石獅は何故口中に玉を含むのか?
─民間伝承2則
(中国、河北省・山西省)




       先日FB「狛犬さがし隊」で長谷川昇隊長が、狛犬が口の中に含んでいることがある「口中玉」は何故に含んでいるのか、というお題を出されました。
それで中国の石獅の場合で、お題に対して中国の伝説を2則ご紹介しました。以下のようなお話です。2つの伝説はそれぞれ違う理由づけです。


 
図.写真は山西南部の黄砂に溶け込むような砂石製牌坊の石獅です。
 


      昔、妖怪が跳梁跋扈して、人々を困らせていたときに、その苦しみを取り除こうと、一人の男子が仙術を仙界に学びに行きました。ある神仙が感動して、若者に玉(ぎょく)を与え、口に含むと獅子に変身することができるようにしてあげると、妖怪は怖がって、みんな妖界に逃げ帰っていきました。それで世の中は平和になりましたが、この男が死んでから、妖怪はまた人の世に戻ってきたので、石獅を彫って家の門の前に置くようにしました。妖怪は男が帰ってきたと思って、怖がって逃げたので、石獅が玉を含むのは、それから今日までつづくことになったのです。







     伝説2.18世紀初頭に、山西の五台山で50人の坊さんがお寺を造っていたときに、食事がいつも用意しても足りなくなるのが、石獅がこっそり食べているのがわかって、料理番が待ち伏せて、鍋に頭を突っ込んでいる獅子の舌を切ってしまったら、ほんとうに舌のない石獅が、門楼の下にいました。人々はそれでは格好つかないというので、珠を押し込んであげました。



   石獅の民間伝承、今後も集めておいた方がいいと思いました。注意していこうと思います。


伝説1は、神匠石獅子有限公司〈河北省石家庄の石獅製作会社〉のHPの紹介記事です。
http://www.shizishidiao.com/xinwen/1090.html

伝説2は、中国の「百度」という検索エンジンの質問欄からです。伝説はまだまだあると思います。「石獅・石珠」で検索しました。
http://zhidao.baidu.com/link?url=S7ckBd1jsasu5u6ElvQYx-VWMAi2fegJBTQg4xvRARwaHGStZJ409XXptqHttsiWmz1idklwOtXznS2GRnUqna

 

華人ショップハウス柱頭の獅子たち
─海峡華人のバロック街屋の唐獅子たち(その2)
(マレーシア・ジョホール州ムアー)



      ムアーでは、獅子形の柱頭装飾は、マハラニ通り71号街屋のほか、ムリアム通りとヤヤ通り交差点の二つのショップハウスと、プゥトゥリ通り12号街屋にもあって、合計4カ所でみられました。
 


図1.ムリアム通り・ヤヤ通り交差点東側街屋の獅子像






     そのうちムリアム通り・ヤヤ通り交差点東側のショップハウスの柱頭は、獅子頭が背中合わせに配されています。

 

図2.ムリアム通り・ヤヤ通り交差点東側街屋の獅子像




      口からなにか吐き出しているのですが、これは中央の珠は太極八卦を描いていて、中華風に獅子とともに魔除けの意匠でもあることが分かります。口からつながった錦帯の頭が丸くなったリボン状態の帯玉(鞠ではないです)とつながっているので、重力で下方に垂れているようです。




     舌を出して、嘔吐しているような、ちょっとびっくりするスタイルでしたので、久しぶりに学生さんたちを思い出して、「君たち悪酔いもほどほどにしたまえ」とかツッコミをいれるのでした(←これは悪い冗談かなぁ)。






             川沿いのマハラニ通りにつづく、プゥトゥリ通り12号街屋の柱頭獅子像も、同様の意匠です。しかし、こちらは頬がもっと膨らんで、もっと気持ち悪そうに悪酔いしていました。

 


図3.プゥトゥリ通り12号街屋の獅子像





     ムリアム通り・ヤヤ通り交差点北側の華南旅社は、コーナーハウス(華語:転角楼〈チュワンジャオロウ〉・「かどみせ」)で、三角ペディメントが美しい、今はトリコロールに塗られた建物ですが、コーナー部分の柱形の上に一対の石獅が静かに鎮座しています。たんなる装飾ではなく、魔除けのお役目を充分果たしているようです。


 

図4.ムリアム通りヤヤ通り交差点北側華南旅社の獅子像(向かって右)

 

図5.ムリアム通り・ヤヤ通り交差点北側華南旅社の獅子像(向かって左)
  
 図6.ムリアム通り・ヤヤ通り交差点北側華南旅社コーナーの門楼



 

