今日の夕御飯「重慶烤魚」(重慶焼き魚)

昨夜甥の嫁が焼き魚をご馳走するという。東京に留学している姪が夏休みで一時帰国したから、奥さんらしく気を遣っている。

うちの路地の入り口に焼魚屋があって、だいたい鯉一匹焼いて100元=1600日本円くらいで、安くて美味しいと評判がいいのだ。

中国全土で焼き魚が流行っているが、これはシンガポールチャイナタウンでもたくさんの店が競い合っているくらいで、じつは華人社会にまで飛び火しているくらいだ。でもその味付けは長江三峡の万県の味付けと決まっている。

それであるから唐辛子と、クミンとごまをしこたま振りかけて、たくさんの野菜やこんにゃくなどをとともに、唐辛子の煮汁でぐつぐつ煮込んだものである。

「辛くなくしてもらったから大丈夫」と義姉がいうが、辛くないというのは彼女の舌の上の話であるから当てにならない。昨日が麻辣燙だったので、昨日の今日でなんとうことだと思うが、どうも日々の献立がまずいスパイラルに入っているようである。

辛くない部分を捜して、上に載っているピーナッツをつまむ。「辛い」。それでも三切れ位食べた。クミンが効いて香ばしいし、皮はパリパリだから美味しいのは理解できる。辛いのは予想できたので、水餃子を茹でてそれを主食にしておいた。

それでもこの料理が素晴らしいと思うのは、大理盆地の湖、洱海(じかい)の鯉なので、汚染の心配はないだろうということだ。その場で殺して、その場でじっくり時間を掛けて焼く。だから予約しないと食べられない。

中国各地の河川の汚染は、大部分に及んでいるから、美味しい淡水魚食べることができるというのは、幸せなことである

近年の中国漁船の海洋進出が激しい理由に、中国人が海鮮を一般に食べるようになったということがあるが、根底には淡水魚が汚染で食べられなくなったという理由が間違いなくあると思う。

姪が焼き魚を嬉しそうに食べながら、にこにこして私に、『今日もブログに辛くて苦労したって書くんでしょう。私が「いいね!」を押してあげますね』といってきた。私が食生活をネタにしているのは、とうにお見通しのようである。みんなが幸せそうに食べているから、まあいいかと思う。

猫のミーミーは寝ていたので魚にありつけなかったようだ。猫は辛いものは食べられるのだろうか。と思ったら食べられないらしい。

八人家族で一つ屋根の下住んでいて、グループが二つあることが判明する。一つは辛い料理が食べられるグループで、もう一つは辛い料理が食べられないグループ。後者の辛い料理が食べられないグループは、私と猫のミーミーの二人だけである。


本日の夕御飯、「麻辣燙」(マーラータン) 7/25

今日の夕食は麻辣燙(マーラータン)だ。

重慶火鍋をさらに通俗的にしたもので、串刺しにした具材を、唐辛子と牛油と、機雷のように無数に浮いた危険な花山椒の実の浮いたスープとともに煮込むのである。

もともと唐辛子をたくさん入れて食べる雲南の人は大好きだ。

猫にまたたびとはいうが、鍋に怪しい薬を入れて中毒させるという都市伝説は、四川・重慶・雲南どこにでも広がっている。

私は今日は家の人たちがお出かけだったので、一人で留守番して軒下で書き物をしていた。折良く10日ぶりで昨日から晴天で、キンモクセイが馥郁とした香りを庭中に発している。

だのに、持ち帰ってきたものはギトギトの唐辛子鍋である。家でも続けてぐつぐつ煮込むので、キンモクセイの香りも飛んでいく。

「食べられるわけないだろう」とかいってみたものの、まあまあということで、食卓に着く。申し訳ないと思ったのか、卵蒸しがおぼろ豆腐になって用意されているが、これは私用に辛くないものを一つ用意したのだ。

この家では私と甥だけが男性で、家内と義姉・姪・岳母・甥の嫁と、圧倒的に女系家族なので、立場が不利だ。甥は今日は夜勤で不在だ。昨日留学先の東京から帰ってきた姪が嬉しそうに食べているのが腹立たしい。

牛肉団子の汁の飛び出る奴・ランチョンミート・ウインナー(以上化学の味)・しいたけ・木綿豆腐・湯葉と食べていく、どれも毒々しく辛いコクがあり、喉を通ってしまうのだ。私だけオイスターソースをつけて食べるが、雲南の人に甘めの調味料は必要ないのである。デンプン麺(粉糸)だけは汁がこびりついていていやな予感がして食べない。ともあれ完食してしまう。

舌がすでに雲南の辛い味に馴らされていることに気づいて愕然とする。後に戻れない路をもう半ば以上来てしまったのである。

註記、以上「である」調で書いているのは、感情を押し殺して書いているからです(笑)。


今日の朝御飯-酥油糯米飯(スーヨウヌゥオミーファン)

 今日の朝ご飯はモチ米(糯米=ヌオミー)にヤクバター(酥油)を混ぜてヤクバター御飯「酥油糯米飯」(スーヨウヌゥオミーファン)で食べました。一般的には塩を掛けて食べるか、砂糖を掛けて食べるか二種類あります。

 


