原理講論和訳研究64
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第一節十字架による救いの摂理、(一)メシヤとして降臨されたイエスの目的」において、
「それでは、創造目的を完成した人間に復帰され、イエスが言われたとおり、天の父が完全であられるように完全になった人間とは、いかなる人間なのだろうか。このような人間は、神と一体となり、その心情を体恤することによって、神性をもつようになり、神と一体不可分の生活をするようになるのである。また、この人間は、原罪がないので、再び贖罪する必要がなく、従って、救い主が不必要であり、堕落人間に要求される悔い改めの祈祷や、信仰の生活も、また必要ではないのである。そればかりでなく、原罪のないこれらの人間は、原罪のない善の子孫を生み殖やすようになり、従って、その子孫も贖罪のための救い主は必要がないのである。」
とある。ここに「悔い改めの祈祷」と訳しているが、原文は「祈祷」である。
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第一節十字架による救いの摂理、(一)メシヤとして降臨されたイエスの目的」において、
「それでは、創造目的を完成した人間に復帰され、イエスが言われたとおり、天の父が完全であられるように完全になった人間とは、いかなる人間なのだろうか。このような人間は、神と一体となり、その心情を体恤することによって、神性をもつようになり、神と一体不可分の生活をするようになるのである。また、この人間は、原罪がないので、再び贖罪する必要がなく、従って、救い主が不必要であり、堕落人間に要求される悔い改めの祈祷や、信仰の生活も、また必要ではないのである。そればかりでなく、原罪のないこれらの人間は、原罪のない善の子孫を生み殖やすようになり、従って、その子孫も贖罪のための救い主は必要がないのである。」
とある。ここに「悔い改めの祈祷」と訳しているが、原文は「祈祷」である。