     福建南部様式の石獅は、台湾でも金門島でも、廟堂の場合は、じつは廟の門前に鎮座されているとは限らず、廟堂正面の側壁上に一対で鎮座していることが多いです。ムアーは福建南部系華人が多数を占める街です。






     ショップハウスの柱頭上の唐獅子たちも、そのような福建南部様式の廟堂の上部左右の石獅の配置の仕方と通じるものを感じます。もっとも倣バロック式ショップハウスのペティメントを夾んだ両端の龍柱上に獅子を置くことも多いですから、そこからの発展系としての過剰な柱形の獅子装飾であるともみえます。






     最後にムアーの華人建築を代表する福建南部系華人の会館漳泉公会の建物をご紹介します。1936年竣工で、当時のマレー半島を代表する華人会館建築です。三階建てに二層の楼閣を中央上部にそびえ立たせた楼閣構造の大洋館で、アリ通りにあり、サヤン通りとの交差点近くにあります。

 

図7.漳泉公会


 
図8.漳泉公会獅子像(向かって右)

 
図9.漳泉公会獅子像(向かって左)

 
図10.漳泉公会1階ホール柱頭獅子レリーフ



     その三階中央突出部の左右にライオン像が鎮座しています。近代化された石獅という印象です。内部の内部の1階ホールの柱頭は銀獅頭で、碧緑の眼が美しく輝いていました。







         なお、ペナンのジョージタウンでは、獅子はアーチ形三連窓のそれぞれ上部におられますので、それはまた後日にお話します。




    倣バロック式建築上の意匠は、獅子も今後取り上げたいところですが、このほか、狛「天使」や狛「南蛮」の事例をいずれは扱ってみたいです。




        

柱頭にずらりそろい踏みの紅獅子・紅麒麟
─海峡華人のバロック街屋の唐獅子たち(その1)
(マレーシア・ジョホール州ムアー)




   西マレーシア東部のムアーの今の街並は、1900年代から1950年代の建物で占められています。シンガポール発祥の騎楼(華語:チーロウ・きろう)と呼ばれるアーケード付きショップハウスが、街を縦横に走っていて、そのスタイルはほとんどが、倣バロック式建築です。

 

図1.紅麒麟(向かって左開間の左端)

 

 






   倣バロック式建築は、シンガポールやムラカ(マラッカ)・ペナン島のジョージタウンなどの海峡華人(イギリス・オランダ海峡植民地在住華人・英語のいわゆるプラナカン・マレー語のパパニョニャ)の建築でよく見られますが、ここ、ムアーも同様です。時間が止まったようなレトロな雰囲気が良いです。

  

図2.紅獅子(向かって左開間の右端)






   ところで、ムアーの華人建築は、ときおり西洋の古典様式の柱の上に唐獅子が載っています。ムアーで3箇所のショップハウスがそのような意匠を柱形に載せています。このデザインは、他の海峡華人居住地では屋上両端の柱頭に載せたり、ペティメント(中央上部の三角装飾板部分・華語:山頭・シャントウ)の意匠に双獅を使うことはありますが、柱形上の柱頭に漆喰獅子像を並べることは少ないです。しかも、表現が少々極端です。

 

 

図3.中央柱頭下の落ち鳩の意匠






   ムアー川沿いのマハラニ通り71号の瑞興金銀紙店は、こてこての海峡華人風ショップハウスです。わずかに一階軒上左右の袖のカーブが福建南部様式を思わせます。


 
図4.真ん中の2本の柱形で背を向け合う紅獅子





   細かい屋根下のデンティル(歯形)の並びの下に、イオニア式柱頭をもつ柱形が二開間にアーチ窓をはさんで連続しています。壁面の水色は、ムアー川の水の色、柱形の白とも相まって美しいです。



 

図5.向かって左開間の獅子と麒麟の並び




   しかし、その上にずらり勢揃いしているのは漆喰細工で丹精込めて仕上げられた大小の紅唐獅たちです。向かって左の開間の両端は紅麒麟です。向かって右の開間の両端は、跳ねて落ちる紅獅子で、目にみえない動線そのものがアーチを描いていて面白いです。

 

図6.向かって右開間の獅子の並び



   唐獅子は、双獅のレリーフにすると、倣バロック様式のペティメントにもよく合います。しかし、柱頭に唐獅子がいることは珍しいです。もっともインドにはショーカ王柱の4連獅子や、上座部仏教圏にも、それを模した柱頭をみることがあります。


 
図7.向かって右の開間の獅子の動き、獅子は右端で跳ねて、左端で落ちる?