 私は醤油を掛けて、海苔で巻いて食べましたが、モチモチのモチゴメなので、お餅ち感覚で食べられるので美味しいです。周りの人たちか奇異な眼で見ていましたが、ヤクバターは 匂いがふつうのバターよりきついので、醤油で匂いを消した方がいいと思います。
次回は安倍川にしてみようかなぁと思います。

 モチゴメは雲南南部のタイ・ルー族のところで主食で、一日三回モチゴメです。これはラオス側でも主食です。


カワカブ峰を中央にした梅里雪山山系

 ヤクバターは、北上して雲南西北部のチベット族のところに行くと購入できます。チベット自治州と接する徳欽県の県政府所在地昇平鎮で購入したものです(迪慶州のシャングリラ県の高原や徳欽県の県政府所在地昇平鎮で海抜3500mくらい)。

 チベット自治区との省境辺りは、梅里雪山(最高峰カワカブ6,740m)があり、インドから吹き付ける季節風が山脈にぶつかって雪を降らせますので、山麓は良質の牧草地となります。

 大理はちょうど雲南の中央部にあって、南北交通路と東西交通路の交差する十字路に位置しますから、南のタイ族の食文化と、北のチベット族の食文化がちょうど大理盆地のペー族(漢字標記:白族)・漢族の食文化で融合して、酥油糯米飯があるのだなと思います。
 大理の中国北伝仏教の聖山鶏足山(けいそくざん)は、チベット族にとっても聖地の一つで、巡礼に来る人がいますし、タイ族の信仰する上座部仏教の仏寺の北限は、大理と同じくらいの緯度にある西側の保山盆地にあります。

 ちなみにバター茶の南限は、大理盆地から少し北上した剣川盆地で、現地のペー族は囲炉裏で生活しますから、バター茶は囲炉裏のあるところまで普及することがわかります。
大理でもバター茶はときどき飲みます。これまた茶葉は南部のタイ族・中部の白族が生産し、チベット族のヤクバターで食べるという南北の民族文化が浸透した飲み物です。

チェンマイ・チャルンラート通り(3)
歴史建築
鴻記
チェンマイ華人街屋を代表するもので、切妻式(華語:硬山)の屋根は、広東省に普遍的に見られる様式である。洋風柱型があり、中央門上に漆喰匾額枠で「永源・鴻記」と商号を記す。左右に福・禄・寿三神を描いた漆喰装飾があり、濃厚な中華風味であるが、じつは平面は二棟の切妻家屋を中庭を夾んで並べたもので、合院ではない。



双獅が押さえる漆喰匾額

匾額向かって右隣は福・禄・寿三星

匾額向かって左の漆喰レリーフは、どうも財神の前に車で宝を納入する招財進宝図らしい

オリエンタル・スタイル
煉瓦+木材構造で、一階に五開アーチを設けた騎楼構成になっている。都市計画のありかたなどがシンガポール・マレーシアなどと異なるため、タイで騎楼をみることはバンコクでも少ない。旧市街城壁内部のラーンナー建築センター同様、北タイで典型的な一階洋風、二階現地様式の建物であって、ラーンナー・コロニアルスタイルの騎楼版として面白い。.軒を支える騎楼柱は木柱で、北タイ木楼街屋独特の仕様である。

ヴィラ・シニ
オリエンタル・スタイル同様、一階洋風・二階北タイ様式の木造騎楼である。二階も鎧戸であるから、コロニアル風の印象が強い。一階軒下の飾り版は他のものと比べてとくに聖地である。


チェンマイ・チャルンラート通り(1)
沿革
  チャルンラート通りは、チーク材建築の街並が遺り、現在でも国際色豊かな通りです。チェンマイが北タイで西はミャンマー、東はラオス、北は中国雲南省・南はチャオプラヤ水運を通じたタイ中部の王都に通じたアジア十字路にあることがよく分かり、雲南=タイ北部=ビルマ交易路の繁栄の面影を遺します。20世紀以降鉄道によって水運にとってかわり、チャルンラート通りも衰退していき、鉄道駅周辺やターペー通りの繁栄に取って代わられていきます。



チェンマイ・チャルンラート通り〈2〉

街並構成
  チャルンラート通りは、チーク材をふんだんに使ったタイ北部様式の街屋群や中国式街屋とあわせて、こちらも貴重な街景となっています。中国商人や、英国木材交易商が店を構え、ピン川に直接各商家の碼頭があり、貨物船が付けることができました。

                             地図です。拡大してみてください。

 ショップハウスにはビルマ人建築業者の細かな技術を窺うことができ、チーク材街屋は、じつはビルマ様式・英国様式・中国様式・タイ様式が混在しています。タイ様式も伝統的にチーク材の高床式街屋ですが、ビルマ人の建築業者は装飾に優れ、華麗なアーチの木彫などに作品をみることができます。

 また中国広東省様式に近い切妻式中国建築が遺ります。 チャルンラート通りの教会やマスジット、あるいはチャルンラート通りの寺院であるワット・ケート・カーラム裏手の路地を奥深く入った料理店街にあるムスリム料理屋・雲南料理屋・ビルマのシャン族(広義のタイ族系)料理屋の並びからは、西洋商人やムスリム商人・雲南商人の往来の跡を窺い知ることができます。