昨日、藤子不二雄A先生ご逝去の報道が流れました。A先生と云えば、怪物くん・忍者ハットリくん・プロゴルファー猿など数多くの人気作品を生み出されて来ましたが、自分がまだ小さい頃はF先生が描かれたドラえもんに夢中でした。1979年頃、現在も続く長寿アニメのテレビ朝日版ドラえもんがスタートして以来、80年代以降は藤子不二雄アニメが多数放送されました。藤子不二雄作品のアニメは、それ以前にも放送されていましたが、火曜日19時からの藤子不二雄ランドとしての放送枠は多分に裏番組のサザエさんを意識していたのではないかと思います。プロゴルファー猿も初めてアニメ化されたと思います。
しかし、A先生作品を一躍有名にしたのは、1989年にTBSが社運バラエティとしてスタートした、Give me a break(ギミアブレイク)の中のコーナーで放送された、笑ゥせぇるすまんのアニメでしょう。大平透さんと云えば、ハクション大魔王やゴレンジャーなど初期戦隊物の絶叫ナレーション😆のイメージが強かったですが、今では喪黒福造のイメージがまず念頭に浮かびます。
そんな、笑ゥせぇるすまんに見られる、所謂ブラックユーモアを漫画で表現されていたA先生。
昨年、そんなA先生の作品について自分もブログ記事をアップさせていただきました。
この魔太郎がくる‼︎のヒットを受け、翌年からは週刊少年チャンピオンにて、ブラック商会変奇郎も連載されましたが、その当時は前述したようにドラえもんや、オバケのQ太郎に夢中だったので読む事はしていませんでしたが、80年代後半にフジテレビ系列で19時半から放送されていた、月曜ドラマランド枠で放送された、藤子不二雄の夢カメラを観てから、一風変わった藤子不二雄作品に魅了されました。夢カメラは藤子・F・不二雄先生の作品ですが、F先生も異色短編集などで、ゾクっとするような作品を多数発表されています。
魔太郎が来る‼︎では、単行本未収録作品が存在します。
出典 出版社・秋田書店 週刊少年チャンピオン1975年46号
魔太郎が来る‼︎最終回直前に描かれた、魔太郎の生い立ちというエピソードです。
このエピソードは、魔太郎が来る‼︎本編とは切り離された内容の為か、連載に合わせて発売された少年チャンピオンコミックスにも収録されていません。確か何かの本に一度掲載された事があるようなので封印エピソードではないと思いますが、現在も初出となる週刊少年チャンピオン以外では読む事が難しいエピソードです。
ここではA先生、F先生のみならず、藤子スタジオでアシスタントとして働いている方々も登場しており、漫画に加え写真をコラージュして画面構成されている、まさに異色エピソードです。
出典 著者・藤子不二雄(藤子不二雄A・藤子・F・不二雄) 作品名・魔太郎が来る‼︎ 出版社・秋田書店 週刊少年チャンピオン1975年46号所収
A先生、F先生の実体験が回想形式で描かれているばかりでなく、2人の出逢いから魔太郎が来る‼︎の原形モデルとなる漫画製作に至るまでの経緯などが纏められた貴重なエピソードとなっています。
A先生もF先生も自分の父親と同年代であることから、まるで父親を亡くした時のような寂しさを感じます。自分の父親は1986年に52歳で他界しました。F先生も1996年、62歳の時に他界されましたが、それ以降もA先生は精力的に活動されて来ました。まずはお疲れ様と言いたいです。
天国でF先生と再会され、また新しい漫画を2人で描いて欲しいな等と思い耽ってしまいます。
これまで数多くの喜びを有難うございました。ゆっくりお休み下さいね。