柱頭にずらりそろい踏みの紅獅子・紅麒麟 ─海峡華人のバロック街屋の唐獅子たち(その1) (マレーシア・ジョホール州ムアー)
西マレーシア東部のムアーの今の街並は、1900年代から1950年代の建物で占められています。シンガポール発祥の騎楼(華語:チーロウ・きろう)と呼ばれるアーケード付きショップハウスが、街を縦横に走っていて、そのスタイルはほとんどが、倣バロック式建築です。
図1.紅麒麟(向かって左開間の左端)
倣バロック式建築は、シンガポールやムラカ(マラッカ)・ペナン島のジョージタウンなどの海峡華人(イギリス・オランダ海峡植民地在住華人・英語のいわゆるプラナカン・マレー語のパパニョニャ)の建築でよく見られますが、ここ、ムアーも同様です。時間が止まったようなレトロな雰囲気が良いです。
図2.紅獅子(向かって左開間の右端)
ところで、ムアーの華人建築は、ときおり西洋の古典様式の柱の上に唐獅子が載っています。ムアーで3箇所のショップハウスがそのような意匠を柱形に載せています。このデザインは、他の海峡華人居住地では屋上両端の柱頭に載せたり、ペティメント(中央上部の三角装飾板部分・華語:山頭・シャントウ)の意匠に双獅を使うことはありますが、柱形上の柱頭に漆喰獅子像を並べることは少ないです。しかも、表現が少々極端です。
図3.中央柱頭下の落ち鳩の意匠
ムアー川沿いのマハラニ通り71号の瑞興金銀紙店は、こてこての海峡華人風ショップハウスです。わずかに一階軒上左右の袖のカーブが福建南部様式を思わせます。 図4.真ん中の2本の柱形で背を向け合う紅獅子
細かい屋根下のデンティル(歯形)の並びの下に、イオニア式柱頭をもつ柱形が二開間にアーチ窓をはさんで連続しています。壁面の水色は、ムアー川の水の色、柱形の白とも相まって美しいです。 図5.向かって左開間の獅子と麒麟の並び
しかし、その上にずらり勢揃いしているのは漆喰細工で丹精込めて仕上げられた大小の紅唐獅たちです。向かって左の開間の両端は紅麒麟です。向かって右の開間の両端は、跳ねて落ちる紅獅子で、目にみえない動線そのものがアーチを描いていて面白いです。 図6.向かって右開間の獅子の並び
唐獅子は、双獅のレリーフにすると、倣バロック様式のペティメントにもよく合います。しかし、柱頭に唐獅子がいることは珍しいです。もっともインドにはショーカ王柱の4連獅子や、上座部仏教圏にも、それを模した柱頭をみることがあります。
図7.向かって右の開間の獅子の動き、獅子は右端で跳ねて、左端で落ちる?
中央のアカンサスの葉をもつコリント式柱形の柱頭下には、逆さ鳩のような鳥を描いていますが、キリスト教の精霊のシンボルの意味を採り入れているのでしょうか。 図8.向かって右の開間の獅子の動き、獅子は右端で跳ねて、左端で落ちる?
