男女平等の呼称「石獅将軍」
─山外村の雄雌2尊の石獅将軍について
(金門島金湖鎮山外村)






    金門島東部は、北側が金城鎮(きんちさん)で、南側が金湖鎮(きんこちん)に行政区画が分かれます。金沙鎮では、「石獅爺」(せきしや)という単立像の獅子たちは、金湖鎮では呼称が変わって、「石獅将軍」(せきししょうぐん)となります。



図1.山外石獅将軍(雄)





   福建南部方言(閩南方言・びんなんほうげん)の発音は、石獅爺が「チィウサイヤー」で、石獅将軍が「チュウサイションクン」です。そして、そのなかで、風鎮めの単立石獅を、風獅爺「フォンサイヤー」といいます。






   山外村(行政区画としては山外里といいます)の石獅将軍は、1995年に建てられた若いもので、1949年、戦火に巻き込まれて、不幸にも古い石獅将軍は壊れてしまいました。







   今の石獅将軍さまは雄と雌があると組合わせで村を囲込むように守ります。雄獅と雌獅が、それぞれ分かれて村を守る事例は、金沙鎮には多くて、官澳村雄獅は、雄雌2組の石獅爺がおられたり、西園村でも雄雌分かれて村を守ります。


図2.山外石獅将軍(雄)




   山外村の石獅将軍の雄獅さまは、黄海路沿いに村の北端に立っておられ、東北向き(32度だから、やや東北向きです)に立っていて、風鎮めのほかにも、交通事故がめっきり減ったと評判です。金馬造石廠が、福建省泉州の白石を材料に彫ったとのことです。じつは村というより、すでに金湖鎮の中心部に組み込まれる雰囲気にもなっています。


図3.山外石獅将軍(雄・立地環境)

 

   雄獅さまは、高さ180㎝で、手に鎌をもち、魔除けの威力は強力です。少し寄り目で眼光は鋭いです。獅子が遊ぶ鞠も持っていて、ちんちんも彫られています。前足が、いかにも獅子が立ち上がった雰囲気です。

図4.山外石獅将軍(雌)




    雌獅は、村の東端に立っておられます。金門島の東部中央の山脈である太武山のレーダーを見つめていて、向きは北向きです。356度ですから、ほぼ真北に向いています。

図5.山外石獅将軍(雌)




   ですから、雄雌2尊の石獅将軍さまは、村落風水上は、いずれも風に対応して、村を北と東から守っているわけですから、やはり2尊で1組といってよいと思います。

図6.山外石獅将軍(雌・立地環境)






   じつは以前はあそこを鏡で隠していたはずですが、見に行きましたらなにも隠していませんでした。しかしその部分はなんだか微妙な表現です。これを雄と書く資料もあるくらいです。






   でも、お顔は女性らしいお顔ですね。ちょっとお地蔵さんが入っているようにもみえますが、前足の曲がり方で、獅子とわかります。身長は148㎝です。

 

 






  ちなみにその横に、石を2つ組合わせて石獅将軍らしくしたものがありましたが、これはなんでしょうね?。

図7.謎の石獅状の石組




   雌獅さまは、金沙鎮境内では、どこで訊いても、石獅爺(爺は、男性の尊称)であって、女性の尊称である「婆」(漢語:ポー)をつけて、「石獅婆」とはいいません。それはなぜか不思議ですが、恐らく中国の男系の血統重視の思想など、男性を優先する原理から、石獅の単独立像も、雄雌かかわらず、石獅爺とか、風獅爺と呼ぶようになっているものと思います。





   「それゃあ昔は男尊女卑だったから」と、どのおばさんやおばあさんに訊いてもみなさんそうおっしゃいます。





   でも石獅将軍という名前なら、男女平等です。朝鮮半島にも、男女の一組の柱となられている村門の神様をあらわす「チャンスン」に男将軍である「天下大将軍」と女将軍である「地下大将軍」さまの呼称がありますね。






