石狗・石馬・石虎・石獅・石龍
─金門島の明代官僚墓の石獣たち
(金門県金沙鎮黄偉墓)





 中国式墓所の石獅などの石彫動物を御紹介します。
 




  墓所の主ですが、黄偉(1488-1538)は明代の人で、字孟偉、号は逸叟(いつそう)といい、今の後水頭村(金沙鎮)の人で、正徳九年(1514年)進士に合格しています。各地の知事(知府・ちふ)を歴任していますが、泉州の飢饉に際して巡按の李元陽(1497-1580)年雲南大理の現地民族出身の官僚)に依頼された救済活動に精力を使い果たして亡くなっています。墓所の場所は金沙鎮の后水頭村と斗門村との間の丘にあります。


図1.石狗(手前から順番に並べています・説明文と逆の順番ですが、石狗を先に出したいです・笑)




  墓所は北向きです。北側が海で、南側が山です。緩やかな丘状に造成された中国南部式の墓所で、基本的には沖縄の亀甲墓とも通じます(ただし沖縄のお墓は門中墓といい、一族で一つのお墓です。中国は一人に一つか、夫婦で一つの墓所です)。背後の南方には玄武山の岩山があります。墓碑はなにもないです。2008年に修復されています。

図2.墓所全体

図3.墓所中心部(墓卓とその周囲壁面)



  風水説では、地脈から伝わる気の凝集点であるする「龍穴」(りゅうけつ)があって、その上に墓所を置きます。この墓所の周囲の地形は、「飛ぶ烏が田に落ちる」(「飛鴉落田」)という形で、鳥が翼を拡げた地形と解釈されて、気を集めやすい地形を表しています。全体的には、南に玄武山があり、墓の側面を金沙渓と斗門渓が緩やかに曲がって流れて墓所の前方で合流し、「背山面水」の理想形をなしています。


図4.墓所の構成図


  墓所は金門島の名産である花崗岩でできています。ですから、夏草の緑に明るい乳白色が映えて、美しいです。日本の墓所と違って、明るい雰囲気がいいですね。

  墓所近くから順番に、墓所の左右側壁の石龍頭(せきりゅうず)・石獅・石虎・石馬が一対に並び、文運を象徴する石柱である石筆一対があります(文筆です。文運の象徴です)。この体裁は明代官僚の墓制の規格に合わせたものです。もともとは石望柱といって、龍などの彫刻を施した石柱が、左右に一対ありましたが、失われています。

  そしてその墓左(埋葬者の視点から見て左・参拝者からは右)に、馬繋ぎの石柱(栓馬柱・せんばちゅう)があって、一匹の石狗がいるのです。対ではなく、単独です。

  石龍頭は、墓所の側壁が、瓦屋根状態の彫刻で、その端が反りを上手く利用した龍頭になっていて、綺麗なデザインです。金門島の官僚の墓所に多い彫刻です。

図5.石龍頭(向かって右)

図6.石龍頭(向かって左)


  石獅は左獅(向かって右)が鞠を前足で押さえ、右獅が(向かって左)が玉を前足の中間に置いています。

図7.石獅(向かって右)


図8.石獅(向かって左)




 石虎は、花崗岩で白いですから、白虎にもみえます。胴が長くて尻尾が長いのが虎らしいです。

図9.石虎(向かって右)

図10.石虎(向かって左)


  石馬も花崗岩だから、白馬にみえます。鞍もあぶみもあって、乗騎です。

図11.石馬(向かって右)


図12.石馬(向かって左)

  最後に石狗ですが、これは前倒しの折れ耳で、笑うような口元で可愛いのです。しかし、この夏場では草が生い茂ってすっかり隠れていて、全然外からでは見えもしません。草を払って顔を出してあげると、やっぱり笑っていました。花崗岩だから、やっぱり「シロ」と呼ぶのが似合います。頭の形も犬らしくて上手いです。





  中国の陵墓には石狗を置くことがあって、それが朝鮮半島の新羅にも伝わっていますから、いちど新羅の都の慶州(大韓民国慶尚北道)に行って、石狗をみてこないといけないです。石狗は金門島の墓所では珍しい部類と思います。



