魔太郎がくる‼︎ 初期封印エピソードに見る作品の本質 | よもやま雑記噺

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今回の記事に入る前にこれだけは書いておきたいと思う事がありましたので、まずはそちらを書かせていただきます。

小山田圭吾氏の一件です。お恥ずかしながら自分は小山田氏を存じ上げなかったので、どんな方なのか調べてみますと、えっ?自分と同学年?という事に驚いてしまいました。同学年であるならば、敢えて強く書かせていただきます。本質は昔から変わっていないんじゃないの?94年から95年のインタビュー記事の内容を考えても、一端の社会人が話す内容ではないだろうと。今の世の中、過去の過ちが糾弾の対象になり得る時代である事を考えれば、このインタビュー記事を武勇伝のように語った事が彼の本質である事は間違いなく、きちんとした身辺調査を行う事なく適材適所とは言えぬ人選と自らを律する事なく安易にオファーを受けてしまった事が世界にマイナスイメージを拡げてしまった責任の重さは十分に反省すべきと思います。

自分は基本サービス業なので人が休んでいる時に働くのが当たり前と思っているので、オリンピックには殆ど関心がありませんが、それにしても今回の東京オリンピックはガタガタですね。参加する事に意義があるという精神から、いつしか大きな利益を生み出すビッグビジネスと化してしまった現在のオリンピック。選手には何の責任もないのですから、それぞれのポテンシャルを最大限に発揮出来るような環境作りに努めていただきたいものです。

間違っていたら申し訳ないのですが、先の小山田氏の画像が報道番組で流れた際、今回取り上げる、魔太郎がくる‼︎の単行本を手にしているものがあったように思いましたが、それらの事から今回の記事を挙げようと思った訳では全くなく、また自分自身、イジメや虐待といった行為に対しては絶対に認めも許しもしないというスタンスである事は明確に意思表示しておきたいと思います。

前振りが長くなってしまいましたが、藤子不二雄先生が1972年に週刊少年チャンピオンに連載をスタートさせた作品が【魔太郎がくる‼︎】です。

出典 出版社・秋田書店 週刊少年チャンピオン1972年30号



近年の少年漫画雑誌では新連載作品は巻頭オールカラー、表紙全面を飾るのが通例なようですが、この当時は大御所と言えど、そんな事はないようです。しかも2作品同時新連載となっています。

魔太郎がくる‼︎は連載当時、出版元である秋田書店から少年チャンピオンコミックスとして、全13巻が発売されました。


カテゴリーは怪奇コミックスとなっています。連載間もない頃のブラック・ジャックは恐怖コミックスでした💦🤣。

さて、このオリジナルの単行本である少年チャンピオンコミックスなんですが、週刊少年チャンピオン連載作品の中で収録されていないエピソードが5話あるそうです。ですが、1987年に中央公論社から発売された、藤子不二雄ランドの魔太郎がくる‼︎で、少年チャンピオンコミックスに収録されなかった5話の内、4話は収録されたそうなので、この2つを持っていれば、魔太郎がくる‼︎は、ほぼ網羅出来たと言えるのではないでしょうか?

藤子不二雄ランドは、中公文庫コミックスとしても発売されているので、そちらの方が入手し易いかもしれません。

問題は、この1987年以降に出版された、魔太郎がくる‼︎は世情に合わせたものか、オリジナルの単行本に掲載されていたエピソードの中で問題があると思われる作品の大幅な削除や描き直しが行われています。そんな中でも作品の削除が最も激しいのがオリジナル単行本第1巻です。


オリジナル単行本の目次を見てみると、10作品が掲載されていますが、1987年以降に出版された、魔太郎がくる‼︎では、このうち、第1話 うらみはらさでおくべきか、第2話 鉄のキバがひきさいた夜、第9話 ねじれた心にはねじれた顔の3作品のみが掲載され、それ以外の話は全部削除されてしまいました。その理由は魔太郎の復讐の仕方が現実味を帯びていたり、残酷な描写が目立つというものではないかと思われます。

