「宇宙の根本を探して」いけば、それは「生殖器」に到達する。
これが文先生の教えである。
しかし、その「生殖器」という単語が、「講論」には一つも載っていない。
それを指している単語は一つある。「陽部」という単語である。

モーセの割礼のところで出てくる。
「それでは、割礼がいかなる意味をもっているかということについて、調べてみることにしよう。人間始祖は、サタンと血縁関係を結ぶことによって、いわば、陽部を通じて死亡の血を受けたのであった。ゆえに、堕落した人間が、神の子女として復帰されるためには、その蕩減条件として、陽部の皮を切って血を流すことにより、その死亡の血を流してしまったということを示す表示的条件として、割礼を行うようになったのである。」

この「陽部」という言葉は、たぶん造語であろう。
「女性の生殖器」を「陰部」という言葉で表わして、
「男性の生殖器」を「陽部」と表現したのであろう。
洗礼ヨハネはイエスに洗礼を授けた後も、洗礼運動を展開したのであるが、
その際、「天国は近づいた」と語ったかどうか、それは分からない。
しかし、集まってきた群衆に向かって、悔い改めを迫ることは継続したのであろう。

では、その洗礼運動はだれのためにあったのか。
イエスの道を真っ直ぐにするために神から命じられて活動してきたのではなかったか。
更に言えば、彼の使命は彼の父ザカリヤが聖霊に満たされて預言したように
生涯、イエスに仕える」ことであった。

<ルカ1:67~79>
生きている限り、きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。幼な子よ、
あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。主のみまえに先だって行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから」

彼の人生がイエスのためにあったのである。
父ザカリヤの預言から、このことを知ることができるし、
また、ヨハネ自身、次のように語っていた。

<ヨハネ1:31>
「このかたがイスラエルに現われてくださるそのことのために、
わたしはきて、水でバプテスマをさずけているのである」

父ザカリヤの預言の言葉がなかったとしても、
洗礼ヨハネがイエスに付いて行かなかったことは考えられないことであった。
ヨハネは、あれほど自分よりはるかにすぐれたお方が来ると語りつつ、洗礼運動をしてきたのであったのである。
そして、イエスがまさに、自分が待って来た、その方であると悟ったのである。
もし、私たちが洗礼ヨハネの立場にあったなら、私たちはイエスに対してどんな行動をとるだろうか。
想像してみよう。
それは、イエスに付いて行く
それは、ほぼ100%の人が、イエスに付いて行く
これである。
ところが、彼はそうしなかった
彼はそうすることができる立場であったにもかかわらず、そうしなかったのである。

イエスと別行動をとって、どんなに「悔い改めよ…」と善のみ言を語っても、
あるいは、不倫は許されないと権力者にむかって敢然と言い放っても、
彼がイエスに付いて行くことをしなかったという一点で、
「天国で最も小さい者よりも、彼よりは大きい」とイエスから
審判を受けるほど落ちてしまったのである。

イエスに「侍る」ことができる位置にいながら、そして、それが願われているのにもかかわらず、
そうしなかった
者の価値は最低になるのである。

文先生を再臨の主と認め、そして、そのお方に侍ることができる位置におり、
そして、そうすることを願われていながらも、もし、そうしない者がいたならば、
どんなに口から善の言葉を語っても、神の、その人に対する判断は、厳しいものになるに違いない。

侍った」か、「侍らなかった」か。これが分岐点ではないか。



イエスはイエスの弟子を「花嫁にたとえている。

マタイ9:15
「するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう」

ここで、「花婿」は「イエス」を指している。では、その「花嫁」は誰を指しているのか。
それは「イエスの弟子達」のことである。

イエスの再臨について語る「黙示録」において、再臨を待つ信徒のことを「花嫁」にたとえている。

黙19:7
「わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである」
黙21:2
「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って 来るのを見た」
黙21:9
「最後の七つの災害が満ちている七つの鉢を持っていた七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、
きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。
黙22:17
「御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい」

弟子たちはイエスに対して花婿を待つ花嫁の立場に立つべきである。
その立場は、一番近しい立場、一番緊密な立場ということである。
一番近しい立場は、花婿花嫁の関係である。更には、夫婦の関係である。

