原理講論和訳研究89
「堕落論」の「(四)善悪の果」において、
「我々は既に、善悪を知る木が、完成したエバを比喩したものであるという事実を明らかにした。では、善悪の果とは何をいうのであろうか。すなわち、それはエバの愛を意味するのである。果木が、果実によって繁殖するように、エバは、神を中心とするその愛をもって善の子女を繁殖しなければならなかったにもかかわらず、実際には、サタンを中心とする不倫な愛をもって悪の子女を生み殖やしたのである。」
という訳文の中に「果木」という訳語が使われている。
これは、ハングルで「과목」と記されて語句を訳したものである。
確かに、この「과목」は漢字語であって、その漢字は「果木」である。
しかし、日本語訳としては「果樹」。
和訳文にはこの「果樹」を使ったほうがいいのかも知れない。
「堕落論」の「(四)善悪の果」において、
「我々は既に、善悪を知る木が、完成したエバを比喩したものであるという事実を明らかにした。では、善悪の果とは何をいうのであろうか。すなわち、それはエバの愛を意味するのである。果木が、果実によって繁殖するように、エバは、神を中心とするその愛をもって善の子女を繁殖しなければならなかったにもかかわらず、実際には、サタンを中心とする不倫な愛をもって悪の子女を生み殖やしたのである。」
という訳文の中に「果木」という訳語が使われている。
これは、ハングルで「과목」と記されて語句を訳したものである。
確かに、この「과목」は漢字語であって、その漢字は「果木」である。
しかし、日本語訳としては「果樹」。
和訳文にはこの「果樹」を使ったほうがいいのかも知れない。