石獅・石馬・石羊・石龍頭
─金門島の明代官僚墓所の石獣たち・その2
(金門県金沙鎮陳禎墓)



    明代の教育官僚であった陳禎の墓所とその獣たちを紹介します。正徳十年(1515)科挙で貢生(こうせい)となりました。貢生は明清両代に生員(秀才)の優秀な者で、国学の学校国子監で学ぶ資格をもちます。息子の陳健貴の申請で、五品官の位の刑部員外郎(ぎょうぶいんがいろう)の官号を贈られていて、五品官の体裁で嘉靖五年(1526年)に墓所を建てました。広東省長楽県の県の学校の訓導(くんどう・県学校で教諭を補佐する)の職などをしています。


図1.石獅(向かって右)







   金門島は、花崗岩が豊富に採掘されますから、それをふんだんに使った立派な古い墓所が后宅村と浦邊村との間の黄龍山という丘に造られています。黄龍というくらいですから、風水上の気が通じている地脈に関係する名前かもしれません。北向きで、南には太武山が背後にあります。気の凝結点である「墓穴」(土地のツボのようなもの)の地形は、「仙人が拳を覆す」(「仙人覆拳」)といいます。

   この墓所はたいへん佳い地相にありますが、鬱蒼とした森林のなかに、緩やかな傾斜面があり、前方の見晴らしは良いです。前には呂厝村があります。

  墓前は一対の文筆を表す石柱が門となり、次に石馬・石羊とつづき、石獅が墓所の側壁左右に載っています。最後に墓碑の左右の側壁の端が、龍頭となっています。



   石獅は、阿吽の区別があり、首を横にして互いに対話する姿勢です。団子のような両目と、小団子のような可愛い鼻をもちます。尻尾も小さくまとまり、胴のあばらがボンテージになっているような肉付きをしています。日本の狛犬と似た雰囲気は、日本人の私としては親近感をもちます。

図2.石獅(向かって左)

図3.石獅背面(正面からは向かって右)

図4.石獅背面(正面からは向かって左)


図5.石龍頭(向かって右)



図6.石龍頭(向かって左)

   石羊はちょこんと座っていて、鬱蒼とした林のなかでは、頭に花を添えてあげたいです。犠牲獣ですが、食べられることはないから、安心して座っています。

図7.石羊(向かって右)

図8.石羊(向かって左)

  石馬は神霊が騎るためのものです。石羊は供え物、石獅が墓所の護衛でしょう。龍頭も、魔除けの意味もあるかもしれません。

図9.石馬(向かって右)

図10.石馬(向かって左)



   石馬はなかなかリアルな彫刻です。こちらを見つめているような目をしていますし、鼻穴が深くて、鼻息の荒さを想像させます。たてがみの線刻も明確です。鞍もあぶみもあります。


図11.墓地全景

図12.墓地中央部

勃発!! 風水戦争
─石将軍と風獅爺、大いに戦うこと(金門県金沙鎮六甲鶯山廟) 

金門島には、六甲地区(浦辺・后宅・洋山・呂厝・劉澳・長福里の六カ村)の鶯山廟(えいざんびょう)に、石将軍(全長2.46m)がおられます。こちらは若武者さまです。カブトの上に金獅像が載っています。これはじつは飾りではなく、風獅爺といわれております。
詳しくは後段の顛末をご覧ください。






頭上の金獅が后沙村の初代風獅爺と言われています

マントを羽織っておられて外からは分かりませんが、じつは弓と矢を手にしています。その人物は前漢の将軍李広(りこう・? - 紀元前119)です。弓の名手で、虎形の岩弓矢で射通したともいわれ、前漢の匈奴〈きょうど〉征伐で活躍しています。

碧山の岩が昼に誰かが寝ていて、その夜に紅光を発したといいます。後日神のお告げで、岩を二つに分けて、一つを石将軍に、一つを碧山の風獅爺にして彫って立てたという、神異に満ちた由来があります。霊石なのです。

