雷州半島と海南島の石狗─中国最南部に遺る石犬彫刻の系譜
海南島の新英という漁港の街を雨の中とぼとぼと歩いていました。海南島北部の儋州市の小さな街で、行政区劃の「鎮」でもなく、合併されたうらぶれた街です。しかし帰国華人の建てた立派な街屋が続いていて、中華民国期の繁栄は充分忍ばれるのでした。新英のメインストリートはT字路で突き当たって、その脇の家の門前に小さな石犬像が一尊だけ置いてあります。

写真1.海南省儋州市新英の石狗
これは石狗といって、海南島と、対岸の広東省の、とくに雷州半島に分布する石像です。
海南島と広東省、とくに雷州半島には、石狗と呼ばれる石像が見られます。雷州半島では石獅より石狗が盛んで、朝鮮半島の石犬、ひいては日本の狛犬とも対応する形で石狗が民間信仰に息づいています。
雷州方言と海南方言は、じつは福建南部系方言の仲間です。これはこの地方に南宋末期大量の避難民が福建からやってきたことによります。ですから信仰文化も共通するのでしょう。雷州半島と海南島の漢族の文化の古層を伝えるものです。
雷州半島では、石狗は少なくとも明代からあるようです。古城門・村口・古道・巷口(路地の入り口)、門口・水口(村落に河川が流れ込む場所)にあり、古墓の前にもあります。雷紋を彫ったり、石敢当の文字を彫ったりするものもあり、基本的には魔除けの役割がありますが、それだけでなく子孫繁栄の意味もあるといい、狗が多産だからでしょう。天狗(テンノイヌ)が太陽に吼えてくれて、それで雨が降ったという伝説もあり、降雨の呪物でもあります。雷州では犬は神聖な意味があり、殺してはいけないし、打っもいけないのだそうです。それなのに雷州の街では犬肉食堂ばかり軒を並べていますから、広東省でも有数の犬食地域です。犬崇拝と犬食が共存している不思議な土地柄です。

写真2.雷州の石狗・出典:HP『熱度旅游網』www.redoo.com
新英の石犬は、個人のお宅の前にありますが、無数の線香が捧げられていました。静かに雨の中でしゃがんで、小さな耳を立て、頭は横を向いています。尻尾は短いです。しかし雷州のものは目玉が大きくて、口を開けて吼えています。金門島の風獅爺は直立するものが多いですが、顔つきは似ています。福建南部系造形の一種であるような雰囲気はあります。しかし雷州半島で何故石獅ではなく、石狗が主流となっているかは、雷祖に関わる九耳狗の伝説や、南方山地系民族のミャオ族・ヤオ族系の犬祖である槃瓠信仰と結びつける説もあります。
雷州市の雷祖廟は、唐朝貞観十六年(642)の創建で、雷祖は雷を司る神です。しかしその人物は現地出身の陳文玉(570-638)で、実在の人物です。唐代の雷州刺史ですが、雷州の名付け親です。明代の荘元貞『雷祖志』に、陳鉷という猟師が九耳狗を飼っていて、ここ掘れワンワンというと、大きな卵が出てきて、翌日黒雲が立ちこめ、雷電合い混じる風雨中に落雷して割れた卵から陳文玉が誕生したといわれます。左手に「雷」、右手に「州」と書いてあり、雷祖と縁深い九耳狗が登場します(明朝万暦年間の『雷州府志』卷十七「郷賢志」にも同様の記載あり)。雷神信仰と深く結びついた形で、犬の信仰が雷州半島にあるのだとはいえると思います。
文献は陳志堅(著)『雷州的石狗』広州:広東人民出版社、2006年があります。
雷州市三元宮に石狗陳列館があり、博物館にも多く所蔵されているので、行かないといけませんね。
海南島の新英という漁港の街を雨の中とぼとぼと歩いていました。海南島北部の儋州市の小さな街で、行政区劃の「鎮」でもなく、合併されたうらぶれた街です。しかし帰国華人の建てた立派な街屋が続いていて、中華民国期の繁栄は充分忍ばれるのでした。新英のメインストリートはT字路で突き当たって、その脇の家の門前に小さな石犬像が一尊だけ置いてあります。

写真1.海南省儋州市新英の石狗
これは石狗といって、海南島と、対岸の広東省の、とくに雷州半島に分布する石像です。
海南島と広東省、とくに雷州半島には、石狗と呼ばれる石像が見られます。雷州半島では石獅より石狗が盛んで、朝鮮半島の石犬、ひいては日本の狛犬とも対応する形で石狗が民間信仰に息づいています。
雷州方言と海南方言は、じつは福建南部系方言の仲間です。これはこの地方に南宋末期大量の避難民が福建からやってきたことによります。ですから信仰文化も共通するのでしょう。雷州半島と海南島の漢族の文化の古層を伝えるものです。
雷州半島では、石狗は少なくとも明代からあるようです。古城門・村口・古道・巷口(路地の入り口)、門口・水口(村落に河川が流れ込む場所)にあり、古墓の前にもあります。雷紋を彫ったり、石敢当の文字を彫ったりするものもあり、基本的には魔除けの役割がありますが、それだけでなく子孫繁栄の意味もあるといい、狗が多産だからでしょう。天狗(テンノイヌ)が太陽に吼えてくれて、それで雨が降ったという伝説もあり、降雨の呪物でもあります。雷州では犬は神聖な意味があり、殺してはいけないし、打っもいけないのだそうです。それなのに雷州の街では犬肉食堂ばかり軒を並べていますから、広東省でも有数の犬食地域です。犬崇拝と犬食が共存している不思議な土地柄です。

写真2.雷州の石狗・出典:HP『熱度旅游網』www.redoo.com
新英の石犬は、個人のお宅の前にありますが、無数の線香が捧げられていました。静かに雨の中でしゃがんで、小さな耳を立て、頭は横を向いています。尻尾は短いです。しかし雷州のものは目玉が大きくて、口を開けて吼えています。金門島の風獅爺は直立するものが多いですが、顔つきは似ています。福建南部系造形の一種であるような雰囲気はあります。しかし雷州半島で何故石獅ではなく、石狗が主流となっているかは、雷祖に関わる九耳狗の伝説や、南方山地系民族のミャオ族・ヤオ族系の犬祖である槃瓠信仰と結びつける説もあります。
雷州市の雷祖廟は、唐朝貞観十六年(642)の創建で、雷祖は雷を司る神です。しかしその人物は現地出身の陳文玉(570-638)で、実在の人物です。唐代の雷州刺史ですが、雷州の名付け親です。明代の荘元貞『雷祖志』に、陳鉷という猟師が九耳狗を飼っていて、ここ掘れワンワンというと、大きな卵が出てきて、翌日黒雲が立ちこめ、雷電合い混じる風雨中に落雷して割れた卵から陳文玉が誕生したといわれます。左手に「雷」、右手に「州」と書いてあり、雷祖と縁深い九耳狗が登場します(明朝万暦年間の『雷州府志』卷十七「郷賢志」にも同様の記載あり)。雷神信仰と深く結びついた形で、犬の信仰が雷州半島にあるのだとはいえると思います。
文献は陳志堅(著)『雷州的石狗』広州:広東人民出版社、2006年があります。
雷州市三元宮に石狗陳列館があり、博物館にも多く所蔵されているので、行かないといけませんね。