   中央のアカンサスの葉をもつコリント式柱形の柱頭下には、逆さ鳩のような鳥を描いていますが、キリスト教の精霊のシンボルの意味を採り入れているのでしょうか。


 

図8.向かって右の開間の獅子の動き、獅子は右端で跳ねて、左端で落ちる?





  この種の落ち鳩は、通俗的にはたばこのピースのデザイン意匠で知られています。わざわざ落とすように配置するのは、やっぱり鳩なのではと思いますが、これも背景には福の字を逆さに貼って、「福が落ちてくる」(「倒福」華語:ダオフー)とする華人の縁起担ぎの意識が反映しているのかもしれません。


 

図9.厦門の鼓浪嶼のペディメント上の双獅
(つづく)




   附記:ムアーの街並とその沿革





    ムアー(Muar)は港町で、ムラカ(マラッカ)から約50㎞ほど南の海岸沿いにあります。ムラカからも、(金子光晴が住んでいた)バトゥ・パバッからもちょうど中間くらいで、ともにバスで1時間くらいです。この街はスマトラ島行きフェリーが出ていたりする大きな街です。ムアーというのは、マレー語の河口の意味で、ムアー川(これでは意味が河口川になってしまいます)の河口にある街です。華語では「蔴坡」といいます。





   大きな河口の南岸にあり、対岸にはマスジット・スルタン・イスマイル・ムアーの白い塔が川面の浮島のようなみえます。美しい青い川の水がゆったりと流れて、川沿いには川の色と良く合う水色の騎楼が建ち並んでいます。



   美しい街ですが、観光に名が挙がらないのは、近くのムラカが世界遺産にもなって、あまりにも有名過ぎるためと、700年以上の歴史のあるムラカと比べて、歴史が浅いからでしょう。しかし食べ物は美味しいし、飲茶屋の集まる美食街もあるくらいで、魅力的な街です。





   ムアーの街並は、ムアー川と平行に華語でいうと大馬路(海乾街・馬路は大通りの意味)から六馬路まである大きな街で、これがそのまま旧市街になっています。しかし残念なことに1914年に大火災があったため、現在遺る古い建築物は1915年以降1930年代にかけて建造されたものが多いです。レーンごとに建物の壁面は水色・黄色・紅色に塗り分けられていて、わかりやすく美しいです。


  


   なお、この街はバンダル・マハラニ(Bandar Maharani)ともいい、これは皇后(Maharani)の街(Bandar)の意味ですが、じつは2012年以来ジョホール州の王都にもなっています。華語では「香妃城」といい、この名も街中でよく使われています。1884年に、アブ・バカール王(Maharaja Abu Bakar)によってこちらが正式名称にされています。





   ムアーは130年ほどの歴史がありますが、一帯の土地はサトウキビ生産や胡椒で入植した華人が多く、サトウキビ交易の集積地と輸出港でした。ムアーは19世紀後期に、現地の港主(マレー語Kangchu)である林東連(福建出身)が開いた街です。






    港主制度はジョホール州独自の制度で、19世紀中頃から20世紀初頭にかけてジョホール州では、1844年から1917年にかけてスルタン・アブ・バカールとその父であるトムンゴン・イブラヒム・Temenggong Ibrahim・トムンゴンは代官相当・トムンゴン・イブラヒム・1855年にジョホールのスルタン・アリから支配権がイブラヒムに譲渡される)が主に華人の実力者に港湾を請け負わせる港主制度を推し進めたため多数の港が開港し、多数の華人が入植してきます。そのためムアーも成り立ちから華人街としての性格をもっています。







    港主は司法・商業・金融などの権限をもち、カジノや質屋の経営権や肉類(華人ばブタ肉を食べる)・酒類専売権を独占し、貨幣の発行も行いました。港主のもとで、生活の糧を求めて南洋に渡った華人労働者(いわゆる苦力)も増加し、19世紀末には、ジョホール州の人口は30万人を超え、その三分の二を華人が占めました。





    ムアーは福建南部系が主体の街ですが、じつはジョホール州の港主は、ほとんどが潮州系華人で、東海岸の街メルシン(Mersing)が広東系(広府系)港主である例外と並んでいます。市内の会館は、福建会館のほか、漳泉会館があります。人口構成は福建南部系に次いで潮州系が多く、会館ではその他に潮州会館・広東会館・客属(客家)会館・永春(福建省永春県・客家が多い地域)会館・(永春県)埔頭林会館・・茶陽会館(広東省梅州市茶陽県・客家系)などがあります。