じつは石将軍の役割は風を防ぐことではなく、前方の后沙村の岬から来る「衝煞」(漢語:チュンシャー・直進して衝き当たる悪い気)を防ぐために立てられました。石将軍は金門島に他に3カ所(金沙鎮高坑村・金湖郷漁村の海岸・金湖郷夏興村)ありますが、夏興村の石将軍は、同様の理由で東南方の岬に対して立られたものです。

この岬は、風水上気が六甲村衝き当たることはすでに述べましたが、その反面六甲の鶯山廟は、石将軍の目が光り、崎を越えたさらに対岸の后沙村の村人を困らせます。廟と石将軍の気が直進する「廟煞」(びょうさつ)を為すので、后沙村ではこれを防ぐ風獅爺を立てました。間に崎があっても、衝立にならないところが、凄いところです。なにしろ眼が光るのをみるのですから、すると、石将軍の目は光らなくなったといいます。六甲側では、それに対抗して獣口を開けた獣牌(じゅうはい)を廟に掛け、それが遺失すると、石将軍を立てました。


ちょっとした「風水戦争」が起きたのです。じっさい六甲側の石将軍と、后沙側の風獅爺は、大いに戦ったのでした。その結果、二つの像には、いつのまに傷が生じていました。石将軍は右眉が欠けていて、右眉を獅子に搔かれ、風獅爺は左目が壊れ、石将軍の弓矢で射貫かれたのでした。壮絶です。そのため、后沙村では、大陸から風水師を招いて儀式を行い、ようやくこの風水戦争はようやく終結を見たのでした。





六甲側の言い方では、いまは相手の風獅爺は、石将軍の下に降っているのだそうです。だから、石将軍の頭の上には金獅が座っていて、これが当初の初代后沙村の風獅爺なのだそうです。将軍と獅子は、いまでは手を携えて海を守っているとされています。





現在の后沙村の風獅爺は、二代目とのことです。

后沙村の2代目風獅爺です


参考資料:
著者:北雁南飛HP『南雁北飛─金門』「将軍戦風獅」  http://papilio0204.pixnet.net/blog/post/1465476-%E5%B0%87%E8%BB%8D%E6%88%B0%E9%A2%A8%E7%8D%85%EF%BC%8D%E9%87%91%E9%96%80%E5%91%82%E5%8E%9D%E7%9F%B3%E5%B0%87%E8%BB%8D

著者:留在金門忘了飛HP『留在金門忘了飛Visit Kinmen』「金門導覽-六甲鶯山廟伝奇石將軍」http://visitkinmen.pixnet.net/blog/post/22859437-%E9%87%91%E9%96%80%E5%B0%8E%E8%A6%BD-%E5%85%AD%E7%94%B2%E9%B6%AF%E5%B1%B1%E5%BB%9F%E5%82%B3%E5%A5%87%E7%9F%B3%E5%B0%87%E8%BB%8D..

雲南民家の屋根の上に居る者
(雲南省麗江市・剣川県・建水県)

図1.陶鶏(雲南省剣川県金華鎮)
 

  台湾南部・金門島・澎湖島の民家の屋根に居られる瓦将軍(漢語:ワージャンチン・がしょうぐん・「屋頂風獅爺」)の系統と、雲南の瓦猫(漢語:ワーマオ・がびょう)をつなぐひとつのヒントとして、雲南の屋根の上にも瓦猫ではなく、獅子像が載ることも多いです。

図2.鎮宅獅子(雲南省麗江市大研鎮)

  雲南西北部麗江市は、ナシ族(漢字:納西族)の居住地で、瓦猫文化圏ですが、ときたま、玉白色の獅子をみることもあります。同じ猫科だし、瓦猫も獅子みたいなものとか、麒麟みたいなものもあったりして、このあたりはもちろん獅子でも構わないと思います。少し南下して、大理白族自治州の剣川県はペー族(漢字:白族)の居住地で、県政府所在地金華鎮の西門街と北門街の突き当たりの裁縫工場の屋根の上には、やはり獅子らしき赤い釉薬の陶像がありました。

図3.鎮宅神獣(雲南省剣川県金華鎮)

