかないとがっかりできないし、物は見方次第であるから、見にいってみました。







  じつは本日9月29日、朝5時半に台北からシンガポールに到着して、ホテルに行っても、もちろんチェックインできないので、眠いけれども散歩に出たのです。






  赤道直下に近いシンガポールでは、朝歩きするに限ります。それでも、シンガポール政府公認のマーライオンだけで5頭もあるので、たっぷり午後4時半まで歩き通しで、さすがに疲れました。





  その由来・歴史のあらましは、やっぱりオリジナルの噴水マーライオンが知っているのです。まずはオリジナルを見に行きました。






  1頭目=オリジナルのマーライオン(マーライオン公園)



  

  現在、旧市政府庁舎近くの海岸のマーライオン公園にあり、1972年に製作されています。 フレイザー・ブルーナー(当時記念物委員会の会員であり、ヴァン・クリーフ水族館の館長)により設計され、地元の彫刻家のリム・ナン・センによって作られたものです。





  11世紀にマレーシアの王族が対岸に見える土地を目指して航海の旅に出た際、途中で海が激しく荒れたので、王族が王冠を海に投げたら、海は静まり無事にの地にたどりつきました。その時、ライオンが現れ、王族にその地を治める事を許して立ち去った、という伝説があります。    





   それでこの地が「ライオン(Singa)の都市(Pura)」の意味で「Singapura(シンガプラ)」と呼ばれたことが、シンガポールの言葉の起源です。魚の尾は、古代都市テマセックのことで、海の意味とのことです。マーライオンのマーは、マーメイドに由来しています。





  オリジナルマーライオンは、当初から口から水を吐き出す仕掛けで目を惹いたものですが、ポンプが故障したり、落雷に遭ったりしながらも、今日までシンガポールを守っています。国を鎮める呪物といって良いでしょう。東向きで、コンクリート製です。




  日本人はこのオリジナルマーライオンをみると「マーライオンって、まー、ライオンだったの?!」とにやにや笑ってひとりごちる人が多いです(彫金家藤田基夫氏創作のギャグ・笑)。






   2頭目=2頭目のマーライオン


図2.小マーライオン(マーライオン公園)







   2頭目のマーライオンは、オリジナルの近くで背中を向けて立っている小さめの、オリジナルの子供のようなマーライオンで、こちらは、反対方向にちょろちょろ水を吹き出しています。西向きです。





   海と対岸に立つサーフィンボードを載せたような、マリーナベイサンズを背景に立つマーライオンです。青い綺麗な目が入り、ミルク色の艶やかなうろこをもちます。可愛い印象はたしかにあります。景観からか、意外に記念写真を撮っていく観光客が多いです。





   3頭目=セントーサ島のマーライオンタワー


図3.マーライオンタワー(セントーサ島)





   マーライオンタワーは、セントーサ島の鎮守といってよい存在で、巨大な42mのマーライオンです。たしかに巨大なので、驚きがあり、がっかりはさせません。夜になると目からビームが出ますので、これまたびっくりです。






   展望台も口の中にありますが、入場料をとられます(だから入りませんでした)。うろこが亀甲のような六角形というのも特徴でしょうか。東に朝陽を見て、「アー」とあくびをしている雰囲気です。じつはその手前に、子供のマーライオンが3頭いるのですが、顔は可愛いのに下半身がエビフライみたいで、凄く気持ち悪いです。






   4頭目=マウントフェーバー山頂のマーライオン


図4.マーライオン(マウントフェーバー山頂小公園)





   シンガポールでブキテマ(テマ丘)の次に高い、標高100m程度のマウントフェーバーの山頂は、ロープウェイがセントーサ島から通じています。山頂の小さな公園にマーライオンがいて、北向きに静かに立っています。






   艶やかで光沢があるマーライオンで、水は吹き出しませんが。ツアー観光で訪れる人たちで賑わっています。ちょっと顔が恐いです。





  5頭目=シンガポール観光庁庁舎内のマーライオン

図5.観光庁庁舎内のマーライオン(観光庁庁舎内)