   中国の明代の武侠ものに『楊家将演義』(ようかしょうえんぎ)がありますが、女性の将軍穆桂英(漢語:ムージャーイン・ぼくけいえい)さまがおられますし、京劇でよくやる清末期の武俠小説『児女英雄伝』(じじょえいゆうでん)(通称「十三妹」として知られる・漢語:シーサンメイ・じゅうさんめい)があります。







   女将軍さまは、じつはたくさんいらっしゃるのです。 

図8.山外石敢當







   村の中央の広場には、「石敢當」(漢語:シーガンタン。福建南部方言:チィウカントン・せきがんとう)が立っています。石獅将軍さまたちと石敢當の位置は、村の東西南北中央の「五営」(漢語:ウーイン・福建南部方言:ゴーイン・ごえい)の神様のおられる位置に対応して、中央・東・北の3方向に対応しています。

図9.山外石敢當の石獅(向かって右)




    しかし、石敢當の置かれるT字路ではないですが、移動したものでしょう。現在は「石敢當」の3文字しか彫らない金門島の石敢當ですが、1816年(清代嘉慶二十一)立のこの石敢當は、「太(泰)山神在此(たいざんしんここにあり)と記し、両脇に、「石敢當」「廿(二十)四山神位在此」「李将軍神位」「陳将軍神位」と書いてなかなかに物々しいです。

 

図10.山外石敢當の石獅(向かって左)



  その両脇に古い石獅がちゃんと2頭1組でおられるのが、嬉しいところです。



台南安平老街のゆるキャラ剣獅「神遊ちゃん」と「鎮守くん」
(台南市安平区)








    福建南部と台湾では、獅子面に剣を咬ませた剣獅(漢語:チェンンシー・日語:けんし)の魔除けがよく使われていますが、台湾最古の漢人根拠地、鄭成功(ていせいこう)がゼーランジャ城を陥した安平港では、最近これが立像化されています。ここは狭小な土地に三合院(さんごういん)やL字型住宅がひしめき合い、風水関係も複雑で、門前に魔除けが必要となるため、剣獅がよく見られるのでしょう。安平の剣獅は、獅子面と左右に前足を折ったカタチで描くことが多くて、少し異様です。

図1.安平剣獅の神遊ちゃん(南門向かって右・雄雌の通常のとは逆)

図2.安平剣獅の鎮守くん(南門向かって左)


     安平には剣獅広場(安平剣獅埕)があり、金安文教機構の責任者の蔡金安さんが設立したもので、安平の町おこしのテーマとして剣獅を前面に立てています。もともと100年以上前から巷の随所に剣獅がみられ、台湾でいちばん古いといわれる天后宮(媽祖廟)にも、交通安全用の剣獅のシールが以前からあって、じつは私も7年前に天后宮で剣獅ステッカーをもらってきて、愛車のプリンセス号の後に貼っています(笑)。

図3.神遊ちゃんキーホルダー(こちらの方が遙かに可愛い)

図4.鎮守くんキーホルダー(こちらの方が遙かに可愛い)


    いまでは街の随所に新しく掲げられたり、鮮やかに修復された剣獅がみられます。この剣獅を巡るって回ると、小さな安平の街も、羊の腸のような細くて狭い路地裏を延々と巡り歩くたいへんなオリエンテーリングになります。安平の多種多様な剣獅や新旧とりまざった石獅、そして人形劇「布袋戯」(台湾語:ホテイ)用の獅子など、獅子はこの街の各所にみられます(いずれ追々紹介します)。


図5.南門の神遊ちゃんの顔。なんかドランキー(笑)

    しかし問題は剣獅は元来顔だけであることで、観光化のためには肉体化が求められたのでした。それで剣獅の「ゆるキャラ」化のために、急遽デザインされたの紅の「神遊」ちゃん(吉祥の「如意」〈にょい〉をもつ)と青の「鎮守」くん(剣を持つ)です。剣獅広場のHPにも登場して活躍しています。http://www.slion.com.tw/

図6.南門の鎮守くんの顔。雄なのに牙がない!




