4-3.ランパーン旧市街・カド・コン・ター(3)─歴史建築(1)

4-3-1.南邦本頭公廟 (Thanon Tipayachang)
門口上部まで歇山形(入母屋)屋根を張り出して、後ろの硬山式(切妻)屋根の本堂を組み合わせ、前面にカラフルな双龍の双柱を置いた均整のとれた廟である。潮州様式の廟堂スタイルを多分に継承している印象がある。「南邦」はランパーンの華語表記である。


4-3-2.水尾聖娘廟(海南会館)(Thanon Tipayachang)
竣工年代は最近のものであるが、龍凰の浮彫付円窓を左右にもつ本格的な中国南部様式の廟堂である。祭神の水尾聖娘は海南系の女神の一位で、チェンマイ海南会館も祭祀しており、ヴェトナムのホーチミン市チョロン華人街の海南会館でも祭祀される女神である。゜「サーン・ジャオ・メェー・タプチム」が「ザクロ母神祠」であるから、ザクロが多産を意味するため、子授けの女神として信仰されている。海南華人の子孫繁栄を、異国の地にあって願う心意なのだろうと思う。


4-3-3.モン・ゴー・シン(Mong Ngow Sin)(Thanon Tarad Kad)
西洋商人の店舗兼住居である。三角張り出し屋根が左右中央に均整がとれた形で張り出している。北タイ木楼住居としては、チェンマイのター・ペー通りのそれと近い構成で興味深い。屋根下の木彫・ベランダ上下木彫など、装飾などからビルマ建築業者の腕がよく表れている。一階が騎楼構成で、英国植民地建築の流れを感じる。木楼なのにアーチ形門扉と扇形まどの上部にキーストーン形の装飾を設けているところがユーモラスである。


4-3.ランパーン旧市街・カド・コン・ター

街並構成



ランパーン旧市街地図(拡大してご覧ください)

ワン川に平行するティパヤチャーン通り(Thanon Tipayachang)とタラット・カド通り(Thanon Tarad Kad)がチーク材街屋の並びで、この二本の通りを結ぶティパワン通り(Thanon Tipawan)はほぼ完全な木造街屋街である。ティパヤチャーン:通りの西側に海南会館と本頭古廟がある。タラット・カド通りが豪華な店舗建築が多く、川岸の碼頭空間に通じている。

    タラット・カド通りとティパワン通りとのT字路にある大型コーナーハウス
タラット・カド通りの街並
ティパヤチャーン通りの街景

4-3. ランパーン旧市街 カード・コン・ター
沿革

 モン族系のハリプンチャイ王国の王都はランプーンにありましたが、ランパーン(華語:南邦)はその副都でした。山地を越えて南下したワン川流域の盆地の街です。

 ランパーン旧市街のメインストリートは、ワン川南岸の商業空間のタラート・カオ通りで(Thanon Talad Gao)、別名カード・コン・ター(Kad Kong Ta)ともいい、「大市場」と訳されますが、中国人市場の意味もあり、華人街の要素もあります。華人商店が散見されますが、中国廟も近くに海南会館や、本頭公廟もあります。

 ランパーンは19世紀、タイの木造建築に使う建材のチーク材の集積地で賑わいました。
イギリス・英領ビルマの建材商が店を構え、華人商人も食品や生活用品の店を構えました。

 華人は得意な薬材も扱い、一部は今日も営業しています。泰・緬・英・中各様式が混在した建物に特徴があります。これは英国商人がビルマ人の建築職人をこの地に連れてきたためで、木造寺院などはビルマ式の建築技術で建てられています。

 1916年にランパーンに鉄道が通ってから、木材の輸送には鉄道が使われるようになり、水運の衰退でワン川沿いの街道も寂れていきます。市街には植木用の陶器を売る店が多いですが、陶磁器はこの街の主産業でもあります。

雲南ワ族の首狩り習俗─首籠と木鼓
 
 ワ族(漢字表記:佤族)は大陸東南アジアから雲南にかけて広く居住している南オーストロアジア語族・モン・クメール語派の民族です。:雲南省西南部瀾滄江・メコン河西側山岳地帯であるアワ山一帯に居住し、ミャンマー側では半独立国を作っています。
 
 中国のモン・クメール語派は、雲南省のみ居住し、ドアン族(漢字表記:徳昴族)・プーラン族(漢字表記:布朗族)・カム人(克木人・中国政府公認民族ではない。ラオスのカム族と同じ)(中国ではベトナム人であるキン族は、中国ではモン・クメール語派としない)。


ワ族の首籠と木鼓

 ワ族の伝統的習俗が濃厚に遺る西盟県のアワ山中では、1970年代までかつて首狩りの習俗がありました。かつては村寨は深い環濠(からぼり)と竹や茨の囲いが設けられており、村内と外界を結ぶのは、長さ10mに及ぶトンネル状の通路だけ今でも村の奥の森には村人が天神と交信するための木鼓(ワ族語:クロック)と竹製の首籠が立ってます。


岳宋村のご婦人。朗らかです。

  首狩りの理由は、天神と交信するための木鼓の霊力を高めるという理由と、陸稲など農作物の成長力を高めるという理由の二つの言い方がありますが、人魂を太鼓や作物に注入して霊力を高めるという点では共通した言い方であると思います。

 木鼓クロックは、山の大木を伐って卸して造る神聖な楽器です。災害・緊急時の信号伝達用でもありますが、宗教儀礼に使い、万物創造の主、モイックとの交信を行います。狩られた人頭はクロックが置かれた小屋に捧げられます。