また表現の一部を改変されたコマもあります。第1話で見てみると



上がオリジナル単行本、下が中公文庫版ですが、魔太郎が殴られた際の描写が異なっています。オリジナルではかなり鼻血を出しているのが分かります。また殴られた瞬間のコマの魔太郎の顔の描写も異なっています。



また復讐を実行した際の描写も白黒反転されています。オリジナルを見てみると魔太郎が殴られた際の描写と復讐を実行した際の描写に共通性があるのが分かります。



台詞の改変では、オリジナルでは魔太郎が自分の事を「あなたの息子である」と表現しているのに対し、「善良でおとなしい、この私が」と訂正されています。オリジナルでは第1話から魔太郎が一緒に住む両親の実の息子ではない事が明確に示唆されています。

次にクライマックスにおける描写の改変が最も激しいのが、第2話です。


まず改変後の描写を見てみます。


魔太郎がうらみ念法でショベルカーを怪獣に変え、復讐相手に襲う描写になっています。

ですが、オリジナル単行本では、こうなっています。


この2つの表現が異なる意味は果たして何であるか。それはこの前のページを見れば分かります。


左が雑誌連載時のもの、右が改変後のものになります。魔太郎の表情一つ取っても印象が全く異なります。

つまり、右の改変後がこれから復讐に取り掛かる前段階であるのに対し、左のオリジナル版はこのページで既に復讐が完結している事を意味します。細かい描写の必要がなくとも魔太郎が何をしたかは明白です。その凄惨な結末が先程掲示した最終ページの意味となる訳です。

しかし、ここで面白い事があります。オリジナル単行本の最後の1コマが雑誌連載時とはまた異なっているんです。それがこちら。


初期魔太郎の特徴として、最後の1コマが次の話に繋がる演出がなされています。ここに登場するフーテンは第3話の犠牲者となる訳ですが、オリジナル単行本の場合、第3話も普通に掲載されている訳で最後の1コマを変える必要性はありません。オリジナル単行本の最後の1コマに流用されたと思われるのが、こちら。

出典 著者・藤子不二雄A   作品名・魔太郎がくる‼︎   出版社・秋田書店 週刊少年チャンピオン1972年31号・少年チャンピオンコミックス第1巻  中央公論社 中公文庫コミックス版第1巻



第3話の一部ですが、このページの最上段のコマが流用されたと思われます。

考えられるのは魔太郎が自分の犯行(敢えて、こう書きます)の証拠が完全に隠蔽出来ていることを確認する程の冷徹な面を強調したという事でしょうか。

オリジナル単行本第1巻の他の削除されたエピソードには、この第2話のような凄惨な復讐が繰り返し描かれています。この事から考えるに作者である、藤子不二雄先生は魔太郎を孤独でダークなアウトローヒーローとして描こうとしていたのではないかと考えられます。魔太郎が連載された当時、テレビでは木枯し紋次郎が流行っていました。正統派ではないものに対する憧れや不条理に対する無法な報復。これが連載初期の魔太郎に託された思いだったのかもしれません。しかし連載が続くにつれ、魔太郎のキャラクターや魔太郎を取り巻く環境も少しずつ変化していきました。それに伴い、魔太郎念法の内容も変わって行く事となります。そうなると逆に初期の凄惨で残酷な描写は封印せざるを得なかったかもしれません。作者に何の意図も無いとは言え、勝手な解釈で模倣犯行が起こらないとは言えないからです。

少しずつ軌道修正しながらも3年にも渡る長期連載に到った魔太郎がくる‼︎ではありますが、その原点はあまりにも現実味が強く、刺激の強い内容であった事を知る事は作品を楽しむ上でも重要な事ではないかと思います。

勿論そういった行為は絶対に許されるものではないことを反面教師の様に再確認する事も大切な訳ですけどね。