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み言からの引用です。

「原理が明かされるまでは、数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義について知る者はなく霊的には暗闇に覆われているかのような世界でした。そして、その闇の中に昇った明るい太陽のごとくに現れた先生は、陽光が万物にくまなくさし通ってすべてを照らし出すごとく、すべての宇宙の原理を詳細に明かしました。今や万人が、真理の光に照らし出された神の真の像と、歴史の真像を知ることができます。先生は、真理を理論的に解明しただけではなく、真理に生きた人です。実人生における体験を通して宇宙の真理を知ることができました。そしていち早く、その原理を知ってここにいるあなた方は、いわば霊的エリートといえるかもしれませんが、事実は特別な啓示を受けたわけでもなく、人並み優れた高い良心基準をもっていたわけでもなく、別段エリートらしき何ものもない、たまたまそこに居合わせた見物人のような立場でありながら、どうして幸運にもここに来ることができたのでしょうか。それは原理自体の力によるのです。原理には、神の直接の啓示はるかに勝って、人間を指導し造りかえる偉大な力がありますから、原理を知ること自体が、啓示や高い良心基準の役割を果たしたのです。しかしながら原理自体の力によって引き上げられて、知的に原理を理解してきた者が多いために、啓示を受けた人々が無条件に神に従っていくのに比べて、あなた方には何事につけ、あまりにも理屈で考えすぎる傾向があるようです。先生の指示に対して無条件に反応するというより、「従うべきかどうか」と考えてしまうというのです。とにかく何のゆえにかたまたま、幸運にも先生と巡り会ったことによって、あなた方の上に大きな変化が起こり、あなた方は急に献身的な信仰生活を送るようになったわけですが、それも原理の力によって、あなた方の心の中に何か奇跡的な内的変化がもたらされたからこそ喜んで献身生活のできる人間に変えられたのだといえます。」[『創立以前の内的教会史』1977.5.1、NY・ベルベディア、御旨と世界p593、594]


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「メシヤ再臨準備時代」の「政治、経済および思想の成熟期」、更にその中の「三権分立の原理的意義」で、

「創造原理で明らかにしたように、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。」

この中の「脊髄を中心として末梢神経を通じて」は、原文直訳は「脊髄を中心とする末梢神経を通じて」である。

「척수(脊髓)를 중심한 말초신경(末梢神經)을 통하여」


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み言に次のようなものがある。

「宇宙森羅万象の位置は、三点を基盤に運動を継続することによって
存続しているのです。三点を通過せずには完全性永遠性はない
のです。」[祝福と理想家庭Ⅰp61]

物体は最小限「三点」で支持されたとき定着する
これは「三数」が「安定性」や「永遠性」に通じているということであろう。

ならば、次のようなものもその類の例になるのか。

■天使に三人の「長」が立てられていると「統一原理」は主張する。
ルーシェル、ガブリエル、ミカエル
この「三天使長」は人間の支えになるはずであったのであろう。
人間の心の機能を「知情意」の三つの分ける考え方がある。
これに関しては既に投稿した。
その人間の心の三機能に対応する「天使長」が、人間を支える基盤と
なるべく、あらかじめ創造されていたというのであろう。
(知情意のバランスある成長のために?)


「知の天使長、情の天使長、意の天使長」と講義で紹介する人が多い。
(ただし、「ルーシェル」(ルシファー)という固有名詞だけは聖書に出てきてない)

■イエスにも「三弟子」がいた
ペテロ、ヨハネ、ヤコブ

<おまけ>
さらに、例の三蔵法師にも「三弟子」がいた。
孫悟空、八戒〔はっかい〕、沙悟浄〔さごじょう〕
だ。これも「三数」の例になる?


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「メシヤ論」では「洗礼ヨハネの不信」を主張している。

「統一原理」以前の解釈においても「洗礼ヨハネの不信」を認めていないことはない。
それは、例の、獄中から自分の弟子を通してイエスに質問させているところを根拠として、
洗礼ヨハネはイエスに対して不信感を持っていたのだとしている。
「来るべき方はあなたなのですか…」という聖句である。

ところが、ヨハネがなぜそのようにイエスに対して疑念を持ち始めたのかと言えば、
それはヨハネが思ったようなメシヤではなかったのだと説明されている。
それもあるのかもしれない。

では、ヨハネはいつからイエスに不信感を持つようになったのか。
ヨハネはイエスに洗礼を授けた。その後、時間をかけて次第に不信感を持つようになったのか。

不信感をいつ持つようになったのか、それは、詳細には、分からない。
ヨハネはかねがね、「あとから来るお方」はとても尊いお方であると語っていた。
ヨハネがイエスに洗礼を授けたところで、イエスこそ、その「あとから来るお方」であると発言した。
しかし、彼はそのお方共に行動しない
そのことは、サタンが神の前にヨハネを訴えることができる条件が成立してしまったのだ。
ヨハネのイエスに対する態度は、イエスに対する不信の表れであるから。

