数日前に、リーサを予防注射に連れていったら、体重測定や、簡単な健康診断をしてくれました。

そこで分かったのが、歯石があるので、なるべく早く取り除く手当てをしましょう、と言うことになり、昨日、行ってきました。

朝の8時に予約が入れてあり、外に行かないように、前の日の夜から、猫穴のある地下室に通じる扉を閉めたら、もう怪しいと気づかれてしまい、一番広い部屋のどこかに隠れてしまいました。

こうなると、もう見つからない。まるで忍者のようにどこかで声を潜めて、空気のような状態になってしまいます。

今日は無理。病院に電話すると、12時までは待っているので、それまでに捕まえられたら、来てくださいとのことです。あと4時間。私ももう捜さないふりをして、毎日の朝の仕事に取り掛かりました。

11時半ごろ、もう今日はダメだと思っていたら、カーテンの後ろで見つかった。

首根っこを押さえて、キャリーケースに入れて、病院に12時5分過ぎに到着しました。

それで受け付けてもらいました。

何しろ麻酔をするために、前日から絶食を強いられて、それだけでも気に入らないので、連れていく途中、危険を察したのか、ずっと泣いていました。

そして、夕方引き取りに行くと、お医者さんが歯を見せてくれました。

本当に真っ白になっていました。

 

夜、私達がベッドに入ると、彼女もやって来ます。

何時もなら、先ず私のところに挨拶に来て、それからスヴェンにも挨拶をして、その後、どちらかの側で寝るのですが、昨日は私を無視して、スヴェンのところにまっしぐら。

やっぱりちょっと、不公平だと思いました。

夜中に目を覚ましたら、私のところで寝ていたので、やっと許してもらえた様です。

めでたし、めでたし。

 

 

 

 

 

 

 

ブログの更新、またサボっていました。

実は二人とも病人であるような、ない様な状態が続いています。

スヴェンは7月中旬、血栓で入院するまでは私より10キロ以上は体重があったのに、この3か月で、どういう訳かすっかり痩せてしまいました。

今は私と同じぐらいの体重。時には私より少ない。

先日、物理療法士が家に来てくれて、様子を見てくれました。

もっと体を動かして、血液の循環を活発にしなくては、と体操のプログラムをいくつか教えてくれました。

これで回復に向かってくれるといいんですが…

 

そして私。

日本に行く前の日に転んで、左半分(額、左手、腰)がまだ完治していません。

何をするのも億劫。左腰を庇って、右足ばかり重心を置いていたら、今度は右腰も痛くなり始めました。

買い物に行くのも、思うようにいきません。

悲しい。

でも毎日、なんだかんだと忙しいです。

 

どうもなんか後ろ向きのことばかりで、ちょっと更新するの、気が引けます。

でもまあ、現状報告と言うことで…

また、元気になるように頑張ります。

 

 

 

 

 

10月5日、夜遅く、ようやく家にたどり着きました。

疲労困憊。

家にはだれもいません。

なんかぽっかりと、穴の開いたような家。

明日はリーサを迎えに行きます。

私の左手が自由に動かないので、車の運転は無理。

K君に運転手を頼むことにしました。

 

そして1日置いて明後日(7日)はスヴェン。

なぜ明日じゃないかと言うと、これは私の勘違い。

日本からスウェーデンに戻る時は、同じ日付で戻ることになるのです。

つまり5日の朝日本を出発すると、ヨーロッパ時間の同じ日の5日、夜遅く帰宅できます。

そのことに、出かける直前に気が付いたので、先ずリーサを迎えに行く日付を6日に変えてもらい、スヴェンの方も同じことをしようと、ショートステイに電話します。

すると、施設の事務員が「帰ってきたらきっと疲れているでしょう。日付はそのままにして、先ずはゆっくり体を休め、帰国時の荷物の整理などをしたらどうですか」といいます。

確かに、スヴェンは、今や私からのいろいろな補助が必要になっています。

さすがに、施設の方たちは、このようなことに慣れている。

お言葉に甘えて、スヴェンにはもう1日待ってもらうことにしました。

 

