1995年の宝塚記念 | カッツミーの競馬道

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 1995年の宝塚記念は稀代のステイヤー、ライスシャワーが競走中止したレースとして記憶に残るが、1月に発生した阪神淡路大震災復興祈念競走として行われている。

 

 そして地震の影響で阪神競馬場が使用できず、京都競馬場で開催されている。

 

 1番人気は5歳になって充実一途のトニービン産駒で前走安田記念2着のサクラチトセオー、2番人気に前走京阪杯で重賞初制覇を挙げた上り馬ダンツシアトル、3番人気に前走天皇賞(春)で復活の勝利をあげたライスシャワー、以下前年の天皇賞(秋)を制したネーハイシーザー、タイキブリザード、エアダブリンと人気が続いた。

 

 レースは最低人気のトーヨーリファールの逃げで始まった。稍重馬場を1000m59秒3のしまったラップで進み、3コーナーの下りでライスシャワーが馬場に脚を取られて転倒し場内が騒然とするなか、4コーナーを回り2番手を進んだダンツシアトルがトーヨーリファールを交わし先頭に立った。ダンツシアトルは直線に入り後続を引き離すが、ゴール前でタイキブリザードが差を詰め、さらにエアダブリンが追い込んできた。ダンツシアトルは一杯になりながらもタイキブリザードの強襲をクビ差しのいで先頭でゴールを駆け抜けた。3着にエアダブリン、逃げたトーヨーリファールが4着に残った。勝ち時計2分10秒2は日本レコードだった。

 

 ライスシャワーの競走中止そして安楽死処分はショックだったが、ダンツシアトルは強かった。そして勝ち時計に驚愕し、レース、馬場の高速化が進んでいることが取り上げられるようになった。

 

 阪神淡路大震災の祈念競走としてこの年の宝塚記念が行われたことは前段で述べたが、勝ったダンツシアトルも2着タイキブリザードもシアトルスルー産駒、神戸市の姉妹都市はアメリカのシアトル市で、当時それがサインと考えダンツシアトルから予想して当てた記憶がある。

 

 この年は1月に阪神淡路大震災が発生し、3月には地下鉄サリン事件が起こるなど殺伐とした時代だったが、競馬界は地方馬も中央のレースに参戦できるようになりライデンリーダーが牝馬クラシックで活躍したり、サンデーサイレンスの初年度産駒が席巻しリーディングサイヤーに輝くなどエポックメイキングな年だった。今年も能登地震が発生し、海外でも治安が悪化していることで国内外とも不安が続いているが、残り半年、少しでも良いことが起こることを期待しながら、当時に想いを馳せ宝塚記念を観戦したい。