雲南南部の紅河彝族哈尼族自治州建水県の県政府所在地である臨安古城では、瓦猫は見ませんでしたが白石彫刻の虎のような、獅子のような像を置く習俗があります。これと同様の方角に壺口を置く習俗もあり、これは海南島など、中国南部でみたことがあります(海南省儋州市南豊鎮に多数あります)。これと合わせて、広東東部から広西壮族自治区にかけて、石狗も屋根の上に設置します。中国南部の民家の屋根の上も、寺廟の走獣の類いとともに、いろいろなものがありますね。

図4.鎮宅神獣像(雲南省建水県臨安鎮)
じつは私がいちばん驚いたのは、雲南省の剣川県金華鎮の永豊南路42号の軒の上では、頭が鶏で、下半身が魚尾であるかのような、「陶鶏」(漢語:タオジーとうけいしん)という神さまが置かれていました。


図5.鎮宅神獣像と鎮宅壺口(雲南省建水県臨安鎮)
カタチは、寺廟の屋根の両端に載る鴟尾(しび)とか、鰲魚(ごうぎょ)とか、日本で言う鯱形の神魚が、民間に降りてきたものと考えると分かり易い気がします。しかし顔が鶏で、鶏の鳴き声などを利用した魔除けのようで、現地の民間密教の信仰も関わっている造形かもしれません。設置には民間密教「アジャリ教」(阿咤力教)の民間祭司のアジャリを呼んで、祭礼をします。

図6.海南島の鎮宅壺口(海南省儋州市南豊鎮)
民家の守備鎮護の神であることは明白といってよいでしょう。
参考文献:陳永生(主編)『雷州石狗』嶺南美術出版社、2012年

図7.瓦猫(雲南省麗江市大研鎮)

図8.瓦猫(雲南省昆明市呈貢県)


石獅と石敢當
─臨安古城のT字路を守る石獅


(雲南省紅河彝族哈尼族自治州建水県臨安古城・山西省平遙古城)




  ヴェトナムにも近い雲南南部の紅河(こうが・ヴェトナムのソンホン川の中国側流域)流域は、建水県の臨安古城や、石屏県の異龍古城など、錫鉱山の繁栄を背景にした豪華な邸宅が建ち並ぶ古民家の宝庫です。ハノイ旧市街とは別の、絢爛豪華なお屋敷が続きます。

図1.臨安古城の巷道(こうどう)に出現する石獅


   さて、その邸宅街である武廟街のT字路に、巨大な石獅が鎮座しています。しかも単座でおわして、相方はいません。T字路に衝き当たる風水上の悪い気「煞気」(漢語:シャーチー・さっき)は、ふつうは泰山石敢當を使って撥ね除けます。ハノイ旧市街でも、墓碑・骨壺屋さんには、大量の石敢當を販売しています。

図2.近寄ってみました

  しかし、敢えてこんなに大きな石獅を置いています。




  この石獅は、どうもわざわざここに立てるために作ったとは思えません。もともとどこかの獅子で、相方がいたかもしれません。しかし相方を失っているようです。胸に穴が開いていて、壊されようとしたのかもしれません。なにか痛々しい様子で立っています。





   しかしT字路にぬっと現れる姿は強力で、悪い気のみならず、盗賊も寄せつけないくらいの気迫があります。





  石敢當と石獅は、もともとともに魔除けの呪物で、悪いものを撥ね返す威力を期待するものですから、相性がいいようです。






  山西省中部の世界文化遺産平遙古城でも、泰山石敢當の前に、単座の石獅を見つけました。磨耗が激しいので、石獅か石狗かの区別がつきません(広東省雷州半島以外では、石狗は墓所の石狗であることが多いです)。



図3.山西省平遙古城の石敢當と石獅




  広東省東部雷州半島の石狗は,石敢當と一体となって、上部を石狗とするものもあり、文字の方は「敕 石敢當」となっています。磨耗で表情が窺いにくいのが残念です。

図4.広東省雷州半島の石獅石敢當(陳永生(主編)『雷州石狗』嶺南美術出版社、2012年より)





参考文献:陳永生(主編)『雷州石狗』嶺南美術出版社、2012年