   剣獅広場には、北門と南門があり、両側ともに神遊ちゃんと鎮守くんが立っていますが、北門の方は向かって左が神遊ちゃんで、向かって右が鎮守くんです。南門の方は向かって右が神遊びちゃんで、向かって左が神遊です、こうして雄雌の位置を北門と南門で換えて、男女平等としています。

図7. .安平剣獅の神遊ちゃん(北門向かって左)

図8. .安平剣獅の鎮守ちゃん(北門向かって左)





    獅子なのに額に虎の「王」の字が書かれるのは、剣獅によくある表現です。雰囲気は金門島の風獅爺(ふうしや)の台湾本土化という気がします。シーサーも混ざっちゃってるかなあ。金門島でも風獅爺で島おこし、町おこしをしていて、キャラクター化が進行中です。







    私は、売店のおばさんに、「でも北門も南門も2頭の顔、全然可愛くないですよね」。といったら爆笑していました。おばさんもじつはそう思っていたのです。

図9.剣獅広場の南門の2頭

    でもキーホルダーは可愛いので、こちらは買いました。一つ60台湾ドルだから、200日本円くらいです。こちらは、可愛いです。






  



     剣獅の意味を説明しておきます。




    悪い気である「煞気」(漢語:シャーチー・日語:さっき)は、直進してくるので、それを跳ね返す呪符が必要となります。鏡とともに、剣獅はよく使われ、T字路の突き当たりに悪い気を跳ね返すための呪符である泰山石敢当(たいざんせきがんとう)が、剣獅を彫ることもあります。


図10.鎮宅剣獅(安平山海館・両方に伸びるのは前足)

    また清軍の水師(すいし・海軍)の軍営山海館(さんかいかん)が安平に置かれたので、水師の兵士が帰宅するとき、盾を軒先に立てておくと、盾に剣獅の紋様が彫ってあり、その影響もあるといわれます。




図11.剣獅付風水鏡(タイ王国バンコク華人街)





   剣獅はタイのバンコク華人街のチャルンクルン通りのお札屋に行くと剣獅付風水鏡もあって、華人社会にも浸透しています。





    今回はまずは剣獅のゆるキャラ化の話しだけで、またの機会に追々安平の剣獅をご紹介したいと思います。

安平剣獅広場(安平剣獅埕)住所:台南市安平区延平街35号
http://www.slion.com.tw/

参考資料:蔡金安(企画)、胡雅権・蔡藹如(文字主編)2008年『剣獅的故郷─安平』金安文教機構





図10.剣獅付泰山石敢当(台湾台中市花壇郊外の民俗公園)

陳禎墓の暴れ石馬の怪異と「猿面」石獅爺
(金門県金城鎮呂厝村)






   金門島の明代の官僚墓陳禎墓の石馬は、とてもリアルな彫刻です。見つめるような目、鼻息が荒そうな鼻穴などが生きるが如くです。近くの明代の官僚墓の黄偉墓の石馬は、前に頭を垂れていて、小耳をちょこんと前に出して、可愛いですが、それと正反対の印象です。

図1.陳禎墓石馬(向かって右)





   ところが、この石馬、とうも生きているらしくて、とうとう精怪(せいかい)となってしまいました。凶猛な暴れ馬になって、もう数百年もの活動をしています。


図2.陳禎墓石馬(向かって左)






   中国の魔物の概念には、奇怪な現象をなす「妖怪」〈漢語:ヤオクァイ〉の下位概念に、死者の霊魂が怪異をなす「鬼怪」(漢語・クァイクゥアイ)と、自然物や動物・器物が変化(へんげ)してなる「精怪」チンクゥアイがあります。たとえば木棺が屍体に触れて時間が経つと棺材精(漢語:クゥアンツァイチン)となったりするのです。








    石馬がなぜ精怪になったかというと、墓所の気脈が旺盛で、墓所の龍穴から湧く気を長年にわたり吸収し、その上600年近くも日月の精華を吸収し続けてきたからでありましょう。丹精込めて彫り上げられた石馬は、やはり魂がこもっていたのでした。