   なお、最大の廟は斗母宮(九天皇帝廟)ですが、斗母神を祭祀する福建系の廟堂です。脇の大二爺廟は、冥界の拘魂卒である白無常・黒無常を祭祀し、福建省安渓県を祖籍とする人が祭祀する廟でした。最大の仏教寺院である浄業寺も、福建省莆田県の亀山福清古寺の下院で、福建系です。南海観音を祭祀する寺廟では、南海飛来観音堂があります。

神様を凌駕する巨体虎爺と煙草好きの大爺・二爺
─虎爺の話その5
(マレーシア・ジョホール州ムアー)




ムアーの街に戻り、北斗七星らの母である道教の斗母元君(とぼげんくん・仏教の摩利支天・まりしてんを取り込んだ女神)を祭祀する斗母宮(九皇大帝廟)に行きました。タイ南部からマレー半島にかけて、福建南部系華人が祭祀する代表的な女神は、媽祖さまのほかにも、斗母さまがおられます。タイのプーケット島の斗母宮が有名です。シャーマンが自傷行為に及ぶ「齋食」(福建南部方言:ギンジェー)のお祭りが有名です。毎年旧暦9月1日から9日が祭日です。台湾の「童乩」(台湾語:タンキー)と呼ばれるシャーマンも同様の自傷行為をしますが、血が淋淋と滴るのを、私は見ていられません。ムアー斗母宮でも、同様のお祭りが行われます。ちょうどいまの時期です。

 
 
図1.笑う巨体虎爺

 


ムアーの斗母宮のなかに併設されている大二爺廟(だいじろうやびょう)では、寿命が尽きた人の魂をとりにくる冥界の小役人である大爺(だいや)(白無常・しろむじょう)と二爺(じや)(黒無常・くろむじょう)を祭祀しますが、家人が亡くなったときの報告や、個人の冥福を祈ります。

 
図2.虎爺左側面



 
図3.虎爺さま右側面

 

 
 図4.小さい方の虎爺さま。虎皮の縞がみえます


 

大二爺廟の祭壇上には、二人の神様を差し置いて、石彫の巨大な虎爺がおります。笑い顔みたいな顔つきから、犬かと思いましたが、虎爺でした。神様よりも大きくて、中央にでんと鎮座しているのに、お顔がじつに弱気、もとい、慈悲に溢れてはにかんでおられます。
小さな虎爺もおられて、よくみると、黄色い皮と縞模様があって、長年の煙で燻されていたことがわかります。

 
図5.貴人紙と緑馬紙
 

大爺と二爺は、縊死者と溺死者で、異常死者が冥界の小役人となったものです。ともに麻の喪服を着ています。大爺は、持ち物に唐傘と芭蕉扇があり、神像の後に置いてあり、二爺は、背が低く、藍衣(らんい)の上に麻の喪服を着て、「天下太平」の札をもっています。お2人とも、亡者の魂を拘束する鎖をもっていて、怖いです。線香も、金銀紙も捧げますが、お二人はなにしろ愛煙家なものだから、大爺と二爺の手に持つキセルに煙草を挿してあげます。

大爺の持ち物に、そろばんがありますが、これは寿命の計算と、生前の寿命を計算します。ムアーでは、県知事のような行政区域を管轄する城隍神がいなので、大爺のお役目となっているようです。

 
図6.大爺

よく見ると、ちゃんと両切りのラッキーストライクを用意する念の入れようで、よほどにお煙草がお好きなお二人ですが、台湾では見たことのない習俗で、どうもムアーの華人独自の祭祀習俗のようです。

 
図7.煙草がお好きです

 
 図8.二爺さま

しかし神様のお好みの供物や、絶対捧げてはいけない供物(たとえば雲南省雲龍県の三崇皇帝という土地神は、肉食を捧げてはいけない)というものは、その神様の特徴をよく物語るので、興味深いテーマです。もちろん、日本にも、中国にもいろいろな事例がありますが、お線香もいいけど、煙草が大好きな大爺・二爺や、虎であるがゆえに、豚油とたまごを口に入れられるマレー半島東部の虎爺の事例は、なかなか面白いと思いました。


図9.大爺の持ち物。唐傘・団扇・そろばん

 


 

 
図10.煙草を捧げる参拝者(お祭りの格好です)


  
 

図11.参拝の光景

 
図12.斗母宮の石獅

 

虎爺の口に入れるお供物
─虎爺の話その4
 (マレーシア・ジョホール州バトゥ・パハッ)

 




      10月3日〈2014年〉のFB「狛犬さがし隊」の私の投稿記事の虎爺について、西マレーシア東部ムアーの南海飛来観音堂の虎爺について、コメント欄でYukiko Takehara さんが、「虎爺の口が壊れている」との指摘がありました。それでハッとしたのは、この虎爺には、お供物を口に食べさせているのではないか? ということでした。