これらの点を踏まえて、聖書に掲載されていることをまとめておく。

○イエスが洗礼ヨハネのもとに行かれた。洗礼を受けるためである。

○洗礼ヨハネはイエスに洗礼を授けたが、イエスを不信した。

○イエスは洗礼ヨハネの失敗を蕩減復帰するために、ヨルダン川下流
から荒野に行った。40日断食をするためである。

○そして、イエスは、再度、ヨルダン川下流に帰ってきた。
そのイエスの姿を見つけて、洗礼ヨハネは「見よ、神の小羊」との証しを
したのであるが、しかし、その前日、彼は決定的な罪を犯していたので
ある。それが「自分はエリヤではない」との発言である。

しかし、このヨハネの失敗を今まで指摘されて来なかったのである。
むしろ、ヨハネは謙虚な人格者であるとの評価を与えて来た。
決して、自分を誇らず、「自分はメシヤでも、エリヤでも、あの預言者でも
ない」と語ったのは彼の謙虚な人格の現われであると。

「彼は栄え、私は衰える」との発言も、イエスを際立たせるために、ヨハネは歴史の舞台から消え去らなければならないのだ、それこそ、歴史的必然なのだ…
このようなものが今までの解釈であった。

「原理」は、ヨハネがイエスに洗礼を授けた直後の彼の行動から、ヨハネのイエスに対する不信を指摘する。
これはあってはならないことであると主張する。
ヨハネのこの行動、そして、「自分はエリヤではない」と言い放ったその発言…。
この行動発言がイエスが十字架にかかる大きな要因となったとする。

このことを、更に、深く考察するためには、「講論」のエリヤのことを「特別預言者」と記されているが、その「特別性」「特異性」を認識しておかなければならないと思う。
預言者エリヤはいかなる意味で「特別」であったのか。
それに関しては、既に投稿した。


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既に投稿した
「基元節にむけての世界会長メッセージ(2013年1月16日)」の復習 
でまず概観をつかんでおいて、以下の詳細を読んで下さい。

〔1〕霊的天使長(ルーシェル)と肉的エバの堕落(結婚)…最初の堕落、そして、最大の堕落
(亨進様)
「最初の堕落は霊的サタンとエバの間でおこりました。霊的サタンとエバの結婚です」

〔2〕肉的アダム(第一アダム)と肉的エバの堕落(結婚)…第二の堕落
(亨進様)
「第二の堕落は肉的アダムと肉的エバの間で起きました」

〔3〕イエス(第二アダム)と花嫁の結婚できず…摂理失敗
(亨進様)
「三度目はこれは堕落ではありませんが息子であるイエスの結婚を通して、真の生命、真の血統を出発できなかった神様の哀しみがあります」

     ↓

再臨主の路程
〔1〕真のお父様(第三アダム)と花嫁の結婚…一回目の聖婚(1960年4月11日)
(亨進様)
「1960年の御聖婚はキリストが勝利して花嫁を迎えたという意味をもっています。ですから真のご父母様の摂理がそこから出発しました。そこから数多くの宣布が出されたことを我々は知っています」

〔2〕肉的アダムと肉的エバの結婚…二回目の聖婚(2003年2月6日)
(亨進様)
「そして2003年に再びご父母様は御聖婚なさいましたが、この時お父様は肉的アダムの立場で肉的エバとしてたたれたお母様と御結婚されたのです。それによって第二の堕落を蕩減復帰したのです」

〔3〕霊的アダム(霊界で神と一つになられた霊人)と肉的エバの結婚…三回目の聖婚(2013年1月13日)
(亨進様)
「そして三回目の最終的な聖婚が「基元節」の日になされます。お父様は霊界で神様と一つになられた霊人として、時間と空間を超えて肉的エバと御結婚なさるのです。最大の堕落が霊的サタンがエバと結婚したことであることを知っています」



(亨進様)
「そして「基元節」にそれが完全に蕩減されるのです。完全な復帰です。すべての堕落の痕跡が消えて、お父様が言われました、「基元節」以降、新たな歴史がはじまります。全く新しい時代です。お父様が仰られたように、堕落前のエデンの園に戻るのです。そのために新しい革袋のための新しい聖酒を飲むのです。そして本当に、祝福とこの素晴らしい儀式を通して、アダム・エバ、つまり、神様と神様の花嫁に接ぎ木されるのです。「基元節」の行事は本当に重要です」

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〔1〕霊的天使長(ルーシェル)と肉的エバの堕落(結婚)        …最初の堕落、そして、最大の堕落
〔2〕肉的アダム(第一アダム)と肉的エバの堕落(結婚)        …第二の堕落
〔3〕イエス(第二アダム)花嫁結婚できず               …摂理失敗
     ↓
<再臨主の路程>
〔1〕真のお父様(第三アダム)花嫁結婚               …一回目の聖婚(1960年4月11日)
〔2〕肉的アダムと肉的エバの結婚                     …二回目の聖婚(2003年2月6日)
〔3〕霊的アダム(霊界で神と一つになられた霊人)と肉的エバの結婚三回目の聖婚(2013年1月13日)

