爪哇(ジャワ)のお空に飛んでいった天狗
─ジャカルタ・グロドッ華人街大史廟と金徳院の「天狗将軍」
ジャカルタのグロドッ華人街の大史廟の主神は、謝府元帥謝玄(東晋の将軍・343-388)で、「清元真君」は廈門系の呼称であり、福建南部系華人の廟堂です。大史は「王孫大使」の意味で、道教の流派で、閭山法教王孫派の流れを汲むのではと思います。
気になるのは、清元真君の壇下に使役神の天狗を祭祀することで、「清源妙道真君」の号をもつ二郎神信仰に由来すると思います。「清元」と「清源」は、北京音では「チンユエン」で同一です。近くの金徳院には二郎神の神犬として天狗を祭祀しています。二郎神とのアナロジー・同一視があって当然でしょう。

写真1.天狗将軍像
中国系天狗は、日本で修験道などの影響を受けていない状態の素のままの「テンノイヌ」です。
二郎神と天狗の神像は、日本の天狗の本来の中国での源流が、ジャワ島にも祭祀されていて、本来の天の狗の姿で面白いです。この天狗信仰は、ジャカルタ大史廟でも清源真君の使役神とされ、華人の間に広まっています。
二郎神は、元来四川省成都郊外の堤防である都江堰(とこうえん)の水神である灌口二郎神です。秦代の蜀の太守であった李冰(りひょう)とその息子を祭祀したのが起源です。
それが後に趙昱(ちょういく)という人物を清源妙道真君二郎神として祭祀した際に、神犬の姿がいっしょに登場します。二郎神は楊戩という人物とされて大活躍する明代の小説『封神演義』で有名になり、中国全土に信仰される神となります。神犬も活躍することから、二郎神の神犬の姿も定着していきます。大史廟の天狗将軍も二郎神系統の神犬であるとするのは以上の流れからの説です。
しかしながら、天狗が一番大切なのは、人の運勢をひっぱる年回りの凶神、天狗星である点でしょう。ジャカルタ金徳院の厄祓いの説明には、次のように書かれています。
2013年歳次癸巳(きみ・みずのとへび)年肖蛇(へびどし)
癸巳大利南北不利東方
祈福(願掛け)二零一三年二月二十五日至四月三日
還福(願解き)二零一三年十二月一日至二十一日
肖蛇(特別年齢25・85)・猪(7・43・67)・猴(34・94)・虎(16・52・76)、敬太歳爺(年回りのその歳の神)、徐舜(今年の年神の姓名)。三種果(くだもの)・三種糕(蒸し菓子)
肖牛沖(冲・衝)白虎将軍(うしどしは白虎将軍にぶつかる)。豆府(腐)・蛋(たまご)・緑豆(りょくず)。
肖鶏沖(冲・衝)五鬼(にわとりどしは五鬼にぶつかる)。五種果。
肖兎沖(冲・衝)天狗(うさぎどしは天狗にぶつかる)・三種果。
今年の歳神(太歳)の年回り、白虎将軍・五鬼・天狗の年回りの人は、厄年なので、厄祓いをしなければならないという趣旨です。
金徳院には、太歳・五鬼・白虎将軍・天狗(将軍)いずれも神像があるのは、こうした厄年の祭祀に必要だからです。したがって、二郎神の神犬もまた、厄祓いの対象となっているのです。

写真2.金徳院の天狗像
それで、天狗像ですが、金徳院のものは、ただの「黄色いシェパード」みたいで、なんだかコーナンの園芸売り場で売ってそうです。しかし大史廟のものは、2匹とも雲の上に乗っています。小さいけれど立派な石像で、渦巻く雲は正統派天狗の表現です。耳を垂らし、顔も長く、目が可愛いです。スヌーピー系です。大事なところは羽根が生えているかどうかですが、しかし黄色いマントを羽織っていて、その部分がわかりません。
かつて天津の天后廟(媽祖を祭祀する)でも、門前脇の回廊上に張仙祠(四川出身の子授けの神)があって、そこに天狗像がありました。黒豚のようで、羽が生えていたそうです(だからペガサスでなく、ピグサスです・笑)。天狗が不妊の原因となることから天狗像があったらしいです。2013年に行ったときは修復中でしたが、今度知り合いに見に行ってもらう予定です。
天狗信仰は産育信仰と病気防止、日食・月食の原因など、多方面な意味がありますので、また今度まとめます。
参考文献:
川野明正「天翔る犬─大理漢族・白族の治病儀礼〈送天狗〉と〈張仙射天狗図〉にみる産育信 仰」『饕餮』第8号、中国人文学会、2000年
杉原たく哉『天狗はどこから来たか』大修館書店、2007年