 

図1.玉龍宮虎爺A(本殿前)

    今日、詩人の金子光晴が森三千代と住んだ街、バトゥ・パハッ(Batu Pahat・華語:峇株巴辖)に行きました。そこには、詩人が絵を描いた天后宮や、玄天上帝(げんてんじょうてい)を祭祀する武当山(武当山は湖北省にあるが、そこから将来したようです)玉龍宮がなどの中国廟があります。

 
 

図2.玉龍宮虎爺A(本殿前)


   玉龍宮では、玄天上帝を主神とし、観音菩薩・福徳正神(土地神)も左右に祭祀してます。2尊の虎爺がおり、1尊は本殿前にあり、背景が山になっています。眼が紅くて怖いです。マレー半島やシンガポールの虎爺は台湾のそれとは違ってリアルで、怖いですが、マレー虎もいるからでしょうか。
   

図3.玉龍宮虎爺B(普渡公・拿督公祠前)


   もう1尊の虎爺は、普渡公と拿督公沙味、拿督公澳瑪を祭祀する祠の前にあります。普渡公は面燃大士のことで、亡者を冥界で管理する鬼王です。「拿督公」(漢語:ナートゥコン)というのは、マレーシア・インドネシア・ブルネイ華人特有の土地神で、拿督とはダトゥ(Datuk・ Dat)という、王から与えられる名誉称号です。タイ・カンボジア・ヴェトナム華人特有の土地神である「本頭公」(漢語:ベントゥーコン)同様、中国大陸では祭祀されない神です。ダトッサミー・ダトッオーマーの2柱の神ということになるでしょう。

 



   こちらの虎爺は、口が禿げています。ちょうど脇の机でお爺さんやおばさんが、お酒を飲んで楽しそうだったので訊いてみました。みなさん福建南部方言を話していて、福建南部系華人です。眼が紅色のピー玉を入れていて、その表現が怖いです。

   





    すると供物は、豚油とゆで卵、豆腐乾(こうやどうふ)なのだけれども、その祭祀は、小人の祟りを祓う際に、虎爺の口に塗って差し上げるのであるとのことでした。だから、口の周りが禿げるのも致し方ないとのことでした。






    奉納品は、このほかに緑馬紙と貴人紙があり、これを壁に貼ります。小人紙は燃やしてしまうのだそうです。






 

図4.奉納の貴人と緑馬



    虎爺は豚油とたまごが好物だったのでした。なお、冒頭のムアー南海飛来観音堂では、
じつは豚油ではなく、豚肉を虎爺像の前に捧げるだけで、口には入れないそうです。それではなんで口の色が剥げているのでしょう?。






    玉龍宮の「牌坊」(漢語:パイファン・はいぼう、中国式飾り門楼)の左右には石獅が一対おられるのですが、表現が独特で、仰天しました。ご尊眼がビー玉なのです。それで猫眼の獅子さまとしているのです。ライオンも猫眼になるのでしょうか?。



  
 

 図5.玉龍宮石獅(向かって左)



   石獅には黒で筆入れしてあり、毛並みや爪・歯などの輪郭を強調し、口と耳も紅色に塗っていて、白線を入れ、口中玉も紅色に白線を入れています。そうすると、石獅の身体の青石が緑石にみえてきます。こうとう輪郭表現や彩色に、福建南部系の石獅の好みがよく表れています。台湾でも見かける表現です。でも、眼をビー玉としたことに、アイデアの良さは理解できるものの、衝撃を覚えました。


 

図6..玉龍宮石獅(向かって右)
 

図7.玉龍宮石獅(向かって左)

 

図8..玉龍宮石獅(向かって左)
    同様の祭祀は、天后宮でも行われていましたが、こちらの虎爺は、神鞭をもった神が黒虎に騎っていて、武財神(武将形の財神)である趙公明さま(通俗小説『封神演義』で活躍する)の姿と同じです。ただし、「元宝」(漢語:ユエンパオ・げんほう、財産の象徴として、銀塊をあらわす)はなかったです。
 

図9.天后宮虎爺

   虎爺は、趙公明さまの黒虎であらせられるのでした。こちらにも貴人紙と緑馬は貼ってありました。

 図
図10.虎爺の祭壇と貴人・緑馬
 

   クアラ・ルンプールの仙四爺廟と関帝廟では、一対の虎爺の中央に、虎像ともにおられる趙公明さまがおり、玄壇将軍〈本来は玄壇元帥と呼ばれることが多い〉と呼ばれていました。


   台湾では山神や保生大帝、マレーシアでは社稷神とともに、虎爺の神が趙公明さまであることがよく分かりました。