   日が落ちて辺りが闇につつまれるとき、この2頭の石馬は墓所から跳び出します。朝起きると近隣のお百姓さんが毎日汗水垂らして丹精込めて育てた作物が無数の馬蹄印で踏みにじられて台無しになってしまうのです。




   

  墓所には石獅も一組おられますが、なにぶんこの暴れ馬を引き留めようとしても、石馬の方が石羊を夾んで前に離れているので、「ヒヒン!」(左馬)「フフン!」(右馬)といなないて跳び出していってしまい、言うことを聴いてくれないのです。この墓所にはほかに石羊もいますが、石羊はおとなしいから、黙ったままです。これが黄偉墓みたいに、石虎が置かれていたら、話しは違ってきます。じっさい、黄偉墓の石馬は、ポニーみたいに従順です(←この一段の文章、無駄が多いです・笑)。







  そのため、墓に北面した呂厝村(厝の字はがんだれに昔〈環境依存文字です〉・りょさくそん)では、石馬の狼藉に頭を痛めていました。そこで村に立てられたのが石獅爺なのです。石獅は陳禎墓の方を向いていて、風の吹く方向で重視される北や東北でなくて、南向きです。したがって風鎮めよりも、石馬の精怪と対抗するために立てられています。なお、このお役目柄を考えて、ここではよく使われる風獅爺とはいわずに、石獅爺と呼んでいます。






  それで獅子が吠え立てて、石馬はようやく田畑を荒らし回らなくなったのです。

図3.呂厝村石獅爺A(朝山寺左前方)


 





  呂厝村の石獅爺は、朝山寺の廟前広場(「廟埕」〈漢語:ミャオチョン・びょうてい〉)の東側におられます。小さな花崗岩の石獅爺です。しゃがん(蹲踞・そんきょ)でいて、顔も身体も丸みを帯びていて、まん丸の頭は、お猿さんのように縁取りされています。小さい目玉に、すこしだけ口を開けて牙と歯を見せています。134㎝ほどの小さい石獅爺です。



図4.呂厝村石獅爺A(朝山寺左前方)



   じつは私はこの石獅を捜すのに、捜せども全然見当たらなかったのです。なかなか見つからなくてうろうろしていると、近くのおばさんが気にしてくださって案内してくれました。するとちゃんと広場の端におられたのです。








    霊力があるから外来の人には姿を隠すのかもしれません。案内されるまで、まったく気がつきませんでした。しかしその方角は、陳禎墓の石馬に相対しています。しかも風は背後の北側からばかり吹いてきます。その点でどうも風鎮めの風獅爺と呼ぶのははばかられ、もともと魔除けの石像ですから、地元の人が呼んでいる石獅爺と呼んだ方がしっくりきます。









   しかし、その顔立ちを眺めると、可愛らしくて、口の開き方も控えめだから、あんまり威力があるようにみえないかもしれません。しかし、そのような印象をもつとしたら、たぶん誤解しています。この顔立ちには、恐らく相手が暴れ馬であることを考慮した対策が隠されているのです。それは石獅爺の方が馬よりも知恵で上回るという仕掛けがあるのではと想像してみたりします。






   馬をいなす能力をもつ動物、それはインドでも、中国でも、日本でも猿と決まっています。中国は馬繋ぎの栓馬柱のうえに仙桃をもった石猿を置くことがよくみられます。孫悟空(斉天大聖さま)の官職は馬小屋の番人「弼馬温」(ひつばおん・本来は「疵馬瘟」で馬の伝染病祓いの意味)ですから、この石獅爺の顔立ちにはお猿さんが入っているのかもしれません。




  目の回りのふちどりなど、とくにお猿さんらしくて、鼻も獅子の扁平なものではなく、鼻高で、人間のそれみたいですから、人面にもみえますし、猿面というのもあながち外れてはいないでしょう。並びの佳い歯を剥くばかりです(口の両端の線刻は牙といえるでしょうか?、難しい造形です)。暴れ馬を鎮め、御する知恵をもった、まあ、「猿かな?」という位の感想ですが、一枚上手の「猿面」石獅爺なのです。