  5頭目は、シンガポールの銀座通りみたいなオーチャード通りの西側の少し外れ、シンガポール観光庁庁舎のなかにあります。この庁舎は、現在ツーリズム・ボードという観光展示館になっていて、公開されています。その裏手の車寄せの向がわに立っています(ツーリズム・ボード入り口入ったところに、オリジナルマーライオンのレプリカがあり、それではありません)。




   こちらのマーライオンは口と鼻の間が、ネコ科らしく膨らんでいて、意外と愛嬌があります。









  以上シンガポールのマーライオンをご紹介しましたが、観光の目玉としては、5頭も公認のものがあり、非公認のものや、芸術作品のものもあります。オーチャード通りには、フランスの彫刻家Brainwash製作の黑マーライオン(1966年製作)もあります。ですから、これをテーマに見て回っても、充分面白いです。



図6.マーライオンタワーの近くにたむろしている仔マーライオンはエビフライみたいです。







  しかし、基本的に異種の動物を合体させたという発想は、組合わせればいくらでも神獣や妖怪を産み出すことができます。中国古代の地理書である『山海経』(せんがいきょう)にも多いパターンで、想像力としてそんなに面白いというわけではないのが難点です。



図7.芸術作品としてのマーライオン(フランスの彫刻家Brainwash製作の黒マーライオン・1966年製作)(オーチャード通り)





   ただ、見ていて、味方によってはちょっとツタンカーメン王のマスクみたいにみえるときもあり、生々しい雰囲気がお好きな方には、好評となることでしょう。



図8.雲南でみた「マー麒麟」(雲南省麗江市大研鎮)


  シンガポールという一国を守り、島を守るマーライオン、国家鎮護の呪物としても外せませんし、アジア獅子像のなかでも、役割の重要さからいえば、歴史は浅くとも、やはり特異であります。







  そして、インドやミャンマーの国章が獅子像であるように、インドから東南アジアにかけてのシンハの流れの上にあることは、国の名前そのものが示しています。






  たしかにシンガポールの名前の由来そのものが獅子に由来しているので、国の象徴・鎮護であるマーライオンは、東南アジアの獅子像の系譜の上で、無視できない存在であることは確かです。





行き方の情報:


1頭目=マーライオン公園内。地下鉄シティホールから徒歩12分程度・またはバスで一駅。


2頭目=マーライオン公園内で、オリジナルの背後に背中合わせ。


3頭目=ハーバーフロント駅からセントーサエキスプレスに乗って3駅目イ
ンビア駅(Imbiah station)の下車目の前。


4頭目=セントーサエキスプレスのインビア駅ちかくのロープウェイ、あるいは中間駅のハーバーフロント駅から、ローフウェイで往復。マウントフェーバー山頂やや西側の公園内(山頂に案内地図あり)。


5頭目=地下鉄オーチャード駅下車して、オーチャード通りを西に歩き、タ
ンリン通り(Tanlin.Rd)を通ってグラング通り(Grange.Rd)に少し入ったところ。バス7番や77磐で、オーチャード駅からツーリズムステーションバス停下車でもよい。



参考文献:HP「シンガポールNAVI」「シンガポールに5頭もいるマーライオン」http://singapore.navi.com/special/5036730

:


「獅子よ我に力を!」
─三越のライオンを拝む人
(台北市新光三越台北駅前店)



    中国で石獅ばかりみていますと、気になるのが三越デパート、門前のライオン、あれもまた石獅(ブロンズですけど、漢語の概念では石獅です)。外すわけにはいきません。お江戸日本橋にも羽の生えた近代化された麒麟さまがおられますから、近代の象徴として、百貨店のライオンや、中国に多い銀行門前の石獅などは、取り扱いようがあると思います。





   狛犬の親戚であることには変わりはありません。





   台北駅前の新光三越デパートにも、ライオン像が双獅でおられます。






   しかし今回ご紹介したいのは、このブロンズライオン像がお参りされていたことでした。





   朝、新光三越デパート前に立っていると、駅前の物売りの方がやってきて、まず向かって左のライオンさまを撫でておられました。それで拝んで、向かって右のライオンさまのところへ、、



