あのモーセ路程において、
レピデムで水を飲んだことが後々の摂理において、
それが基盤となっていたということを誰が知ることができたであろうか。
原理を聴いている立場においても、果たして、それが条件となっているということは、
自分としては断定できない。
よって、「原理」を知らない者が、どのようにして、そのような内的な条件があるということを見抜くことができたであろうか。

この「レピデムでの摂理」などは、とても原理においては微妙なところというか、
ただ教え示されるままに受け入れるしかないところである。

モーセの磐石二打がなぜ罪となったのか。これに関する解釈も人智を超えている。
事実、これまで、これを見抜いた人はいない。
あるいは、それらしいことを考え付いたことがあるかもしれない。
が、しかし、その人の解釈は基盤を得てメジャーになってはいない。

このようなことは他にもたくさんある。

イエスが何故、洗礼ヨハネから洗礼を受けたのか。
それはそれまでの基盤を引き継ぐためであった。
そんな観点で、このことを読み解いた人はいない。

御霊が「鳩」のように降りて来た、「見よ、神の小羊」、
そして、成約時代は「牛」の時代だ。
このように新約時代と成約時代が、アブラハムの象徴献祭と関連している。
アブラハムの象徴献祭は、供え物の個数としては五つであるが、
それを三段階のものだとしているのが「原理講論」である。
一体、どこの誰が、そのような観点を持ち得たか。

私たちは、無知なのである。
決して、「原理講論」に表わされた「統一原理」を思いつかないのだ。
そのような者が、安易に、み言を組み合わせて、何やら、
自分の意見を構築してはならないのである。

私たちは、謙虚にならなければならない。
傲慢に、サタンが相対するのである。

少なくとも自分は何も知らないのだ。自分は「霊界」の実相を体験的に知る
ことができていない。
霊界の実相なるものをありありと体験的に知っている者は、どうだろう、
ほとんどいないのではないか。
霊界のことを教示されても、それを信じる他はないのだ。

私たちは、謙虚にならなければならないと思う。

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筋肉
〔1〕骨格筋
〔2〕心筋
〔3〕平滑筋
(筋肉は、つくっている細胞のようすや働きによって、3種類に分かれる)


〔1〕手根〔しゅこん〕…手首の部分
〔2〕中手〔ちゅうしゅ〕…手のひらと手の甲の部分
〔3〕


〔1〕足根〔そっこん〕
〔2〕中足〔ちゅうそく〕
〔3〕

血球(血液の固体部分)
〔1〕赤血球…体じゅうの細胞に酸素を運ぶ
〔2〕白血球…細菌とたたかう
        ①顆粒球
        ②リンパ球
        ③単球

〔3〕血小板…血しょうと一緒に傷口の出血を止める
(赤血球、白血球、血小板…それぞれが一つの細胞で存在する、いわゆる「単細胞」である)

ヒトなどの哺乳類の体液
〔1〕血液
〔2〕組織液
〔3〕リンパ


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「イエス路程」の「第一次世界的カナン復帰路程」で、

「しかし、エリヤの全体的な使命は、全部が全部は成就できなかったので、この使命を完遂するために、彼は再臨しなければならなかったのである(マラキ四・5)。このように、エリヤが果たし得なかったサタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシヤの道を直くするために(ヨハネ一・23)、エリヤとして来た預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ一一・14、マタイ一七・13)。」

とあるが、この「メシヤの道を直くする」を問題にする。前に「原理講論和訳研究28」でも取り上げた。「直くする」は電子辞書にない言葉である。だから、「真っ直ぐにする」と訳した方がいいのでは。

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人間が産まれる時の体重が3000gだといわれているが、
これも「三数」の例になるのだろうか? 

そのときの細胞の個数は、約三兆個

未熟児集中治療室に運ばれた未熟児も
三日間を乗り越えれば大丈夫だという。


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「イエス路程」の「第一次 世界的カナン復帰路程」の「信仰基台」に次のような訳文がある。

「このように、エリヤが果たし得なかったサタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシヤの道を直くするために(ヨハネ一・23)、エリヤとして来た預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ一一・14、マタイ一七・13)。」

この文の「直くする」は、他の個所と同様に「真っ直ぐにする」と素直に訳しておきたいところだ。


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(答)白

「手」について、次のみ言がある。
「この手を見ても、指があって爪があり、さらに白いところがあります。すべて
三段階になっています。全部がそうなっているのです。」[二世の道p84]

「指」も三段階になっているという。
関節によって三つの部分になる。
「指も折り曲げてみると、このように一・二・三です。」[二世の道p85]

「肺・胃・心臓」も三段階とみる。
「肺、胃、心臓、すべてのものが三段階でしょう? 器官も三段階になっているというのです。歩くのも三数になっています。一、二、三です。いつでもそうなのです。上、中、下も三段階であり、左、中、右も、前、中、後もすべて三段階です。」
[『真のご父母様の摂理観的責任完遂』1999.12.26(聖)米国・
ニューヨーク州・ベルベディア、ファミリー2000.2月号p76下段]

「肺・胃・肝臓」で三段階ともみる。
「内臓にも、肺・胃・肝臓があります。すべて秩序整然として、このように天地の原理が人間という一つの存在の中に皆入っているのです。」[二世の道p85]