図5..呂厝村石獅爺B(22号民家左前方)




   呂厝村にはもう1尊の石獅爺がおられます。22号民家から斜左の敷地内にいて、やはり農作 物を見守っています。こちらもしゃがんでいますが、立ち上がるような姿勢です。身長86㎝で、同じく南に向いています。横に垂れた耳をもち、目は小さいですが、鼻息は荒そうで、牙を剥いています。石馬を追い祓うのに、いつも準備万端の構えなのです。しかし風はあいかわらず背後の北から吹いてくるのでした。

図6..呂厝村石獅爺B(22号民家左前方

 ビンロウが噛みたいけれど





  ♪ビンロウ、ビンロウが噛みたいけれど
  ビンロウが噛みたいけれど
  なかなか噛みきれない
  だっとスーちゃんがそばにおる
  ヒーエホーハイヤーヒヤホエホーハアイヤ
  ホアヒーエーヤンヒエホーハイヤー
  ハイヤー (台湾歌謡『かわいいスーちゃん』)


図1.私の好みのビンロウのタイプ(阿里山の梅山ビンロウと書いてありますね)

  こういう戦前の台湾山地民族の日本語歌謡があって、台湾に行くとついついこの歌が頭を駆け巡るのは、私がビンロウを嗜好しているからであります。





  檳樹の実に切れ込みを入れて石灰を夾み、口に含むとシジュワーッとお口に生汁が広がって、青々とした香りと、石灰と混ざった汁の甘さが好きです。






  私は酒も煙草もやらないから、唯一の嗜好品(寿司を除く)です。






  ビンロウは沖縄にも習慣があり、「キンマ」といいます。マレーシアのペナンは、ビンロウが名前の由来で華語で「檳城」(ビンチョン・びんじょう)といいます。





  雲南でも山地民は、これを食べて、女の人が笑って歯を見せると、お歯黒になっていたりします。汁が紅なので染まっています。最近では雲南では廃れていて、平地では入手しずらいです。ラオス北部でも山地民は食べるそうです。



図2.海南島のビンロウ売り(海南省崖城鎮)


  中国では、海南島がもっとも盛んで、大ぶりの実を、四分の一に切ったものを食べます。





図3.海南島のビンロウを扱うおばさん(海南省崖城鎮)
  私は阿里山の梅山のビンロウが好きです。台南の街は地元で売っているので、よく食べます。葉を巻いていない、実だけの、小ぶりのものが好きです。







  台南に住みたいと思うのは、ビンロウを食べることができるということも無意識にあることに気がつきました。






  ビンロウの木には、数多となる実のなかで、1個だけ中(あた)りの実があって、その「ビンロウの王様」に中ると、格別な味と香りで、もう危なくて車など運転していられず、慌てて路肩に車を止めて味わうのだそうです(私はアタリを食べたことはありません)。





  運転手さんにビンロウの嗜好をもつ人が多いですが、寒いときにこれを食べると暖まるからです。お酒のような効果もあります。私も冬場や、高山地区に行くときはよく噛みます。






  体質に合わない人もいるので、誰にも勧められるものではありませんが、さて、このビンロウ、禁酒・禁煙にはいいと思います。でも舌癌の原因になると台湾にお詳しい友人の松本邦裕さんが言っておられました。
  
 




  日本で輸入して流行らないものでしょうか。日本ではふつう売ってないですからね。
 





  私の夢のひとつは、平戸のオランダ商館のカピタンに商談をもっていって、インドネシアのビンロウを日本に輸入して一儲けすることです(っていつの時代の話しかってことです・笑)。
 







  インドネシアでは大量に生産されるのに、現地であまり食べなくなっているので、余剰かもったいないからです。だから、平戸のカピタンは、喜んでバタビアのオランダ東インド会社に連絡して交易してくれることでしょう(ですから、いつの時代の話しかってことです・笑)。