なにもこれは新約以降に限定されたものではない。
旧約の時代において、イスラエルの神ヤハウェと、その民イスラエルの関係は
極めて緊密な愛情関係になるべきであると預言者ホセアやエレミヤは語っている。
彼らは、それを新婚生活にたとえている。

エレミヤはエルサレムに住む者へのヤハウェの言葉として、
エレ2:2
「行って、エルサレムに住む者の耳に告げよ、主はこう言われる、わたしはあなたの若い時の純情、花嫁の時の愛、荒野なる、種まかぬ地で/わたしに従ったことを覚えている」
と告げている。
エレ2:32
「おとめはその飾り物を忘れることができようか。花嫁はその帯を忘れることができようか。ところが、わたしの民の、わたしを忘れた日は数えがたい」

「講論」は「イエス全人類の新郎としてこられた」と証している。

アブラハムの象徴献祭のところで、
イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。 しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。」

初臨のイエスはすでに「全人類の新郎」の立場にあったのである。
これはイエスの証言と一致している。
イエスは自分の弟子を「花嫁」にたとえているからだ。
「するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう」

では、洗礼ヨハネはどうであったか。
彼はイエスに対して自分のことを「花婿の友人」としたのである。

ヨハネ3:29
花嫁をもつ者は花婿である。花婿の友人は立って彼の声を聞き、その声を聞いて大いに喜ぶ。こうして、この喜びはわたしに満ち足りている」

洗礼ヨハネもまた、ペテロたちと同じように、イエスの「花嫁」となって、イエスが行かれるところ、どこにでもついて行くべきであった。しかし、彼は自分のことを「花婿の友人」だとして、イエスと別行動を取ったのである。
これはあってはならないことであった。
それとも、イエスは「全人類の新郎」として来られたのに、洗礼ヨハネだけは「新婦」の立場に立つことが許されなかったのか。
そうではない。洗礼ヨハネ自身が「花嫁」のような緊密な立場に立つことを拒否したのである。
あれほど自分よりあとからくるお方が尊いと宣言しながら、洗礼活動をしていたのにもかかわらず、神が教示して下さったそのお方が現われて、そのお方が誰であるかも教示されて、それでもそのお方に付いて行かないのは、それは彼自らがイエスに付いて行くことを拒否したからである。
これは洗礼ヨハネのイエスに対する不信のあらわれである。
このことをいままで誰も指摘して来なかった。隠されていた真実である。

では果たして、この洗礼ヨハネのイエスに対する不信は、神が願い、神ご自身が仕組んだことであるのだろうか。
「予定説」を信じている人は、そうだと答えるかもしれない。
そのとき、私たちは「総序」からはじめて「再臨論」にいたる「統一原理」全体を示してあげ、説明してあげるしかない。

反駁する人は、原理全体に取って替わる論理一貫した体系を提示しなければならない。
それもできない。しかし、統一教会組織に属するのは嫌だという人は、以下に挙げる言葉をかみしめるべきである。
(すでにこのブログで掲載済みであるが)



■「霊界五大教団代表の統一原理セミナー報告書」で「弥勒」が「地上の仏者」に対して語られたという次の言葉…

正しい道でなければ、行ってはなりません。
正しい道ならば、いくら険しい渓谷であろうと、必ず行かなければなりません。



■霊界の李相軒先生が、地上にいるご自身の子女に対して
語ったという次の言葉…

「子どもたちよ!この父が夜を明かして記録しても、表現することができない。これからおまえたちは、どんな人生を生きるのか、一度聞いてみよう。地上でどれほど生きるのか、地上での暮らしの焦点をどこに置いて暮らすか、各自聞いてみたい。父として、親として、頼みたいことがある。父が残した統一思想を見て、文鮮明先生が書かれた「原理」の本を精読して決定しなさい。皆読んだ後、それよりももっと大きな経典や先生の教えがあるなら、その道に行きなさい。しかし、それよりもっと大きな思想がないと思うなら、渾身の力を尽くして、み旨のために働きなさい。それ以上の頼みはない。」[「霊界の実相と地上生活」P22~23]


