セイウンスカイの天皇賞(春) | カッツミーの競馬道

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 天皇賞(春)の思い出はたくさんあるけれど、セイウンスカイの天皇賞(春)の話をしたい。

 

 1998年の2冠馬セイウンスカイは天皇賞(春)に2回出走しているが、私が挙げるのは結果引退レースとなった、2回目の天皇賞(春)である。

 

 セイウンスカイは4歳時の天皇賞(秋)に出走(5着)後、屈腱炎を発症し戦線離脱していた。その後復帰戦となったのが、冒頭の天皇賞(春)である。

 

 すでに同期のG1ホース、スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダー、キングヘイローは休養中に引退していた。1年6ヶ月ぶりにターフに戻ってきた同馬だったが、どんな走りを見せるのか楽しみにレースに臨んだ。

 

 ゲートが開くと、セイウンスカイは抜群なスタートを見せて、すぐハナに立った。休養前と変わらない先行力に思わず「オオー」と呟いて、涙が出そうになった。

 

 レース結果は、久々とハイペースが響いたのか、セイウンスカイは3コーナーを待たずに一杯になり、大差のシンガリ負けを喫した。

 

 レースは前年古馬G1をコンプリートした年度代表馬テイエムオペラオーが連覇を果たし、G17勝目を挙げたが、屈腱炎からの復帰戦に臨んだ、当時開業したばかりの保田調教師、西山オーナー、横山典弘騎手など陣営の気持ちはいかばかりだったろう。レースはわずか3分20秒足らずだが、そのレースに臨むまでの時間はとても長い時間で大変な辛抱だったと思われる。

 

 正直、レースは久々のため苦戦が予想されていたが、それでも出走にこぎつけた陣営の執念と努力に拍手を送りたい。

 

 あれから20年以上月日が経っているが、今でも天皇賞(春)が近づくと、当時の思い出とともにセイウンスカイの姿が私の脳裏に蘇る。