   よくみると撫でているのではなく、あごひげの辺りに両手に押し当てて、そのあと拝んでいます。



   どうもブロンズライオンさまから気を頂戴しているかのような動作にみえます。ライオンのみなぎる気迫、それをこの方は毎朝に譲ってもらっているのでしょう。




   ひょっとすると、その上で、ブロンズライオンさまは、威厳があるから、街角商売の加護も祈っているのでしょうか。





   台湾の方は信心が厚い方が多く、基隆の城市の守護神である城陛神さまを祭祀する城陛廟(漢語:チョンホゥアンミャオ・じょうこうびょう)の前でも、通行人が横切るときは、老若男女問わず、みなさんほとんどの方が、立ち止まって手を合わせてから、通り過ぎていました。





   そういう日常の心の持ちようを考えると、三越のブロンズライオンさまに手を合わせる方がおられるのも、分かるような気がしました。






   しかしみなさんがどうお考えになるかは分かりませんけれども・・・・・。





 

   ところで、台湾新光三越デパートのライオンさまは、日本の三越デパートのライオンさまと少しカタチが違うところがあります。持ち物があるのです。



   だから庶民的にみえます。お高くとまっているわけではないです。





   向かって左のブロンズライオンさまは、大きな地球を持っています。もちろん、台湾が前に来ています。これはおそらく台湾の石獅に、福建南部=台湾様式の石獅の派生型として、玉乗り型が多いことから来ているのではないかと思います。





  「台湾玉乗り型」ともいうべき石獅像の数々は、追々ご紹介したいと思います。




  

君は犬さがし廟を知っているか?
─義民廟の義犬将軍
(雲林県北港鎮義民里旌義外)






   最初に、このタイトルは、愛猫家で知られるジャズピアニスト山下洋輔氏の著書『猫返し神社』(飛鳥新社、2013年)に収録されたエッセイ「君は猫捜し神社を知っているか」をもじったものです(初出:(『芸術新潮』1987年6月号)。東京都立川市内の「阿豆佐味天神社」(あずさみてんじんじゃ)」の 「蚕影神社」(こかげじんじゃ)に単独の石猫の像があって、山下洋輔氏が祈願したら、飼い猫が戻ってきたという霊験あらたかな「おかえり猫」の名で知られています。



図1.義犬将軍像





   義民廟は、有名な媽祖廟である朝天宮がある台湾南部の雲林県北港鎮にあります。清代の乾隆五十一年(1786)に起きた林爽文の清朝に対する反乱で(文末の附記参照)、翌年結成された北港(当時の名は笨港)の自衛団108人が結成され、敏感な察知能力を活かして林爽文軍側の襲撃を撃退して活躍した犬でしたが、この年の旧暦五月三十日に、戦勝の祝宴に乗じて林爽文軍側に毒殺されてしまいます。

2.義犬将軍像頭部







   それで自衛団は夜襲されて全滅します。乾隆三十五年(1786)、乾隆皇帝からの功績表彰(旌義・せいぎ)を得て、108人の義民と義犬を祭祀したものです。ですから、この廟は墓所も併設されています。神霊となった義民たちは、本堂に祭祀され、その脇の神祠に、義犬将軍が祭祀されているのです。


図3.義犬将軍の祭壇





    義犬将軍の御利益は、子供の健康祈願で、義犬将軍から童服(子供服)を神前の許しを得て家に帰り、子供に着せてると無病息災に丈夫に育つという、200年くらいつづく習俗があります。童衣は、親がお礼参りのときに、余分に奉納していきます。犬は丈夫ですから、それにあやかる習俗で、中国では子供の幼名に狗の字を冠したりすることと通じます。


図4.義犬将軍像脇の義犬像





    そして近年では、義狗将軍は、犬返しの霊験で有名です。たとえば、朝天宮の媽祖さまのお祭りで爆竹の大音声で驚いていなくなった愛犬が帰ってくるように祈願すると、すぐに近くの砂糖工場の駐車場で迷っている愛犬が見つかったなどといいます。

