スラバヤ華人街(2)  
街並構成
  
 クンバン・ジュプン通り(Jl. Kembang Jepun)を主街道とし、西はマス川の橋、紅橋(ジュバタン・メラ)に華人街の牌坊がある。
 
 川の西側はコロニアル建築群であり、かつてはオランダ人の場所である。東は川があり、交差点辺りに牌坊があり、北はアラブ人街と接するあたりが華人街だ。

              写真1.パングン通りの街屋群
 典型的な華人街屋は、東辺のドゥク通り(Jl. Dukuh)にあり、広沢尊王廟と天后廟が一つの敷地に建つ。いずれも福建南部系の廟堂の雰囲気がある。華人住民の姿もこの辺りでみられ、ここで華人の苦労話を訊くことはたやすい。大交差点の東側には、田姓・胡姓・陳姓・虞姓・姚姓の奉祀する宗祠もある。


                     写真2.ドゥク通りの華人街屋

 中央やや西よりに市場があり、賑やかである。ジャワ人の販売者が多く、魚市場が西半分を占め、バナナ売り、パイナップル売り、鰹売りの露店もある。公共市場東側門街までひしめき、明るい市場で笑顔が満ちる。


                 写真3.スラバヤ華人街地図です

 その南は広場となっている。この辺りに20世紀初前後のネオ・バロック式の街屋が多い。公共市場を西口から出るとパングン通り(Jl.Panggung)に出る。紅磚屋根両端に短柱で飾った寄棟屋根のコロニアル様式の街屋群が連続する。市場からパングン通りまでは華人とムスリム混住の場所のようである。マスジットもあり、風水上の魔除けである石敢当もある。
 

                      写真4.市場前の賑わい
 なお、北隣のアラブ人街は商店街アーケードで、聖人スナン・アンペルが葬られたマスジット・アンペルがある。華人街よりジャワ人と宗教を同じくするアラブ人街の方が賑やかで、アラブ語書店や露出の少ないムスリム婦人服やショールの店が多い。商店街から路地に入ると、狭いが小綺麗な住宅地となっている。

          写真5.鰹売りのおばさん

                 写真6.アラブ人街アーケード

キャラクター化する金門島の風獅爺─水頭港の風獅爺

 番外というのは、大陸と金門島を結ぶフェリー発着港の水頭港内のこの風獅爺、デザインが沖縄のシーサー化しているかにみえます。「わんやしーさーでむぬ、はにちぃきてぃたぼれ」(私は獅子ですよ。羽根つけてちょーだい)といっているようにみえます。


                       写真1.金獅子

 「幸いなるかな笑う獅子」(ニーチェ)、しかし元は同根ですからね。可愛らしくデザインするとこうなるのは理解できます。吉祥瓢箪と平安太極で対ですね。


写真2.紅獅子

 背景の金門住宅は特徴を良く捉えていますね。
 福建南部でも赤煉瓦と赤瓦屋根か゜ちょっと派手目で、精緻な装飾のバランスが良く、ひときわ目立つのが金門式です。派手さは広東東部の潮州邸宅と肩を並べます。台湾でも金門出身者が金門式住宅(金門厝)を建てたりします。新竹北門大街の鄭宅が有名です。


              写真3.水頭港の通路内の風獅爺と金門邸宅

 ところで最近の創作風獅爺は、港近くの前水頭村の風獅爺文物館に行くとよいでしょう。風獅爺の土産物もたくさんあります。私もお守りを持っていて、シーサーっぽいですが、色の組み合わせがいいです。



写真4.風獅爺のお守り。仕事運上昇祈願の物でした(裏に書いてある)。

  ここの風獅爺は笑う黒獅子で、個性があって素敵です。
 


写真5.文物館の黒風獅はいい感じ

 金門島のお隣の小金門島(正式名烈嶼)の獅子舞の仮面などぶっとい毛虫眉で凄まじい威力を感じます。

 対岸からビシバシ砲弾が飛んでくる時代に使われていたものだけに、無敵獅子の気合いが充満しています。でっかく「王」だし、なんか鼻息荒そうだし、おもいっきりデロンデロンの中華獅子だし、ドヤ顔獅子を極めていて凄いと思います。すくなくとも横浜中華街はいません、こんなの。


 風獅爺のデザインの可能性も充分感じさせる仮面です。
台南市安平鎮の剣獅

 福建南部と台湾では、獅子面に剣を咬ませた剣獅(漢語:チェンンシー・日語:けんし)の魔除けがよく使われていますが、台湾最古の漢人根拠地、鄭成功(ていせいこう)がゼーランジャ城を陥した安平港では、最近これが立像化されています。ここは狭小な土地に三合院(さんごういん)やL字型住宅がひしめき合い、風水関係も複雑で、門前に魔除けが必要となるため、剣獅がよく見られるのでしょう。