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原理講論和訳研究30

「メシヤ論」の「第二節 エリヤの再臨と洗礼ヨハネ (三)洗礼ヨハネの不信」において、

「けれども、彼はその後、イエスと離れて、別に洗礼を授けていたので、ルカ福音書三章15節を見れば、ユダヤ人たちはかえって洗礼ヨハネをメシヤと混同したのである。また、ヨハネ福音書一章20節を見れば、祭司長までも、このように混同したことが分かるのである。そのことだけでなく、イエスに従う者と、洗礼ヨハネの弟子とが、お互いに自分の先生の方が洗礼を多く授けると、潔礼を中心として争ったこともあった(ヨハネ三・25)。ヨハネ福音書三章30節で、洗礼ヨハネが、「彼は必ず栄え、わたしは衰える」と言っているのを見ても、彼はイエスと興亡盛衰の運命を共にしなかったということを、我々ははっきりと知ることができる。」

この「潔礼」という訳語は、日本語にはなさそうであるので、「清めの儀式」ぐらいに訳しておいた方がいいのかもしれない。


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経済の分野において、リフレ派の主張がすっかり主流になってきました。
「リフレ」とは「リフレーション」の略。

その意味は、
「年率換算にて2%とか3%程度のインフレ率にとどめようとする政策」
であって、今自民党政権がとっている政策である。

リフレ派の主張が主流になってきたのは、第二次安倍政権誕生によってです。
道端カレンさんも、「リフレ派のモデル」に成長されています。
彼女は、上念司さんの本も紹介されています。例えば、
『日本は破産しない!』
という本です。
http://ameblo.jp/karen-michibata/entry-11377544565.html

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「み言」からの引用です。

「今、先生が教示するのは、第一イスラエル圏、第二イスラエル圏、第三イスラエル圏を相続しなければ、天下統一理念はあり得ないということです。イスラエルとは何ですか? ヤコブを中心として、ヤボク川で天使を使うのです。天使に負けた人間は、天使に勝たなければなりません。ヤコブが腰骨を折って、死の境地にまで行きながら、夜通し耐えて、「ああ、死んでも、この握った手は放すことはできない」と言うので、天使も息が詰まって抜け出せないので、祝福してあげたのです。ですから、「死なんとする者」は、何ですか? (「生きる!」)。「生きんとする者」は、何ですか? (「死ぬ!」)。生きようとすれば、死ぬのです。反対です。宗教圏内において、聖書を通して、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ」という逆説的な論理を、なぜ立てたのでしょうか? この天理を心得ておき、正義の世界を求めていく限り、一つの峠ごとに、三度死んで生き返らなければならないのです。それで、韓国の言葉に、「初不得三〔チォブトゥクサム〕」(三度目の正直)というのがあるでしょう。最初に得ることができなければ、三度まで粘り強くするのです。蘇生時代、長成時代、完成時代です。統一教会において驚くべきことは、宇宙の構造的な内容が三段階になっているという事実を明らかにしたことです。一段階、二段階、三段階です。このような話をすれば、私は一日、話をしなければなりません。」[『「蕩減摂理時代終了」宣布時の御言』2003.7.13、韓国・鮮文大学、祝福家庭p21~22]

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副題―人間観いろいろ2―

知性人、現象人、本体人、工作人(創造人)、遊戯人、苦悩人、経済人、…
そして、宗教人など。
いろんな人間観がある。

しかし、「動物と比較して人間とは何か、人間の本質を何と見るか」
という問いかけではなく、
動物、人間の枠を超えて、動物、人間のどちらにも、その根底にあるものは何か
を問題にしているのである。

『動物、人間を問わず、その行動の一番の根底にあるのは、
「喜び」への情的衝動である』

というのが、「統一原理」の出発点である。

人間の一番の根底にあるものをあぶり出しているのである。
何も、それが動物と同じあってもかまわないのだ。

人間は「知性」「理性」において、動物とは一線を画するとか、
「創造性」こそ、人間を人間たらしめているものだとか、
否、宗教心こそ、人間特有の側面であるとか…
以上のように、動物との比較で、人間の特性をとらえようとすることは必要である。

しかし、その前に、その更に根源にあるものを見つめようというのである。
その根源にあるものこそ、
   「喜び」を求めてやまない情的な衝動
であるという主張である。

「知性」、「理性」を動員して何かを考え、
真理探求の活動などをするのも、
驚くべき「創造性」を発揮して何かを創り出すのも、
そして、神に対して祈るのも、
その根底に、それを通して、「喜び」を得ようとしているのだ、
人間は「喜び」を求めてやまない情的な衝動を根底に有している存在である…

そのことを「人間は心情的存在である」と表現しているのである。
これこそ、「統一原理」の出発点である。
これを「総序」の最初の一文で述べているのである。

人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、
それを得ようともがいている。


この一行は、ただの導入の文章として綴られているのではない。
これが論理展開の第一歩なのだと思う。


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