 




    もちろん狛犬さがしに霊験あらたかな神様であることは、間違いないです。狛犬・石狗・石獅と、たくさんの出会いがあるように、御願いして参りました。

図5.義民公神像の前の義犬像





    義犬将軍の石像は、義犬将軍と書かれた神祠の大きな御影石の石碑を後に、しゃがんでおられて、寡黙に口を閉じておられます。廟の門前の魔除けではなくて、朝廷から認められた廟の神像ですから、口を開ける必要はありません。首をかしげて庶民の願いを聞いておられます。


図6.義民公神像の前の義犬像







   その下にも小さな義犬将軍の神像があります。歴代の香火の煙ですっかり黒ずんでおられます。


図7.義民廟管理委員会の製作、頒布したブロンズ製






   本殿に祭祀される義民公の神前の卓上に、小さな犬像もあり、また義民廟管理委員会の製作、頒布したブロンズ製の石狗像も置いてありました。


図8.義民廟本殿





   このほかの義犬を祀る廟堂に以下のものがあります。狛犬や石獅とは違いますが、石狗の神像などもありますので、見に行きたいです。


図9.義民を埋葬した亀甲墓




台湾の義犬を祀る廟堂一覧



新北市石門郷十八王公廟

台中市大里区七將軍廟

南投県草屯鎮七將軍廟

雲林県北港鎮義民廟

嘉義市忠義十九公廟

北港義民廟住所:雲林県北港鎮義民里旌義街20号



資料:北港義民廟管理委員会(編)出版年不詳『国家三級古蹟 北港義民 廟』



(2014年9月25日取材)





附記:林爽文の乱


   

    林爽文(?-1788)は福建省漳州平和県の人であったが、乾隆三十八年(1773)頃彰化県に属した大里杙荘(現在の台中市大里区)に移住する。乾隆四十九年(1784)結社組織の天地会に参加したが、乾隆五十二年




   (1787)台湾知府の孫景燧が天地会に対する取締りを行うと、林爽文は挙兵する。瞬く間に彰化県署・新竹の竹塹城を占拠し、「順天」を国号として号する。台湾南部鳳山天地会の荘大田とも合流し、台湾府以外の土地を制圧した。







    のちに乾隆帝の子(庶子)福康安、参贊大臣海蘭察が台湾に出征し、林爽文を捉えて反乱は終熄するが、鎮圧に1年4ヶ月を費やしている。



台湾南部の厄祓いの神像呪符「外方紙」にみる民間信仰の世界






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  今日は台南の「紙銭」(漢語:ツーチィエン・し
せん)や、それが特定の個々の目的に特化した金銀紙(漢語:チンインツー・きんぎんし)など、祭祀用の紙製品を売る店に行って、魔除けや運命を変えるための神像呪符について聞き書きをしていました。





  内容をみるとほとんどが「厄祓い」のものです。いろいろな絵が描いてあって、ゾクゾクする楽しさですが、神霊や亡魂に燃やして送付する冥界の銭であるに、御願いしたい神様や、お引き取り願いたい、あるいは将来に来て欲しくない凶神・悪鬼(悪煞・あくさつ)の絵を宛先のようにして描くと、この種の神像版画が成立すると考えて差し支えないと思います。






  雲南省にも漢族とペー族、イ族にたくさんありますが、そちらは、拙著『神像呪符集成〈甲馬子〉─中国雲南省漢族・白族民間信仰誌』(東方出版、2005年)をご覧下さい。







  台湾南部では、これらは「外方紙」(漢語:ワイファンツー)といって、いろいろな祟り神が黄色っぽい竹紙(材料は竹を漉いたもの)に印刷されています。台南の人の日常生活でいろいろ役立つ神様問題になる祟りなす鬼怪や神霊の一覧表みたいなものですから、広東系の祟り神や鬼怪の一覧表である「吉紙」(広東語:ギッツー)と同様のものです。