                    写真1.安平剣獅の鎮寧君


写真2.安平剣獅の神遊ちゃん


写真3..顔はこうなっているようです。安平剣獅広場のショップHPより
http://www.ccia.org.tw/event_unit_m.asp?e_id=000025&s_type=4&m_id=000056&f_color=000000

 悪い気である「煞気」(漢語:シャーチー・日語:さっき)は、直進してくるので、それを跳ね返す呪符が必要となります。鏡とともに、剣獅はよく使われ、T字路の突き当たりに悪い気を跳ね返すための呪符である泰山石敢当(たいざんせきがんとう)に剣獅を彫ることもあります。
 
写真4.鎮宅剣獅(安平山海館)

   

写真5.鎮宅剣獅の漆喰作品(安平山海館)


        写真6.鎮宅剣獅の漆喰作品(安平山海館)・蝙蝠剣獅みたいなもの

 また清軍の水師(すいし・海軍)の軍営山海館(さんかいかん)が安平に置かれたので、水師の兵士が帰宅するとき、盾を軒先に立てておくと、盾に剣獅の紋様が彫ってあり、その影響もあるといわれます。
  

                             写真7.剣獅付泰山石敢当(台湾台中市花壇郊外の民俗公園)

 剣獅はタイのバンコク華人街のチャルンクルン通りのお札屋に行くと剣獅付風水鏡もあって、華人社会にも浸透しています。


 
 安平には剣獅広場(安平剣獅埕)があり、元来顔だけの剣獅も、観光化のためには肉体化が求められたのでした。それで剣獅の「ゆるキャラ」化のために、急遽デザインされたのが剣を持つ青の「鎮守」君と吉祥の「如意」〈にょい〉をもつ紅の「神遊」ちゃんです。獅子なのに額に虎の「王」の字が書かれるのは、剣獅によくある表現です。雰囲気は金門島の風獅爺(ふうしや)の台湾本土化という気がします。シーサーも混ざっちゃってるかなあ。


写真8.剣獅付風水鏡(タイ王国バンコク華人街)



スラバヤ華人街(1) 
沿革
 スラバヤ(Kota Surabaya・華語:泗水)は東部ジャワの大都市で、マス川河口にある。戦前までジャワ島最大の貿易港であった。語源はスラが鮫で、バヤがワニである。両者が争ったという伝説に由来する(日本ではワニザメだから、争いは生じない)。華語表記は泗水で、元朝のジャワ遠征で漢人卓必大らが現地に遺った民間伝承がある。

 モンゴル軍団は、世界貿易の海上ネットワーク構築を狙ってジャワまで進出しようとしたのだから驚きだ、

  1625年マタラム王国(イスラム系)が激しい攻城戦の末スラバヤのスルタン王国を併呑したが、マタラム王国も徐々にオランダ東インド会社VOCに圧倒されて、1743年スラバヤもVOCに下ることとなった。

  スラバヤの華人は400万人の人口の内、4分の1を占めるといわれ、その内福建南部系華人が6割、客属系(いわゆる客家)が3割といわれる。明代から華人が居住し、華人街もある。ただし現在華人の店舗や漢字看板などはほぼ見られず、中国廟も1箇所にあるだけで、侘びしい。

 しかし隣接してアラブ人街もあり、国際的な都市であることが理解できる。スカルノ大統領はスラバヤの人である。インドネシア独立戦争の発端となった場所の1つであり、市内華人街入り口の紅橋で1945年日本の降伏後に英国軍と独立義勇軍が戦った。

 華人の動向では1900年に中華会館が成立している。1912年の中華民国成立時には、祝賀する華人たちがオランダ官憲に鎮圧され、さらにデモを起こして官憲と対立した泗水事件が発生している。孫文がインドネシア華人の保護を植民地政府に要求するに至っている。スラバヤの華人は、孫文に協力して中国国内の蜂起にも参加した。孫文の措置は義理を通している。
  

金門島の風獅爺(3)─山外村風獅爺(金門島金湖郷)

 1995年に建てられた若い風獅爺で、1949年の国共内戦で古い風獅爺は壊れてしまいました。今の風獅爺はじつは雄と雌があるとい珍しいくみあわせで村を囲込むように守っています。しかし私は一つは見落としていました。交通事故がめっきり減ったと評判です。金馬造石廠が、福建省泉州の白石を材料に彫ったとのことです。村は清末民初の時期いったん消滅していますから、比較的新しい村です。

 私が見たものは、高さ165㎝で、手に鎌をもち、魔除けの威力は強力です。少し寄り目で眼光は鋭いです。獅子が遊ぶ鞠も持っていて、股間にチンチンも彫られています。北向きです。しかしこちらを雌とする記述があり、雄とする記述もありますが、もう一方の方が頭がつるっとしているので、そっちが雌のように見えます。

玄武山のレーダーを見つめていて、ふだんあそこを鏡で隠しているのでやっぱり雌らしいです。股間に円形の盛り上がりがあります。それで結局はまた訪問して村役場で「あのう、両方とも雄にみえるのですが?」と、質問してみようと思います。