この種の落ち鳩は、通俗的にはたばこのピースのデザイン意匠で知られています。わざわざ落とすように配置するのは、やっぱり鳩なのではと思いますが、これも背景には福の字を逆さに貼って、「福が落ちてくる」(「倒福」華語:ダオフー)とする華人の縁起担ぎの意識が反映しているのかもしれません。
図9.厦門の鼓浪嶼のペディメント上の双獅 (つづく) 附記:ムアーの街並とその沿革
ムアー(Muar)は港町で、ムラカ(マラッカ)から約50㎞ほど南の海岸沿いにあります。ムラカからも、(金子光晴が住んでいた)バトゥ・パバッからもちょうど中間くらいで、ともにバスで1時間くらいです。この街はスマトラ島行きフェリーが出ていたりする大きな街です。ムアーというのは、マレー語の河口の意味で、ムアー川(これでは意味が河口川になってしまいます)の河口にある街です。華語では「蔴坡」といいます。
大きな河口の南岸にあり、対岸にはマスジット・スルタン・イスマイル・ムアーの白い塔が川面の浮島のようなみえます。美しい青い川の水がゆったりと流れて、川沿いには川の色と良く合う水色の騎楼が建ち並んでいます。
美しい街ですが、観光に名が挙がらないのは、近くのムラカが世界遺産にもなって、あまりにも有名過ぎるためと、700年以上の歴史のあるムラカと比べて、歴史が浅いからでしょう。しかし食べ物は美味しいし、飲茶屋の集まる美食街もあるくらいで、魅力的な街です。
ムアーの街並は、ムアー川と平行に華語でいうと大馬路(海乾街・馬路は大通りの意味)から六馬路まである大きな街で、これがそのまま旧市街になっています。しかし残念なことに1914年に大火災があったため、現在遺る古い建築物は1915年以降1930年代にかけて建造されたものが多いです。レーンごとに建物の壁面は水色・黄色・紅色に塗り分けられていて、わかりやすく美しいです。
なお、この街はバンダル・マハラニ(Bandar Maharani)ともいい、これは皇后(Maharani)の街(Bandar)の意味ですが、じつは2012年以来ジョホール州の王都にもなっています。華語では「香妃城」といい、この名も街中でよく使われています。1884年に、アブ・バカール王(Maharaja Abu Bakar)によってこちらが正式名称にされています。
ムアーは130年ほどの歴史がありますが、一帯の土地はサトウキビ生産や胡椒で入植した華人が多く、サトウキビ交易の集積地と輸出港でした。ムアーは19世紀後期に、現地の港主(マレー語Kangchu)である林東連(福建出身)が開いた街です。 港主制度はジョホール州独自の制度で、19世紀中頃から20世紀初頭にかけてジョホール州では、1844年から1917年にかけてスルタン・アブ・バカールとその父であるトムンゴン・イブラヒム・Temenggong Ibrahim・トムンゴンは代官相当・トムンゴン・イブラヒム・1855年にジョホールのスルタン・アリから支配権がイブラヒムに譲渡される)が主に華人の実力者に港湾を請け負わせる港主制度を推し進めたため多数の港が開港し、多数の華人が入植してきます。そのためムアーも成り立ちから華人街としての性格をもっています。
港主は司法・商業・金融などの権限をもち、カジノや質屋の経営権や肉類(華人ばブタ肉を食べる)・酒類専売権を独占し、貨幣の発行も行いました。港主のもとで、生活の糧を求めて南洋に渡った華人労働者(いわゆる苦力)も増加し、19世紀末には、ジョホール州の人口は30万人を超え、その三分の二を華人が占めました。
ムアーは福建南部系が主体の街ですが、じつはジョホール州の港主は、ほとんどが潮州系華人で、東海岸の街メルシン(Mersing)が広東系(広府系)港主である例外と並んでいます。市内の会館は、福建会館のほか、漳泉会館があります。人口構成は福建南部系に次いで潮州系が多く、会館ではその他に潮州会館・広東会館・客属(客家)会館・永春(福建省永春県・客家が多い地域)会館・(永春県)埔頭林会館・・茶陽会館(広東省梅州市茶陽県・客家系)などがあります。
なお、最大の廟は斗母宮(九天皇帝廟)ですが、斗母神を祭祀する福建系の廟堂です。脇の大二爺廟は、冥界の拘魂卒である白無常・黒無常を祭祀し、福建省安渓県を祖籍とする人が祭祀する廟でした。最大の仏教寺院である浄業寺も、福建省莆田県の亀山福清古寺の下院で、福建系です。南海観音を祭祀する寺廟では、南海飛来観音堂があります。