2002年の安田記念は後藤浩輝騎乗の7番人気アドマイヤコジーンが直線好位から抜け出して優勝した。
アドマイヤコジーンは1998年朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティS)以来のG1勝利で、鞍上後藤浩輝はデビュー11年目で初のG1タイトルとなった。
このコンビのそれぞれの歩みとその後は紆余曲折がある。
アドマイヤコジーンは2歳時に朝日杯3歳Sを勝ち将来を嘱望されたが、3歳時は骨折等故障で出走が叶わず、古馬になって戦列に復帰したが思うような戦績が残せず、2000m戦やダート戦に出走するなど試行錯誤が続く。
6歳になり半年ぶりのレースとなった東京新聞杯では10番人気まで評価を落としていたが、久々に後藤浩輝に手綱が戻り約3年ぶりに勝利。その後阪急杯を勝ち高松宮記念2着の後、安田記念に出走する。
後藤浩輝は1992年デビューの関東騎手で、デビュー当初はなかなか勝ち鞍が伸びず、暴力事件を起こすなどトラブルも多々あったが徐々に関東の若手として頭角を現してきた。
2000年には関東リーディングジョッキー争いを演じ、自身初の年間100勝を達成した。
この頃まだG1タイトルはなく、2002年にアドマイヤコジーンとのコンビが復活し、安田記念に挑むことになる。
2002年6月2日に第52回安田記念が行われた。1番人気はエイシンプレストンでアドマイヤコジーンは7番人気の評価だった。レースは直線好位から抜け出して2番人気ダンツフレームを首差抑え優勝、鞍上後藤浩輝は派手なガッツポーズで初G1勝ちを喜び、勝利インタビューでは号泣した。
その後このコンビはスプリンターズSとマイルチャンピオンSに出走し、それぞれ2着と7着だった。
アドマイヤコジーンは現役を引退し種牡馬入り。産駒のアストンマーチャンとスノードラゴンがスプリンターズSを制し父の雪辱を果たし、マジンプロスパーが後継種牡馬となっている。
後藤浩輝は初G1勝ちでトップジョッキーの仲間入りをし、その後G1レースは朝日杯フューチュリティSをマイネルレコルトで、ジャパンカップダートをアロンダイトで、安田記念をショウワモダンで、オークスをエリンコートで勝っている。
レースイベントに立つなどメディアに積極的だったが、2012年の落馬事故が原因で長期離脱を余儀なくされ、その後も故障が相次ぎ勝ち鞍は伸びず、2015年2月に自宅で40歳の若さで亡くなった。
一方のアドマイヤコジーンも後藤浩輝が亡くなった2015年に種牡馬を引退し、2017年に21歳で亡くなっている。
あの安田記念から22年の歳月が流れたが、当時輝いていたアドマイヤコジーンと後藤浩輝のコンビを偲んで今年の安田記念を観戦しようと思う。