  台南では冥界の管轄神の東嶽大帝(とうがくたいてい
)を祭祀する民権路の東嶽廟の周辺に、紙銭や金銀紙を売る店が集まっています(東嶽殿住所:台南市中西区民権路一段110号)。



  


  金銀紙店のおばさんは、私がこれらを全種類
欲しいというのは、いかがなものかと訝(いぶか)しがられましたので、正直に研究用のコレクションにしたいといいました。









  それで外国人だからというので、懇切丁寧に説
明をして頂いて、そのうえ、無料で贈呈して頂きました。じつは日本人が10年前来て、同じように収集していったといっていましたが、それは私も入っているはずです。でも、それは言いませんでした。








  台南の人の民間信仰の世界が凝縮されていて、面白いです。いずれも燃やして使います。煙とともに目に見えない神霊の世界に送るのですね。やっぱり厄祓いの内容がとくに面白いです。







 以下、「外方紙」一覧表です。






(「七改紙」=厄運を祓う。以下の7種+置き換え可能な1種)
1.「改年経」=年の厄運を祓う経咒
2.「陰陽銭」=冥界に送る銭
3.「十二元神」=人間の体内を司る十二の元神。
4.「天狗」=天狗星の厄年に当たる人の天狗祓い。
5.「白虎」=白虎星の厄年に当たる人の天狗祓い。
6.「煞神」=死をもたらす神である。殺神のこと。
7.「過関」=子供などの成長に関わる危険な関門を祓う。「路関銭」とどちらか1つあればよい。
8.「路関銭」=成長の危険な関門を通してもらう金銭。「過関」とどちらか1つあればよい。

(「接天地」)
9.「天官」=「接天地」に使う。天・地・水・火の四官をお招きする。福をもらい、魔を祓う目的である。
10.「地官」=「接天地」に使う。天・地・水・火の四官をお招きする。
11.「水官銭」=「接天地」に使う。天・地・水・火の四官をお招きする。
12.「火官」=「接天地」に使う。天・地・水・火の四官をお招きする。 

(送神)
13.「雲馬総馬」=神を祭場から送り出すときの神の乗騎。馬で神を送り迎えする。祭祀の際の馬像の基本の意味の1つ。神の乗騎である。

(神兵への祭祀)
14.「甲馬」=神の元で働く神将・神兵に感謝するための鎧と兵馬を燃やして送付する。神兵へ贈って使ってもらう。馬像の基本の意味のひとつ。

(延寿)
15.「買命銭」=寿命の延長を買う銭。



(交通安全) 
16.「車厄銭」=車での交通事故の厄運を祓う。

(冥界祭祀)
17.「閻王」=閻羅王である。
18.「地府」=地獄的世界の役所、「陰曹地府」である
19.「大王」」=異常死者を「好兄弟」と呼び、その頭である。
20.「亡魂」=死者の鬼魂である。

(埋葬)
21.「山神・土地」=死者を埋葬するために、墓所の山神・土地神に祭祀する。

(子授け祈願)
「花公花婆」=子授けの夫婦神である。子供を懐妊することは、冥界に花が咲いて子供を懐妊するので、その花園を管轄する夫婦神がいて、出生を司る。

(安産)
22.「蝦流」=「流」が流産につながる

(前世の借りを解く)
23.「前世父母」=前世の父母に感謝する。これは何故かというと、前世の父母に借りがたくさんあるためである。その借債を解消する。

(厄年)
24.「本命」=厄年である「本命年」の厄祓い。


(厄運祓い)
25.「将軍銭」=将軍の厄運を祓う。子供が生まれる時に出産安全に祓う。
26.「白猿」=白猿という精怪に、子供が出会う厄運を祓う(註:唐代の伝奇小説に『補江総白猿伝』がある。柳田国男の『遠野物語』猿の払立〈ふったち〉も、それと似た大猿である。白猿や大猿の精怪とつながるだろうか)。
27.「官符煞」=官僚となったときに災いがある厄運を祓う。
28.「病符煞」=病符星の厄運を祓う(註:このあたりの説明は、清代の『協紀弁方書』に詳しい)。