ワ族の子供たち

  一方で陸稲の成長を促す首狩りの習俗の背景には、穀霊の観念があります。穀倉を空にしてはならないとか、穀倉を空にすると穀物の精霊が寄りつかなくなると言われていて、稲魂の信仰とも結びつきますが、「空飛ぶイネ」の伝承などが、雲南各民族にあることと通じます。
 
  首狩りはワ暦4月の播種前と収穫前の8月に首を狩るなどの時節があります。

 西盟県岳宋村は(87戸・328人・標高1215m)では、かつて首狩りが盛んな強い村で、負けたことがないそうです。「普通は4.5月の種播きのあとにします」といっていました。「首を狩らないと穀物が成長しない、それで首を狩るようになったのです」ともいっていました。


       アワ山の霧深い風景、向こうはミャンマー国境です

 中華民国期には、ビルマ側のワ族についての記録で、白人300ルピー、漢族で髭が生えていると200ルピー、髭が生えていないと90ルピー、タイ族・ラフ族は値段が付かないという言い方をみたことがあり、岳宋村では、首狩りは、周辺居住民族の漢族・タイ族・ラフ族の首は狩らないといっていました。マレビト的性格が高い白人の首が高いとか、髭が生えている首に価値があるというのは、注入する霊魂の質の問題があるのかなと思います。

 岳宋村では、髭が生えている首や髪が長い首は、価値が高いという。髪は頭に巻いてあるのて、たくさん髪が巻いている首がいいとのことでした。首を狩った本人が家でその髪を供物として先祖の霊を祀る棚に供える権利があるとのことです。
  
 ひょっとして観光化の意味もあるのかも知れませんが、今はやっていない首狩りですが、その風習として首籠や木鼓を敢えて村に遺していますし、水牛を生贄にして首を飾る習俗もあります。ワ族のアイデンティティーに今でもそれなりに大切な意味をもっているのではないかと思います。アワ山を訪問したある日本の人から、外部のテレビクルーが来たときに、村に良くないことばかり起きたことがあって、村人が、首を狩ってしまおうかというのを通訳が聞きつけて、慌てて撤収したなどという話も、最近あったとも聞きました。

お盆はじまる─雲南大理古城の「接祖」(チェイズー)行事

昨日は大理では盆の初日です。

冥界の扉が開いて、それぞれの家の先祖(大理漢語:祖先・ズーシィエン)が次々と戻ってきます。中国ではこれを中元節(大理漢語:ツュンユエンチェエ・ちゅうげんせつ)といいます。そのじつ盂蘭盆と意味は同様です。

大理盆地の漢族とペー族(漢字表記:白族)は、この期間を「鬼節」(大理漢語:クェイチェエ・ペー族語:クゥイチャー)といいます)。「鬼」(大理漢語:クゥイ・ペー族語「グゥー」)は死者がなるとされる霊魂をさします。

旧暦七月一日に先祖が帰宅します。この行事を「接祖」(大理漢語:チィエズー・白族語:チャーシー)といい、その間毎日食事を先祖の位牌(中国語:牌位・大理漢語:パイウェイ、ペー族語:シーグゥアベエ)に捧げます。七月十三日が新盆の死者に生活用品と生活費を燃やして送る日、七月十四日が一般の先祖に生活用品と生活費を燃やし送る日で、七月十五日に先祖は冥界に帰ります。

今日は先祖が帰る日ですから、まずは門の神様に線香を捧げて、先祖の帰る日なので、家に入れてあげて下さいと祈願します。時刻は日が沈んでからなので、午後8時半くらいです。

家族で門前に出て、「白香」(大理漢語:ベーシャン・先祖を祭祀する際の香料剥き出しの線香・神さまには「紅香」ホンシャンをを燃やす)と「白紙」(大理漢語:ベーツー・死者にモヤシ送る紙製の模造銭・神さまには「黄紙」ホアンツーを送り、色が違う)を燃やします。「お疲れ様です。家にお入り下さい」と唱えて家に入ってもらいます。迎え火のようなものです。最後にお酒とお茶を火のなかに投じます。


写真1.門前で先祖を迎える

家に入ってもらうために、たいまつをかざして先導とし、門を潜り、中庭を突っ切って母屋中央の部屋に入ります。ここは「中堂」(大理漢語:ツンタン)といって、先祖の位牌や遺影が置いてあります。先祖に線香を捧げ、茶と酒を捧げ、家族が一礼して先祖をねぎらう言葉を掛けて終わりです。

        写真2.紙銭を燃やしたあと、最後に茶と酒を掛けていますね。

今晩は異常死者たちの霊である「野鬼」(大理漢語:イエクゥイ・ペー族語イエグゥー)もたくさん漂っていますから、今晩は外に出てはいけません。お盆の間はるべく外に出ない方がいいのですが、大好きな屋台を我慢しないといけないのは、私自身は無理と思います。


写真3.簡単なたいまつですが、迎え火にして,家の中に招き入れます。

さて、これから毎日、朝・昼・晩と、先祖に食事を捧げます。これを「貢飯」(大理漢語:コンフゥァン)といいます。これは意外に忘れやすいです。一昨年亡くなった岳父は、これを一番気にしていましたから、どうあっても忘れるわけにはいきません。でも、今日が先祖を迎える日だというのを、家族が気づいたのが夕方になってからで、慌てて線香を買いに行ったくらいだから、どうかなぁ、という感じもします。


                   写真4.先祖の遺影に拝礼して終わりです。