さて、10月6日。

K君の助けを借り、リーサを迎えに行きました。

リーサは檻の中で、窓の外を見ていましたが、私が来るのを見ると、なんと「シャーッ」と威嚇しました。鼻にしわを寄せて。

よほど頭に来ていたらしいです。

そして、私が話しかけても、家に帰るまでずっと「ニャー、ニャー」と大声を上げていました。

普段は大人しくて、滅多に声を聞いたこともありません。

その日は1日中、なんとなく私を避けていました。

今まで、いろんな猫を飼ったけど、こんなの初めて。

でも、夜になると、布団の上に登ってきて、眠っていました。

次の日からは、いつものリーサに戻りました。

 

10月7日。

やはりK君がスヴェンを迎えに行ってくれました。

ショートステイの場所が、偶然、K君の家から歩いて数分の所にあるのだそうです。

彼のお陰でやっと家族が全員揃いました。

K君、ありがとう。

彼はひとり狼で、親しくしていても(と、私達は思っている)、絶対にお礼を受け取りません。

コーヒー一杯さえも断って帰って行きます。

なんでだろう。

一度、「私たちがあなたに毒でも盛ると思ってるの?」と聞いたら、笑っていました。

 

このK君に、どういう訳か、今まで飼った猫たちはどの子も、足にまといつくんですよ。

リーサも例外ではありません。

K君自身は知らん顔してるのに(知らん顔してるから?)。

 

スヴェンは私が日本に行く直前から、難聴が益々激しくなっています。

耳から30cmぐらい近づいて、かなり大声を出さないと聞こえなくなってしまいました。

Audionom(聴覚矯正専門者?)に会うのは1か月先です。

新しい補聴器で、少しでも改良されるといいんですが…

この状態に悲しく、怒りも感じて、私の声色がイラついてしまいます。

いけないとは思うのだけれど。

スヴェンも悲しいでしょうからね。

この現象は前に、どこかで読んだことがあります。

本人のみでなく、家族も大変、と。

自己統制を強いられています。

 

さて、これで今回の日本旅行の話はお仕舞いです。

今後もう少しちゃんとブログが更新できると良いんですが…

 

 

 

 

さて、最終的には機上でゆっくりとすることができました。

翌日(29日)午後、遅れた飛行機は、やっと大阪に到着。

兄家族が迎えに来てくれました。

今回はすっかり大人になった従妹のMちゃんが車であちこち案内してくれたので、とても便利でした。

 

先ず車に乗った途端、「おばちゃん、弓弦羽神社に行きたいでしょう。

疲れてなければそちらを回ってから、家に行きましょう」と早速案内して呉れました。

 

 

とまあ、こんな風に思いもかけず、ユヅ君ファンが最近訪れるようになった神社をお参りできて、願望が叶いました。

そして30日には、今回の主な目的である、家に関する書類もサインを済ませることができました。

その後関係者一同で食事。治家に戻って、ぐっすり寝てしまう。

 

10月1日(火)

その後、5針縫った額の傷は抜糸できることになり、でも未だバンソッコウは付けたままです。

そして兄の家族がみんなで世話になっているFysioterapist のところに行く(10月2日も)。

この先生、かなりの荒治療。

後に右の顎から首にかけて痛くなり、これを書いている10月12日、未だに治らない。

食べるのがつらい。

尾道のいしおかさんが懐かしい。行かれたらなあ。

後は日本を堪能したいところですが、なにしろスウェーデンでの最後の日に負った傷がまだそれほど治らず、痛いので、動き回ることができません。

夜、お好み焼き。

 

10月2日(水)

今日もFysioterapist に出かける。

夜はうな丼。

日本の料理は本当においしい。

 

10月3日(木)

兄と娘のMちゃんとで羽田のに移動。

藤本家の人たちとお墓参り。

小平霊園のたたずまいは、私が日本を出てから60年間で少しも変わっていなかった。

このお墓も、やがては墓じまいとなるだろう。

 

10月4日(金)