■行伝に記されているガマリエルの言葉…

使徒行伝5:12~
「そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。
そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。
一方では、大祭司とその仲間の者とが、集まってきて、議会とイスラエル人の長老一同とを召集し、使徒たちを引き出してこさせるために、人を獄につかわした。そこで、下役どもが行って見ると、使徒たちが獄にいないので、引き返して報告した、「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」。 宮守がしらと祭司長たちとは、この報告を聞いて、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、あわて惑っていた。
そこへ、ある人がきて知らせた、「行ってごらんなさい。あなたがたが獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています」。そこで宮守がしらが、下役どもと一緒に出かけて行って、使徒たちを連れてきた。しかし、人々に石で打ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。
すると、大祭司が問うて言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、 そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。
ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、一同にむかって言った、
イスラエルの諸君あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。」


聖句から。
あの有名なガマリエルの言葉。

使徒行伝5:12~
「そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。
そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。
一方では、大祭司とその仲間の者とが、集まってきて、議会とイスラエル人の長老一同とを召集し、使徒たちを引き出してこさせるために、人を獄につかわした。そこで、下役どもが行って見ると、使徒たちが獄にいないので、引き返して報告した、「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」。 宮守がしらと祭司長たちとは、この報告を聞いて、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、あわて惑っていた。
そこへ、ある人がきて知らせた、「行ってごらんなさい。あなたがたが獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています」。そこで宮守がしらが、下役どもと一緒に出かけて行って、使徒たちを連れてきた。しかし、人々に石で打ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。
すると、大祭司が問うて言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、 そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。
ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、一同にむかって言った、
イスラエルの諸君あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。」


原理講論和訳研究38
「堕落論」の「第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由、(二)神のみ創造主であらせられるために」において、

「神は自ら創造された原理的な存在とその行動のみを干渉されるために、犯罪行為や地獄のような、御自分が創造されなかった非原理的な存在や行動には干渉し給わないのである。」

とあるが、この「干渉し給わない」の原文直訳は「干渉なさることができない」である。
干渉しない」と「干渉できない」は意味が違ってくる。
「霊界の実相と地上生活」から引用する。
霊界の李相軒先生が、地上にいるご自身の子女に対して
語ったという次の言葉。

「子どもたちよ!この父が夜を明かして記録しても、表現することができない。これからおまえたちは、どんな人生を生きるのか、一度聞いてみよう。地上でどれほど生きるのか、地上での暮らしの焦点をどこに置いて暮らすか、各自聞いてみたい。父として、親として、頼みたいことがある。父が残した統一思想を見て、文鮮明先生が書かれた「原理」の本を精読して決定しなさい。皆読んだ後、それよりももっと大きな経典や先生の教えがあるなら、その道に行きなさい。しかし、それよりもっと大きな思想がないと思うなら、渾身の力を尽くして、み旨のために働きなさい。それ以上の頼みはない。」[「霊界の実相と地上生活」P22~23]

「原理」より大きい思想があるかどうかが問題である。
この論理一貫した「統一原理」を超える論理体系があるのか。
そんな体系を提示することができる人がいるのか?

「霊界五大教団代表の統一原理セミナー報告書」で「弥勒」が「地上の仏者」に対して
語られたという次の言葉…
自分はかみしめたいと思っている。

正しい道でなければ、行ってはなりません。
正しい道ならば、いくら険しい渓谷であろうと、必ず行かなければなりません。


問題とすべきは、文先生が解かれた「原理」が真理かどうかということである。
もし、真理だと認めて、そして、文先生を再臨主と認めるなら、
そのお方に侍ろうとするべきであろう。

「モーセ路程」の「第二次民族的カナン復帰路程」で

「イスラエル民族がシンの荒野を出発して、レピデムに宿営したとき、神はモーセに命ぜられて、ホレブ山の磐石(岩)を打たせ、水を出して彼らに飲ませられた(出エ一七・6)。ところで、コリント・一〇章4節に「岩はキリストにほかならない」と言われているのであるから、この行事は将来メシヤが来られ、「永遠の命に至る水」(ヨハネ四・14)によって、すべての人を生かすということを見せてくださったのである。つぎに、モーセがシナイ山で受けた二つの石板も、…」