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人間の射精時の精子の数は、約三億である

その後、三つの関門があるという

第一の関門は、正常に泳ぐことができない精子は、
子宮頚管にある粘膜を通過できない

第二の関門は、白血球が精子を攻撃するという

第三の関門は、百個以下になった精子は、皆で協力
して、卵子のバリアである顆粒細胞をうち破る

そして、最初に打ち破った一匹だけが通過でき、卵子と合体できる
よって、競争率は三億倍である

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神の被造物において、最後に創造されたのは、「エバ」であった。
しかし、構想の順序はその逆だとのことである。
まず、エバを構想し、そして、その他の被造物を構想したと、
「原理本体論」講義を通して私たちは教えていただいた。

なぜそうしたのかと言えば、一番創造したかった存在が「エバ」であったからだ
とのこと。
エバは、一番先に構想され、そして、実際の創造は最後ということ。
もしそうなら、エバは特別な存在であったと言ってもいいのかもしれない。

そして、「原理講論」においては、「男性国家」「女性国家」「天使長国家」という
言葉が登場する。
これが天の観点であるというのである。

「み言」にはその類の言葉がたくさん語られている。

ならば、「原理講論」で「女性国家」とされる日本、
また、その他の「み言」で「エバ国家」「母の国」とされる日本。

この日本は世界の国々の中で、特異的な国であるかもしれない。

なぜなら、「エバ」だから。そして、「エバ」は一番創造したかった
存在だから。

もしそうなら、日本食口に願われることと、日本以外の国の食口に願われることに、
何か違いがあって不思議ではないかもしれない。

果たして、このような見方は正しいのかどうか。
正しい、あるいは、正しくない…。これに関しては、ただただ、推量するしかない。

私たちは、常に謙虚になって、自分にははかり知れないことがあることを良く知って、
軽々に判断してはならないと思う。


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「統一思想」は、本然の世界には「秩序」があるとする。
この堕落世界でも、「父母」「夫婦」「兄弟」と言うのであって、
「母父」「婦夫」「弟兄」とは言わない。

人類最初の家庭において、
「夫婦」は「アダム・エバ」、「兄弟」は「カイン・アベル」である。

だから、信仰生活講座としては、
「アダム・エバ問題」であり、「カイン・アベル問題」と表現すべきである。

父母様のみ言でも「カイン・アベル」と表現する。
(圧倒的に「カイン・アベル」の方が多い)

ところが日本統一教会では、不思議なことに「アベル・カイン」という。
今は少しは改善された感がするが、昔はずっと「アベル・カイン」と表現した。
これはこの「カイン・アベル」問題に対する間違ったとらえ方の現れかもしれない。

「原理講論」には「実体基台」造成の成否は「カインの絶対服従」がポイントであると書かれていると理解されがちであった。
しかし、「原理講論」には「ヤコブ路程」が詳しく取り上げられ、その勝利的な歩みが解説されている。それに比して、「エサウ路程」は取り上げられていない。


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まず、「特異性」とは「事物にそなわっている特殊な性質。特殊性」の意。
「エリヤの再臨」については、「原理講論」では「メシヤ論」で取り上げられる。
そして、洗礼ヨハネが何故「エリヤの再臨者」になったのかは「復活論」で解説されている。
その預言者エリヤは「特異性」をそなえていると思う。
即ち、他の預言者と比べて特異的な預言者であるとの認識が深めておいたほうがいいのだと自分は考えている。
何故なら、エリヤが「特別預言者」((一)エリヤの再臨を中心とするユダヤ人たちの心的動向)であるから、そのエリヤの再臨者とされる洗礼ヨハネがとった行動を大きく問題視することができるのではないか。自分としては、エリヤの特異性をしっかりと認識する作業が大切であった。
(メモ:韓国語で「特別預言者」は「특별선지(特別先知)」と表現する)

エリヤの特異性を以下に列挙してみよう。(しかし、これはどこまでも私案である)

[1]「神殿理想」回復のためのサタン分立をなすために最初に送られた預言者
神は「国王を中心とする神殿理想」回復を目指して、内的サタン分立をする
それが、預言者を通しての内的刷新である
その先駆けがエリヤであったのであろう

[2]奇跡を使った預言者
雨を降らせない(3年半)…王上17:1王上18:1ヤコブ5:17
異邦人のやもめに尽きることのないパン粉と油を与える<シドンのザレパテ>
そのやもめの息子を死から蘇生させる<シドンのザレパテ>

[3]神の山ホレブ(=シナイ山)で神と出会う

[4]死を見ないで天に挙げられた二人のうちの一人
①一人目が「エノク」
創5:24に「エノクは神(「エヒロム」の訳)とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。」とある。エノクはノアの曾祖父(=ひいじじ)である。
「神が彼を取られた」「いなくなった」と書いているだけで死に対する記述がないというのである
ヘブ11:5「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。」
○偽典「エノク書」の存在。これは、エノクが「神に取られた」後の驚嘆すべき人生を伝える書物
②二人目が「エリヤ」
王下2:7~14「…彼らが進みながら語っていた時、火の車と火の馬があらわれて、ふたりを隔てた。そしてエリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。」
ここにも死に関する記述がないというのである

[5]預言者マラキの預言の存在
   メシヤが地上に現われる前にエリヤが遣わされる

以上[1]~[5]より、ユダヤ教ではエリヤはモーセ以後の最大の預言者とみなされてきた。
だから、当時のユダヤ人にとってはエリヤは特別な預言者であった。

更に、上記の[1]~[5]に、キリスト教信徒たちからの観点を加えると、…

[6]イエスは「変貌山」で変貌されたとき、「律法」の代表者としての「モーセ」と、「預言者」の代表者としての「エリヤ」と会談した
エリヤは預言者の代表者だと考えているキリスト教信徒が多いのだろう。

以上[1]~[6]から、エリヤの特異性をしっかりと認識することができると思う。


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