中学時代からの友達Kさんと会う。

彼女は今私が書いている小冊子の執筆を手伝ってくれている。

このところ、私の筆が進まなくて、彼女に叱咤激励される。

うん、これはやっぱり書き上げたい。

あともう少しなんだけど…

 

10月5日(土)

9時45分、羽田発で帰路に就く。

今回はカナダ上空を飛んで、ロンドン、ヒースローで乗り換え。

なんと羽田を発ってから15時間の旅。

それでもスウェーデンに着いたのは同じ5日の夜20時20分。

ランドヴェッター飛行場でも、アテンドを頼んであったのだが、車いすに乗せられて、飛行機から空港までの短距離を運ぶ車に乗ったところで、ストップ。

飛行機の中で、病人が出たらしく、その人も同じ車に乗ることになり、永遠に待たされる。

夜も遅いし、疲れているし、その上、私はタクシーを頼んであるので、気が気でない。

色々あって、家に帰ってきたのは深夜に近かった。

誰もいない家に帰るのは、なんか寂しい。

 

さあ、明日はスヴェンとリーサをひき取りに行かなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は最近、日本に行く時はビジネスを使います。

料金は高いけど、やっぱり歳を取ると、体を伸ばして、ゆっくりできるのは大事です。

それともう一つ。乗り換えの移動には随行員(アテンド)をお願いしています。

これだと乗り換えの時のパスコントロールも列に並ばず、じつにスムーズにできます。

こうしてヘルシンキからいよいよ大阪行です。

その前に、パスコントロール。

必要書類のパスポートと瑞典在留証明書をわたすと、係の人がパスをひっくり返して在留証明もじっくりと眺めています。 

そして「今、どこにお住まいですか」「スウェーデンです」と何の疑いもなく答えると、「この在留証明、期限が切れています」ええツ‼

さあたいへん。あまりパ二クってたので、自分は無期限の在留許可を持っているいうことも忘れてしまいました。

そうしたら係の人、最後にやっとハンコをバンと押してくれて「スウェーデンに帰ったらすぐに申請しなさい」と言うことで通してくれました。

ほっとしたけど、これ、帰りもやられるのかなー、ああ、どうしよう。

 

こんなゴタゴタがあって、やっと飛行機に乗ることができました。

私の席は一番前列。

腰を下ろして、ほっとしていると、スチュワーデスさんが来て「これから13時間近い空の旅、大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」なんて会話をしました。

確かに昨日病院ではお医者さんに「まあ、日本に着けば、医療もちゃんとした所だと思うから、大丈夫。心配なのは長い飛行機の旅。そこでなんかあっても、私は保証しませんよ。それでいいなら行きなさい」って言われてたなあ、なんて思いだして、でも私はしごく元気だし、確かに手は包帯グルグル巻きだけど…

なんて考えてました。スチュワーデスさん、なおも何度もいろいろ聞いてくる。そしてその毎に地上のだれかと電話してる。

何しろ、一番前の席なので、彼らが何をしているか。良く見えるのです。

最後に、何か薬を飲んでますか、と聞かれて、「はーい」と昨日お医者さんが出してくれた薬の袋を見せました。

そこには、誰でも買える、ごく普通の鎮痛剤、アルベドンと書かれていました。

それを見て、アルベドン???とつぶやいて、すぐに離陸OKが出ました。

これらゴタゴタの理由は後になってから分かります。

5針縫った傷。

確かに縫ったことで出血は止まったように見えるのですが、行く道を失った血が内出血みたいになって、皮膚の中側を伝っていたのです。

それで目の回りから頬にかけて、お岩さんのように真っ黒(真っ赤?真紫?何とも言えない派手な色)になっていたのでした。

時間をかけてじわじわとできたし、鏡を見ていない私は全然分からなかったのです。

ちょっとわき道に入りますが、ちょっと前に、確かユヅ君が転倒して、同じような場所に傷を負い、何針か縫ったことがあったと思います。

今、記事を捜したけど、見つかりませんでした。

彼は眉のところにバンソッコウを張ってたけど、顔は黒くなってなかった。

あれはよほど上手なメイクをしていたのでしょうか。

 

こうして機上でやっとゆっくりできました。

続きは(5)で。