   日本の若い人がたくさん食べると、酒癖も、煙草で肺を悪くすることから避けられますし、とても素晴らしい嗜好品なんじゃないかな、と思いますがどうでしょう?。






   ちなみに冒頭の歌は、ビンロウを煙草・お酒に置き換えて三番までゆったり歌います。




若返って再起した青い風獅爺
(金門県金城鎮官裡村)


(FB「狛犬さがし隊」2014年9月18日記事からの転載です)





いちきくにこさま:

拝啓:

   いつも実物に会いに行きたくなる楽しいご紹介のご記事を楽しみに致しております。いままで目からたくさんのうろこが落ちました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。




   いちきさまが、ぐるぐる巻きにされてお心を痛められていた、あの風獅爺に会うために、金門島西部の官裡村(漢語:グゥアンリーツン・かんりそん)に行きました。



   風獅爺は、村の後に東北東を向いて見事に再起されておりました!。見違えるくらいです。なお、周囲はまだ幾つか邸宅が工事中でした。






   青獅さまは、モアイ像みたいに、精悍なお顔で、両目は蒼天を向いてしっかりと睨んでいます。でも、原形はきちんと遺っていますね。鼻も高くて雄雄しいです。口も耳も見事に空いていて、これで全身で雨風を受け止めるのだから、大変なお役目だと思いました。





  堂々とした胴の上に、緑のリボンに、金色に輝く磬(けい)が提がっていますが、この打楽器は、吉祥のお守りで、青獅子さまのこの激務に対しても、村人に対しても、お守りになっているのではないでしょうか。








   やはり東北東を向いているから五行説で、青いのでしょうか?。背中の金色の分かれ毛も大ぶりで、堂々としていて、若返って生気がみなぎっております。





   にょきっと青色のからだを直立させて、足も太くて頼もしいですね。両足とも球を押さえていて爪も鋭そうです。

   





   足元の台座には、村の廟堂の仰雲殿(ぎょううんでん・1974年再建)修繕委員会による「風獅爺重修記」も刻まれていました。




  仰雲殿は、健康祈願と病気治癒の神である保生大帝(漢語:パオションダーティー・ほせいたいてい)を祭祀する廟堂で、旧暦3月15日がお祭りだそうで、このとき青獅子さまもお線香とお供え物を供えてお祀りされるそうです。





  2007年12月に刻まれた碑文ですが、開眼は翌年の5月。もともとは民国初年に造られたそうですから、1910年代前半くらいの、100歳以上もお歳を召されたお爺さんなのですね。





  このとき、村の許金鍾(きょきんしょう・余計な話しですが、この方の名前は、たぶん運勢に五行の金運が足りなくて、名前で補ったかなと思います)さんというご老人が、旧暦9月・8月に東北風が強く、風沙が酷いので、日干し煉瓦で風獅爺を造ったとあります。高さ148㎝、幅54㎝だそうです。風鎮めのみならず、魔除けの意味もあるとしています。








   長年の風雨にさらされて、損傷が酷くなり、村人が相談して、元の風貌に修繕したそうです。仰雲殿修繕委員会が全額出資したそうです。金城鎮公所の協力も得ています。






   「風獅爺が、往年の勇猛威武の雄風と、鎮風駆煞(ちんふうくさつ)の神威を振るって全村民の平安を守護してくれますように」との結びの言葉が、村人のこの青い風獅爺への深い思いを物語っていて、なかなかに喜ばしいです。





   このようなことで、まずはご報告申し上げます。





   御多忙な中、いちきさまの書かれた記事と、情報のご提供を頂きまして誠に有り難うございました。御礼申し上げます。






   末筆ながら、大阪も残暑なお厳しい毎日と存じますが、ご自愛の上お過ごし下さい。金門島も凄まじく暑いです。

 



   草々





   追伸、写真どうそご自由にお使いください。最後の写真が仰雲殿です。