金門島の風獅爺(5)-西園村風獅爺(金門県金沙鎮)


 西園村は、廈門を見渡す西海岸にあり、かつて塩田があり、塩の生産で賑わったところでした。塩田展示館の前の三叉路に立っております。もう一頭は楼山寺の後ろに立っています。ともに雄雌の夫婦です。東西に分かれて村を守ります。中国では家宅風水と墓地風水と村落風水を同一の原理で理解しますので、村落のコスモロジーという点では、この雄雌の獅子は対になっていると言っていいのではないかと思います。


写真1.西園村雄獅

 背丈140㎝の典型的な立像の獅子ですが、こちらは雄です。寄り目で、他の獅子が目つきが離れ気味なのと違う雰囲気です。眉間の間の瘤が隆々として頼もしそうです。大きな目玉のうえに、縦目らしい楕円を彫刻していますが、これは中国で火神や馬神・二郎神(『西遊記』や『封神演義』で活躍)のように、魔除けの力を高めるまじないかも知れません。大きな鈴はやはり石獅の仲間だなあと納得します。

                          写真2.雌獅です。西園村風獅婆としておきましょう。

  この風獅爺は、右手に筆を持ち、左手に印鑑を持っておりまして、風鎮め以外にも、文運上達、ひいては科挙合格の祈願を込めるのは、この風獅爺の独自の性格です。中国では文運上昇のためには川流の傍の丘に文筆塔などの塔を建てたりします。立像は塔ともみなせますから、この風獅爺は文筆塔同様風水調整の役割もあるかも知れないと思うのは、目の前が渓流であるということがあります。ですから水鎮めという役割とともに、文運も引き込む獅子という印象があります。



写真3.雄獅はこんな感じで立っています

 もう一尊は雌ですが、顔つきは寄り目で似ています。手に手巾(てぬぐい)をもつところが、石獅らしいですが、背丈はこちらの方が高くて180㎝もあります。下を少し出しているところがお茶目で可愛いです。手ぬぐいは股間を隠す目的もあるようで、いかついわりには恥じらいもある雌獅だと思います。
  村の東西を守る一対の雄雌の獅子という意味では、狛犬のように対になっておりますし、雄は文才をもち、雌は可愛いさがあるので、才子佳人のお似合いの双獅(そうし)カップルにみえます。

金門島の風獅爺(6)─下蘭村風獅爺(金門島金沙鎮)

 私がこよなく愛する風獅爺(ふうしや)です。でも獅子に見えません。魔除けを意識したような黄・紅・薄紅のパターンの胸のしましまとか、巻き毛は「退化」して不思議な青渦となって水色の外皮を走っているとか、一見すると恐竜の子供のようです。高さは66㎝しかないのです。あるいはガチャピンではないかという説もあります(笑)。

 ご尊顔が口を少しだけ開けて、ほっぺが丸くて紅くて羞(は)じらいがあります。そしてそのつぶらな二つの眼は少女漫画のうるうる瞳そのものです。可愛いです。印象通りに雌獅です。風獅婆と本当は呼ばなければいけません。中蘭村の環島北路の国道脇に東北方を向いて立っています。


 しかし細いなりに前足を踏ん張るこの姿は、霊験あらたかな石獅として知られ、風鎮めの威力だけでなく、かつて海賊の襲撃を撃退して村を守り、顕赫(けんかく)たる威霊(いれい)も轟(とどろ)きます。

 口中が紅いのは猛威を秘めている証拠です。ほほが紅いのもあるいは力んで紅潮しているのかも知れません。緋牡丹(ひぼたん)みたいな紅マントは女侠(じょきょう)そのもの、颯爽(さっそう)と勇ましいのです。

 そして女性ならではの慈悲もあり、子授けの役割もあり、中蘭村と下蘭村では婚礼の際に新郎・新婦が中蘭と下蘭の風獅にお参りします。ちなみに下蘭の風獅爺は雄獅です。たぶん彼とは仲がいいばすです。

 ところで東北方を向いているということは、五行説で北は黒色、東は青色で、金門島の風獅爺が青色であるのは、東方青帝に象徴される青なのではないかと思います。隣の小金門島の北風爺は、北向きなので尊顔が黒色です。

 フェイスブックの『狛犬さがし隊』で、丸山瑛示さんが、だからこの風獅は青龍なのではないかという解釈を出されましたが、獅子というより、青龍にみえるこの石像ですから、とくに胸の黄・紅のしましまなどは説得力があって、青龍のイメージが投影されていることが考えられます。

 東方青帝は漢代以来春を迎える儀式の祭祀対象で、風水説でも東側の地脈である青龍脈は、西側の地脈である白虎脈に対して高くしなければならないという優劣の原理があり、青龍脈は地脈のもつ気の汪溢を象徴します。青色は生命の息吹と旺盛さを表してもいます。