とある。この「二つの石板」であるが、直訳で「二枚の石板」でいいのではないか。
和訳「講論」では、決して「二枚の石板」という言葉は使っていない。
日本語聖書でも「石の板二枚」などと訳しているので、板状の石なのであろうから、
二枚」でいいと思う。
原理講論和訳研究36

「堕落論」の「第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由」であるが、
この「堕落行為を干渉する」という表現より、「堕落行為に干渉する」とか、「堕落行為に対して干渉する」がいい。

他のところでは以下のように訳している。
「(一)創造原理の絶対性と完全無欠性のために」のところから
「それゆえに、神は創造原理の絶対性と完全無欠性のために、未完成期にいた彼らの堕落行為に対して干渉されなかったのである。」

「(二)神のみ創造主であらせられるために」のところから以下の三ヶ所をあげる
「神がもしある存在や行動に対して干渉し給うならば、干渉を受けるその存在や行動は、既に、創造の価値が賦与され、原理的なものとして認定されたもののような結果をもたらすのである。」

「このような論理に立脚してみるとき、もし神が、人間始祖の堕落行為に対して干渉されるとすれば、その堕落行為にも創造の価値が賦与されることになり、原理的なものとして認定せざるを得なくなるのである。」

「従って、独り神のみ創造主であらせられるためには、彼らの堕落行為に干渉することができなかったのである。」



                                                      ペタしてね
ヤコブのエジプト入りからサウル王即位までは何年であるか、聖書に記されている数字を用いて考えてみよう。
「講論」は、ヤコブのエジプト入りから、モーセに率いられてイスラエル民族がエジプトを脱出するまでの期間を「エジプト苦役時代」と称している。その期間は、430年である。
この期間を「エジプト苦役時代400年」としている…①

イスラエル民族が、モーセの後を継いだヨシュアに率いられてカナンに入ったときから、サウル王が即位するまでの期間を「士師時代」と称している。
その「士師時代」の期間は何年かについては、「講論」で論じられている。

「講論」の後編「第三章 摂理歴史の各時代とその年数の形成、第三節 復帰摂理時代を形成する各時代とその年数 (二)士師時代400年」のところに、
「列王紀上六章1節に、「イスラエルの人々がエジプトの地を出て四百八十年、ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた」と言われたみ言がある。これは、サウル王の在位四十年と、ダビデ王の在位四十年を経たのち、ソロモン王在位四年を経たときが、ちょうど、イスラエルの子孫がエジプトの地を出てから四八〇年目に当たるということであり、従って、イスラエル民族が、エジプトからカナンの地に帰ってきたのち、サウル王が即位するまでは、約四〇〇年の期間であったことが分かるのである。この期間を士師時代と称する。」
とある。
この後に記述されているが、「エジプトの地を出て」というのは、「ヨシュアを中心として、カナンの地に帰ってきた」ときと解釈して、計算するということである。
480年-サウル王在位40年-ダビデ王在位40年-ソロモン王在位4年=396年
という計算をして、「士師時代400年」としている…②

では、ヤコブのエジプト入りからサウル王即位までは何年になるのか。
①、②の数値を使えば、
「エジプト苦役時代400年」+「士師時代400年」=800年
となる。

しかし、それは正確ではない。
「エジプト苦役時代400年」と「士師時代400年」の間に「荒野流浪40年」があるからである。
「講論」の内容に対しては、どの部分でも、自分の能力を使って吟味しておかなければならない。
「エジプト苦役時代400年」と「士師時代400年」の間に「荒野流浪40年」がありながらも、
同時性を三本線で表現するところでは、「荒野流浪40年」があることを書いていないのである。

神の復帰摂理は、同時性をなしながら展開されてきたが、その歴史の同時性という観点からみれば、
「エジプト苦役時代400年」と「士師時代400年」の間に「荒野流浪40年」があるなど問題にしなくていいのである。本質ではないということである。
そのことを知っておかなければならない。


(答)430年+40年+400年=840年
(上記の計算以上の詳細な計算を提示するなら、430年+40年+396年=866年)