スラバヤ華人街(4)─歴史建築(2) 街屋いろいろ

ネオ・バロック式街屋
1311年と1893年とヒジュラ暦(イスラーム暦の太陰暦)と西暦を併記し、たぶんムスリムの店舗であっただろう古い街屋である。ペディメントに環状の月桂樹をあしらう。コーナー・ハウスのため、南側と東側にペディメントがある。

共同店舗住宅
半円型ペディメントを連ねており、1906年の竣工である。中庭を通じる囲み屋構成となっている。広場前のメインの建物がこれである。その向かいがなぜか養鶏場で、市場と合わせて買い物に便利。


オランダ式コロニアル街屋
オランダ式大型ペディメントを二つ並べた双子型街屋であるが、住人はムスリムであったらしく、月星に1331年とヒジュラ暦を記している。その西暦は隣に記す1913年である。

華人街屋
3連続する華人街屋で、福建南部式要素が濃いが、とくに袖壁を広く採り、ジャワ式木彫欄干とジャワ式桟瓦になっている。



 瓊林村はかつて平林村という位で、平地で東北風が直接吹き付けます。蔡さんが多い村です。環島北路の国道沿いに立つ風獅爺があります。その横は防空壕の入り口があり、戦時の遺跡として有名です。1949年以来土に埋められていたようで、そうやって生き残った風獅爺もあるのだなと思いました。それで長雨の結果空を拝んでいるのが見つかって、ふたたび立ったわけですが、その位置から現在の位置は前進しているのだそうです。
 

 この風獅爺は、オーソドックスな形態とされていて、代表的な風獅爺として知られています。189㎝の石彫りで、材質は花崗岩です。村の北側に東北向に立ちます。北・中・南と仲間たちで守ります。瓊林村にはこの他4尊の風獅爺がいて、一尊は民居の壁に石敢当とともに埋め込まれています。

 

 左手には神様から与えられた令旗を持ち、巻き毛で耳もこんもりしていて、目が離れていて、口が上向きに三日月に上がり、けっこう表情豊かで男前にも見えます。すらっとして長身で、足も流れるように筋肉が付いています。ちんちんは瓢箪形で上向きです。でもやっぱり首に鈴がついていて、可愛げもあります。



防空壕の入り口です

  

                    これはトーチカです

 風獅爺は月一日と十五日(旧暦)に線香を捧げますが、面白いのは祭日が中秋節(旧暦8月15日)で、この日は風獅爺の誕生日です。紅いマントを羽織らせ、湯圓だんごとかお菓子を空いた口に押し込みます。これを「虎口を塞ぐ」というそうです。

スラバヤ華人街(3) 
歴史建築(1)煙草博物館

煙草博物館
 インドネシアのたばこ産業は、丁字入り煙草が主流で、甘い香りは日本でも湘南のサーファーなどが愛飲している。バチバチはじけて服を焦がしたりするが、インドネシアに来た実感は、室内外に漂うこの香りであったりする。そうは言っても、私はたばこよりビンロウを噛む方が好きであるが、こちらの伝統的嗜好品を都会で入手するのは難しい。

        写真1.たばこ博物館正面

 1880年ジャワ島中部クドス(Kudus)で、メッカに行ったハジであるジャムハリ(Haji・Jamhri)という人が、胸の痛みを和らげるため丁字の吸引を考えてたばこに混合したのがはじまりといわれる。

      写真2.林と王の字が交差する玄関ステンドグラス

 グダンガラム(Gudang Garam・塩倉ブランド)・ジャルム(Djarum・蓄音機針ブランド)・とともに有名なサンボルナ(Sampoerna)たばこはスラバヤ華人の経営で、サンボルナが開設した博物館がある。会社敷地に工場と、社長の邸宅があり、邸宅をたばこ博物館として公開した。

    写真4.たばこ広告のための「吸っちゃえよブラザーズ」
 
 創業者林生地は福建南部系華人だ。1913年に会社設立。縁起担ぎにこだわり、たばこのブランドを「234」としたのは、合計して中国の無限数の9が縁起が良いからである。現在はフィリップ・モリス傘下でたばこ生産を続けている。


  写真5.「吸っちゃえよ!!。おいしいぞ!!」の誘惑

 1932年竣工のこの邸宅はいい意味で悪趣味を極めている。教養の欠片も窺えないところが素晴らしい。石組みとモルタルを併用した鉄骨2階建ての邸宅で、正面オーダーがたばこを模していたり、ステンドグラスが悪趣味な「林」「王(たばこ王の意味)」など、華人特有のキッチュな美的感覚を表現して、全体的には見事なチャイニーズ・グロテスク様式(私の造語)で好ましく思える。